わが友マキアヴェッリ―フィレンツェ存亡/塩野七生著
・マキアヴェッリは1469.5.3生まれ。
・15世紀後半のイタリアはミラノ公国、ヴェネツィア共和国、フィレンツェ共和国、法王庁国家、ナポリ王国が列強として連なる大国であった。
・『君主論』のモデルは、チューザレ・ボルジアであった。
・16世紀初頭の都市国家フィレンツェの人口は約50万人であった。
・プラトンやアリストテレスの時代の政治[ポリティカ]は、倫理[エティカ]と同じことであった。
・マキアヴェッリが指導者に求めた三大要素は
①ヴィルトゥ=力量・才能・器量、~元々の意味は生命力が最上の状態で発揮され た時の人間
②フォルトゥーナ=運・好運、
③ネチェシタ=時代の要求に合致すること
・真のルネサンス魂はレオナルド・ダ・ヴィンチに体現されている。
・もともとその面の素質があったからその結晶である作品が生まれるのであって、環境はその素質を自覚させる役割しかもたない。
・マキアヴェッリ作喜劇『マンドラーゴラ』
・ある制度を維持したいと思えば、時にはその制度の基本精神に反することもあえてする勇気をもたねばならぬ~マキアヴェッリ
・ローマ法王が招集して成立する同盟は、普通、神聖同盟と呼ばれる。
・『君主論』:時代が変われば統治の方式もそれに応じて変わる必要がある。1513年。
・『政略理論』:共和制を維持したければ時には共和制の精神の反することもあえてする勇気をもたねば、共和制そのものをつぶしてしまう結果になる。1516年。
・『戦略論』:市民兵制度確立の必要性を徹底して論じる。1521年。
・1527年ドイツ・スペイン連合軍はローマ(バチカン)を陥落させる。現代ローマにバロック建築が多いのは、この時の略奪でルネサンス建築の8割が破壊された。ローマの人口は9万から3万に減った。
~フィレンツェはメディチ家が追放され、共和制に復帰した。マキアヴェッリは書記官に立候補したが落選した。その10日後、マキアヴェッリは病気で死んだ。58歳。
~1530年、フィレンツェ共和国は神聖ローマ帝国の手によって滅亡した。
以降、専制君主政が始まり実質的にはスペインの支配下に入り、反動宗教改革野荒らしが吹きまくり、ルネサンス時代は終焉した。
~1559年、マキアヴェッリの全著作は良きキリスト教徒には不適当なものとされ、禁書に指定された。
最後に「これを読み終えられた今、あなたにとってもこの男は、「わが友」になったでしょうか」と書いて塩野はこの本を終えたが、私のは今ひとつマキアヴェッリが魅力ある人物には感じられなかった。
・マキアヴェッリがルネサンスのまさに時代の渦中にいて、ミケランジェロに製作代金を届けたり、政治論だけでなく演劇の脚本まで書いていたことは知らなかった。
また、フィレンツェの大統領府の書記官(ノンキャリア)=課長クラスとして外国と交渉したりしたことも知らなかった。
・マキアヴェッリは1469.5.3生まれ。
・15世紀後半のイタリアはミラノ公国、ヴェネツィア共和国、フィレンツェ共和国、法王庁国家、ナポリ王国が列強として連なる大国であった。
・『君主論』のモデルは、チューザレ・ボルジアであった。
・16世紀初頭の都市国家フィレンツェの人口は約50万人であった。
・プラトンやアリストテレスの時代の政治[ポリティカ]は、倫理[エティカ]と同じことであった。
・マキアヴェッリが指導者に求めた三大要素は
①ヴィルトゥ=力量・才能・器量、~元々の意味は生命力が最上の状態で発揮され た時の人間
②フォルトゥーナ=運・好運、
③ネチェシタ=時代の要求に合致すること
・真のルネサンス魂はレオナルド・ダ・ヴィンチに体現されている。
・もともとその面の素質があったからその結晶である作品が生まれるのであって、環境はその素質を自覚させる役割しかもたない。
・マキアヴェッリ作喜劇『マンドラーゴラ』
・ある制度を維持したいと思えば、時にはその制度の基本精神に反することもあえてする勇気をもたねばならぬ~マキアヴェッリ
・ローマ法王が招集して成立する同盟は、普通、神聖同盟と呼ばれる。
・『君主論』:時代が変われば統治の方式もそれに応じて変わる必要がある。1513年。
・『政略理論』:共和制を維持したければ時には共和制の精神の反することもあえてする勇気をもたねば、共和制そのものをつぶしてしまう結果になる。1516年。
・『戦略論』:市民兵制度確立の必要性を徹底して論じる。1521年。
・1527年ドイツ・スペイン連合軍はローマ(バチカン)を陥落させる。現代ローマにバロック建築が多いのは、この時の略奪でルネサンス建築の8割が破壊された。ローマの人口は9万から3万に減った。
~フィレンツェはメディチ家が追放され、共和制に復帰した。マキアヴェッリは書記官に立候補したが落選した。その10日後、マキアヴェッリは病気で死んだ。58歳。
~1530年、フィレンツェ共和国は神聖ローマ帝国の手によって滅亡した。
以降、専制君主政が始まり実質的にはスペインの支配下に入り、反動宗教改革野荒らしが吹きまくり、ルネサンス時代は終焉した。
~1559年、マキアヴェッリの全著作は良きキリスト教徒には不適当なものとされ、禁書に指定された。
最後に「これを読み終えられた今、あなたにとってもこの男は、「わが友」になったでしょうか」と書いて塩野はこの本を終えたが、私のは今ひとつマキアヴェッリが魅力ある人物には感じられなかった。
・マキアヴェッリがルネサンスのまさに時代の渦中にいて、ミケランジェロに製作代金を届けたり、政治論だけでなく演劇の脚本まで書いていたことは知らなかった。
また、フィレンツェの大統領府の書記官(ノンキャリア)=課長クラスとして外国と交渉したりしたことも知らなかった。