風そよぐ部屋

ウォーキングと映画の無味感想ノート

ミルコのひかり

2007年10月01日 | 映画
ミルコのひかり 2005年イタリア映画


監督は『ニュー・シネマ・パラダイス』『ライフ・イズ・ビューティフル』などのクリスティアーノ・ボルトーネ
■2006年サン・パウロ国際映画祭観客賞 ■2007年モントリオール国際児童映画祭グランプリ

シネ・アミューズ[渋谷/文化村通り]

【あらすじ】[goo映画ミルコのひかりより]
1971年イタリア、トスカーナ地方。
10歳になるミルコは祖父の古い銃をいたずらし誤って暴発させ両眼に重傷を負い、視力はほとんど失ってしまう。
当時、イタリアの法律では視覚障害者は普通の学校には通えない規則になっており、
ミルコはジェノヴァの全寮制の盲学校に入る。
ミルコは、この境遇を受け入れられず心を閉ざしてしまうが、
古いテープレコーダーを偶然見つけ、音だけで物語を作り出す楽しみを覚える。
古い規律や体制を重んじる学校側は、
盲人は実社会でつらい失望を味わうよりは最初から幻想を抱かない方がいい、という。
だが彼の聴力の才能にいち早く気づいたジュリオ神父は、学校に内緒でミルコに新しいテープレコーダーを渡す。
ミルコは、その後も物語を録りつづけた。
ある晩、ミルコたちは学校をこっそり抜けだして映画館に行く。
学校の外では社会を変えるためのもっと大きな戦いが始まっていた。
学年末の発表会の日。ジュリオ神父とミルコたちによる童話劇が始まった…。

映画の最後に、「1975年、盲学校は廃止された」とコピーが流れる。
1970年代初頭、パリ5月革命を始め、全世界で新しい文化を想像する社会運動が起き、
世界は激しく揺れていた。
ミルコと、ミルコを見守る若い神父と、ミルコの先輩たち、
この時代に生き、時代の空気をすっていた。
この社会のうねりなしにイタリアで盲学校が廃止されることはなかった。
アメリカのギャローデットろう大学でろう者の学長を求めるストライキが起きたのも同時期であった。
そして、舞台はイタリアルネサンスの産声を上げたトスカーナ地方。
目の見えない子ども達が見えない子どもを演じているという。

佳作だ。
ミルコは完全に失明したのではなく、かなりの弱視だったようだが、
自転車を上手く乗った遠出するのはチョット違和感があった。
この映画が実話を元にしたとは言うが。
僕が一番感動したのは、子ども達が寮を抜け出して映画館で映画を見る所だ。
見えない子ども達が、まさか映画を見に行き、映画を楽しむとは思えなかったから。
彼らは映画を聞いて、感じているのだ。
障害者映画にありがちな、頑張る障害者が描かれていないのが何より良い。
イタリアの障害者の実際を僕は知らないが、
もうの人を、見えないがただ見えないだけの人として描いているように感じた。
それは、僕のイタリアファンのせいだけではないとないと思うのだが。

ミルコはその後、視力を回復し、イタリア映画の音響の専門家になったそうだ。

久しぶりに映画を観た。
定年退職後しシニアの特権=1000円を得た。
来週は何本か映画を見に行く予定だ。

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