5/12取手七福神ならぬ六福神
七福神五の明星院は目前まで行ったのに、勘違いして素通りしてしまった、ザンネン。
駅からハイク・「春の取手散策『七福神巡り』」コースを歩いた。
JR常磐線取手駅出発。
七福神=『七福神の成立は室町時代に、“仁王経”の「七難七福」に基づいているといわれています。庶民に根付いたのは江戸時代に入ってからで、末期には各地で七福神詣が盛んになり、お正月の巡拝で一年の福徳を願うようになったのが七福神めぐりです』(以下『』は取手市HP引用)
①光明寺[寿老尊]『長寿の神様。千五百歳をこえた鹿を連れています。鹿は禄に通じるといい、鹿の肉 を食すると二千年の長生きができるとされ、「お前百までわしゃ九十九まで」と、笑みでいっぱいの姿は健康を授けてくれます。 ◆健康』
一本刀土俵入り像[長谷川伸ゆかり]
昌松寺
同入り口
とても手入れが行き届いている、七福神ではない。
とてもゆったりしているのでのんびりしていると、墓参りを終えて車で退出したご婦人が、ざわざ戻ってきて「門がとても古いので見てくださいね」とお声を掛けてくれた。ありがたくうれしい交流である。
②普門院[布袋尊]『布袋尊・実在の禅僧です。大きなお腹を出し、常に日用品を入れた布袋をかついで喜捨を求めながら歩き、人に弥勒菩薩の化身として尊ばれました。信仰心の厚い人には金銀財宝を限りなく与える神様です。◆幸福』
布袋尊
埋蔵文化財センター
開館中なのに展示物無し?
青柳鹿島神社
かたらいの郷
ここで昼食をしたが、よくわからない施設であった。
村社面足神社[おもたる]
参道
本堂
平成8年火災で焼失、14年再建、利根川を見下ろす高台に新たに造られた。
③明星院[恵比寿] 直前まで行ったのだが「大師霊園」と勘違いして素通りしてしまった。
『恵比寿・風折烏帽子をつけ、右手に釣竿、左手に鯛をもつ姿に描かれ、漁民の神様。笑顔は 「えびす顔」として庶民に人気があります。大漁を祈るうちに海産物の売買から市の神となり、商売繁盛の神となりました。◆商売繁盛』
④福永寺[毘沙門天]『毘沙門天・四天王の一人で北方を守護し、財宝を守る神様。また、苦境を乗り切る勇気と悪霊 を退治する力を与えてくれる神様。別名、多聞天。インドの軍神で武将姿の毘沙門天は日本の武将、足利尊氏なども信仰しました。◆勇気』
⑤東谷寺[弁財天]『弁財天・毘沙門天・大黒天はインド生まれ、福禄寿・寿老人・布袋尊は中国生まれ、恵比寿は日本生まれ。国を異にした神々が和合しました。弁財天=七福神唯一の女神です。学問・弁舌の神、弁才天として日本に入ってきましたが、 福徳、財物の神が加わって、弁財天と称されました。別名を妙音天、美音天。音楽の神様ともいわれ、琵琶をもって弾いています。◆学問』
門を造っていた。
急な階段を下り、利根川河川敷、鶯他の鳥が鳴く。初夏のような気温日差しだが、背中から吹く風は冷たい。河川敷を延々1キロほど歩く。
利根川の流れ
[海まで約82キロ地点]
⑥念仏寺[福禄寿]『福禄寿・中国では南極星の化身とされます。別名、南極老人。短身、長頭であかざの杖を持 ち、鶴と亀を従えた仙人で、年齢は数千年。福(幸福)、禄(生活と経済の安定)、寿(健康にして長命)の三徳をそなえた長寿安泰の神様。◆長寿』
⑦
本堂の扉はすべて開放され、本尊がお参りできる。これはうれしい。
防犯上からほとんどの寺で本堂は閉められている。
この寺は開放され、「土足でのぼらないでね」は禁止・命令ではなく、お願いのやさしさ。
旧取手宿本陣
茅葺き屋根、とてもよく保存され、内部を見学した。
⑦長禅寺[大黒天]『大黒天 インドの神様。日本に来て大国主命(おおくにぬしのみこと)と合体しました。有福の権化・勤労の神様、商売繁盛の神様です。頭巾をかぶり、大きな袋を肩にかけ、右手に打出の小槌を持って米俵の上に立っています。◆勤労』
急な階段の上にある。
三世堂
門
大黒天
取手駅すぐ、小高い丘の上にあり古刹である。
取手市は初めての訪問。古い街のようである。
駅は両口とも大きい。NECとキリンビールの大工場がある。
郊外に出ると水田地帯であった。
初夏のような気温、日射しだが、背中から吹く風は冷たい。
入浴したら腕が灼けていて痛かった。
利根川はゆったり流れているが、延々1キロの河川敷のウォークは、疲れも出てきたので単調で退屈だった。
取手市内も郊外も人通りはほとんどいない。
連休はほとんど仕事だったので、今週は休みが多く三回もウォークに出た。
