風そよぐ部屋

ウォーキングと映画の無味感想ノート

映画/白いリボン・リッキー

2011年04月18日 | 映画

原題は、Das weisse Band.
カンヌ国際映画祭パルムドール、ゴールデン・グローブ賞外国語映画賞を受賞したと言うが、
私にはよくわからない映画だった。
舞台は、第一次世界大戦直前の1913年7月、北ドイツの小さな村。
大地主や医者や牧師達が村民・農民達を半農奴的に支配し、一家の家父長は絶対的権力で、
子ども達をプロテスタン的価値観で厳しく躾けていた。
牧師の子ども達は、ちょっとした"罪"を犯すと、むち打ちなどの厳しい"罰"を受けていた。
だが、大人の世界は、不倫・不道徳なことや犯罪的日常や弱者への抑圧がまかり通っている。
そんな村の中で、次々に不可解な事件が起きていく。
最後の犠牲になったのは、智恵遅れの男の子だった。
このエピソードは、確かに次代のナチスの優生思想や民族浄化思想が感じられるはする。
おそらく犯人は子ども達なのだが、
映画は、その謎解をするわけではなく、観客に問題を投げかけ、考えろと言っている様なのだが、
「これは難しいテーマなのだ」、と言わんばかりで、監督の独りよがりのような気がする。
子ども達へのこうした暴力的躾けなどが、子ども達に「社会や弱者や罪人達の浄化」に繋がったというのだろうか?
20年後にヒトラーを支えた世代が、この時代に子ども時代を過ごした、ということを言いたいのかもしれないが、
ヒトラーを生み出し、支えたのは決して青年達だけではないし、
封建的プロテスタンもドイツだけではない。
しかし、封建主義・絶対主義的思想を基底に宗教的原理主義が加わると、
優生思想・浄化思想・選別思想が芽生えるとは思う。
それは福音派・プロテスタント・カトリックの違いはないと思うがどうなのだろう。
また、キリスト教だけに限らないでイスラームや様々な原理主義的宗教にも言えることだと思う。
私にはとても後味の悪い映画であった。
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これもよくわからない映画であった。
シングルマザーのカティは、一人娘のリサと慎ましく暮らしていたが、
同じ工場で働くポコにナンパされ、いとも簡単に同棲を始め、リッキーが生まれる。
しばらくして、リッキーには天使の様な羽根が生え、空を飛べる様になり、一家とテレビ・マスコミ世間は大騒ぎになる。
リッキーをマスコミに披露していたある日、リッキーは空の彼方に飛んで言ってしまう。
彼がいなくった後日、新たに身ごもったカティが部屋で休んでいるなか、
ポコはスクーターの後ろにリサを乗せて、小学校・工場へ向かう所で映画は終わる。     [4/18]


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