風そよぐ部屋

ウォーキングと映画の無味感想ノート

相撲部屋巡り2

2007年10月05日 | ウォーキング
相撲部屋巡り2 2007/10/2

両国以外の相撲部屋も見たくなって出かけた。
今日は三つの相撲部屋を見た。
それでも家を出てから戻るまで4時間半かかった。



上野で日比谷線に乗り換え→茅場町で地下鉄東西線に乗り換え→南砂町駅下車




右側が田子ノ浦部屋の様で、一階には接骨院が入っていた。

ここから、都営新宿線・大島駅まで歩き、地下鉄で一之江駅に。
途中に大島神社



玄関が開いていて、入ることができた。
写真の傘の右側が土俵

玄関を入ると、髷の手入れをしていた、写真OKをもらって、
奧に食事中の力士の姿が見える。

伊勢の海部屋の建物・その前は区民菜園のようで、そこから撮った。

自転車が道路にはみ出さないようにきれいに二列に止めてあった。
江戸川の堤防のすぐ脇にある。


高田川部屋は路地の奧にあった、玄関は開いていたが、土俵は見えなかった。
玄関脇におとなしい柴犬がいた。
伊勢の海部屋とは江戸川を挟んで反対側=にぎやかな国道沿いにある。

一之江駅まで歩き、岩本町で下車し、外に出て、JR秋葉原までは歩いて5分。
新しい秋葉原駅構内を初めて歩いた。
筑波エキスプレスとを結ぶコンコースは広くきれいでわかりやすかった。
駅前は、以前の煩雑さと新しさが入り交じり、
小さな店内にメイドのコスチューム姿が見えた。

さて、若い力士がリンチで殺された。
稽古という名のリンチ=暴力は、これまで相撲界では公然であったと聞く。
たしか、何年か前、旭鷲山の大島部屋で新弟子の脱走事件でリンチ=制裁が新聞報道されたことがあった。
体育会系では、暴力は公然と認められてきた。
上下関係は美徳とされている。
プロ野球の中日の星野などの鉄拳制裁などはマスコミでは賞賛されこそすれ批判などされなかった。
私も、剣道をやっているので、こうした事情は知っている。
剣道ではかかり稽古、柔道では乱取り、野球では千本ノック、相撲ではぶつかり稽古などという。
この稽古は、何も考えずにひたすら先生・先輩にぶつかって行くことで、
体力の限界の中で、無意識の体の反応を鍛える、と言うのが目的だ。
確かにこの稽古はおもしろいこともあるし、有効ではある。
この稽古が、本人の自由意思で行われている場合は何ら問題ないのだが
この稽古は強制としても行われる。
それは、制裁・従順さをしつける方法としてなされていることは、程度の幅はあるとしても一般的なことである。
いわゆる“根性”論、である。

こうした根性論=精神主義は、疑いもなく戦前天皇制の名残だ。
武器など無くても、大和魂があれば、神風が吹き、勝利する、というのだ。
もちろんスポーツでは、精神は重要だが、“精神鍛錬は万能だ”なんて嘘っぱちだ。
スポーツで不屈の精神が鍛えられるなんてのは幻想、というより、そう思いたいのだ。
健全な体に健全な心が宿る、などとも言われるが、
どうしてそんな変なことが言えるのか。
“不健全”な体で不撓不屈の精神の持ち主を我々は知らないと言うのか。

もう一つはスポーツの持つ、大衆のイデオロギー支配の面だ。
スポーツは古今からナショナリズム高揚・大衆統合の重要な政策だった。
この前までは国体[名前からすごい]が地方ナショナリズム高揚で果たした役割は大きかった。
最近では高校野球である。
折しも終戦記念日・盆の時期、帰省中に地方ナショナリズムに国民が大統合されるのだ。
高校野球は、真剣で純粋だ、などとよく言えたものだ。
ほとんどの選手がスポーツ特待生で、高校の広告塔なのに。
寮に入って、下級生は上級生の洗濯をしたり、使いパシリするという。
朝日新聞などは恥ずかし気もなく連日、紙面の3~4面を使って、
エセ“健全”を売るのだ。

思わず大脱線したが、大相撲が今投げかけている問題は、
スポーツは弱くても良い、オリンピックでメダルなど取れなくても良い、
スポーツで国威発揚などできなくて良い、
健康のためでなく、ただ勝負を楽しむ、スポーツそのものを楽しむことこそが大事なんだ、と。




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