とても疲れたが、楽しかった。
七福神五の明星院は目前まで行ったのに、勘違いして素通りしてしまった、ザンネン。
駅からハイク・「春の取手散策『七福神巡り』」コースを歩いた。
JR常磐線取手駅出発。
七福神=『七福神の成立は室町時代に、“仁王経”の「七難七福」に基づいているといわれています。庶民に根付いたのは江戸時代に入ってからで、末期には各地で七福神詣が盛んになり、お正月の巡拝で一年の福徳を願うようになったのが七福神めぐりです』(以下『』は取手市HP引用)
①光明寺[寿老尊]『長寿の神様。千五百歳をこえた鹿を連れています。鹿は禄に通じるといい、鹿の肉 を食すると二千年の長生きができるとされ、「お前百までわしゃ九十九まで」と、笑みでいっぱいの姿は健康を授けてくれます。 ◆健康』
一本刀土俵入り像[長谷川伸ゆかり]
昌松寺
同入り口
とても手入れが行き届いている、七福神ではない。
とてもゆったりしているのでのんびりしていると、墓参りを終えて車で退出したご婦人が、ざわざ戻ってきて「門がとても古いので見てくださいね」とお声を掛けてくれた。ありがたくうれしい交流である。
②普門院[布袋尊]『布袋尊・実在の禅僧です。大きなお腹を出し、常に日用品を入れた布袋をかついで喜捨を求めながら歩き、人に弥勒菩薩の化身として尊ばれました。信仰心の厚い人には金銀財宝を限りなく与える神様です。◆幸福』
布袋尊
埋蔵文化財センター
開館中なのに展示物無し?
青柳鹿島神社
かたらいの郷
ここで昼食をしたが、よくわからない施設であった。
村社面足神社[おもたる]
参道
本堂
平成8年火災で焼失、14年再建、利根川を見下ろす高台に新たに造られた。
③明星院[恵比寿] 直前まで行ったのだが「大師霊園」と勘違いして素通りしてしまった。
『恵比寿・風折烏帽子をつけ、右手に釣竿、左手に鯛をもつ姿に描かれ、漁民の神様。笑顔は 「えびす顔」として庶民に人気があります。大漁を祈るうちに海産物の売買から市の神となり、商売繁盛の神となりました。◆商売繁盛』
④福永寺[毘沙門天]『毘沙門天・四天王の一人で北方を守護し、財宝を守る神様。また、苦境を乗り切る勇気と悪霊 を退治する力を与えてくれる神様。別名、多聞天。インドの軍神で武将姿の毘沙門天は日本の武将、足利尊氏なども信仰しました。◆勇気』
⑤東谷寺[弁財天]『弁財天・毘沙門天・大黒天はインド生まれ、福禄寿・寿老人・布袋尊は中国生まれ、恵比寿は日本生まれ。国を異にした神々が和合しました。弁財天=七福神唯一の女神です。学問・弁舌の神、弁才天として日本に入ってきましたが、 福徳、財物の神が加わって、弁財天と称されました。別名を妙音天、美音天。音楽の神様ともいわれ、琵琶をもって弾いています。◆学問』
門を造っていた。
急な階段を下り、利根川河川敷、鶯他の鳥が鳴く。初夏のような気温日差しだが、背中から吹く風は冷たい。河川敷を延々1キロほど歩く。
利根川の流れ
[海まで約82キロ地点]
⑥念仏寺[福禄寿]『福禄寿・中国では南極星の化身とされます。別名、南極老人。短身、長頭であかざの杖を持 ち、鶴と亀を従えた仙人で、年齢は数千年。福(幸福)、禄(生活と経済の安定)、寿(健康にして長命)の三徳をそなえた長寿安泰の神様。◆長寿』
⑦
本堂の扉はすべて開放され、本尊がお参りできる。これはうれしい。
防犯上からほとんどの寺で本堂は閉められている。
この寺は開放され、「土足でのぼらないでね」は禁止・命令ではなく、お願いのやさしさ。
旧取手宿本陣
茅葺き屋根、とてもよく保存され、内部を見学した。
⑦長禅寺[大黒天]『大黒天 インドの神様。日本に来て大国主命(おおくにぬしのみこと)と合体しました。有福の権化・勤労の神様、商売繁盛の神様です。頭巾をかぶり、大きな袋を肩にかけ、右手に打出の小槌を持って米俵の上に立っています。◆勤労』
急な階段の上にある。
三世堂
門
大黒天
取手駅すぐ、小高い丘の上にあり古刹である。
取手市は初めての訪問。古い街のようである。
駅は両口とも大きい。NECとキリンビールの大工場がある。
郊外に出ると水田地帯であった。
初夏のような気温、日射しだが、背中から吹く風は冷たい。
入浴したら腕が灼けていて痛かった。
利根川はゆったり流れているが、延々1キロの河川敷のウォークは、疲れも出てきたので単調で退屈だった。
取手市内も郊外も人通りはほとんどいない。
連休はほとんど仕事だったので、今週は休みが多く三回もウォークに出た。
とても疲れたが、楽しかった。