まさおっちの眼

生きている「今」をどう見るか。まさおっちの発言集です。

どこまでが表現の自由かの一線は!

2014-02-08 | 発言
月刊誌「文芸春秋」が昨年12月号に掲載した作家村上春樹氏の短編小説「ドライブ・マイ・カー」の記述をめぐり、宗谷管内中頓別町の町議有志が「屈辱的だ」などと批判したことが話題になっている。
小説では、同町出身の女性が車の窓からたばこを投げ捨てる場面で、主人公の感想として「たぶん中頓別町ではみんなが普通にやっていることなのだろう」と記述。これに同町の町議6人が反発したものだ。
村上春樹ファンのぼくも、この小説を読んでいたが、本編のテーマとはまったく関係なく、ほんのちょっとした記述である。
村上作品は、リアリティを持たせるために、小説の中に、ホンダアコードとかトヨタランドクルーザーなど固有名詞や実在のブランド名を次々と載せるケースが多い。また北海道の舞台が多く、その一環で書いたのだろう。
しかしなあ、小説の中で主人公が思ったことにクレームを付けるなんて、ちょっとなあ、表現の自由を損なわないかなあ。こんなことにいちいちクレームつけたら、何も書けなくなるよ。
と、はじめはそう思っていた。
待て待て、仮に自分の身になって考えてみて、おいらの知人が小説家で小説の下りに、俺の実名を挙げて「○○○○は本当に卑劣でバカな男だ」と書かれたとしたら、こりゃあ、やっぱり、いくらフィクションだと言われても怒るわなあ。
なんて考えていたら、村上氏は7日、文芸春秋を通じ「心苦しく残念。単行本では町名を変える」との見解を発表した。
 村上氏は、これまで北海道を何度も訪れ、今回の小説も親近感を持って書いたと説明。「名前の響きが好き」なため「中頓別町」を使用したが、「単行本にするときには別の名前に変えたい」とした。

まあ、どこまでが表現の自由か、難しい問題だなあ。