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飾釦(かざりぼたん)とは意匠を施されたお洒落な釦。生活に飾釦をと、もがきつつも綴るブログです。

僕は知らない寺山修司NO.127⇒「毛皮のマリー」(演出・主演:美輪明宏)

2009-04-20 | 寺山修司
■日時:2009年4月12日(日)、15:00~
■劇場:ル テアトル銀座
■作:寺山修司
■演出・美術:美輪明宏
■出演:美輪明宏、吉村卓也、麿赤児、菊池隆則、若松武史、他

寺山修司の「毛皮のマリー」は、ボクが3年前に寺山修司に興味を持ち始めてから何人かの演出家によるそれを数本観る機会がありましたが、美輪明宏による「毛皮のマリー」は一番観たかったもので、今回やっとそれを観ることができました。上演のパンフレットにも、これが年齢的にも最後になるかも、だから決定版にしたいといった風な美輪のコメントが載っていたので、ラッキーそのものでした。ボクにとっての美輪明宏のイメージは、オーライの泉のようなスピリチャルなものより「黒蜥蜴」や「毛皮のマリー」となにかゾクゾクさせる役柄を演じる女優?という印象が強くあって、それを観たことがないボクにもそんなイメージを抱かせるとは、よっぽどいい舞台、よっぽどいい演技なんだろう想像していたのです。その美輪の一方の当役の「黒蜥蜴」については、ボクがこのブログを始めるにあたり、まず江戸川乱歩にテーマを絞り書き始めたのですが、美輪版「黒蜥蜴」は乱歩初心者であったボクにとってはまだ観ぬ幻の作品でありました。しかしそれは2008年に今回と同じ劇場で観ることができ歓喜したものでした。後は「毛皮のマリー」のみ、となったわけで、今回の公演がどれだけ待ちどうしかったことか。ワクワク感もひとしおなわけです。期待度一杯で観た「毛皮のマリー」、それは「黒蜥蜴」の時と同様オーラが出ているお芝居でありました。

この美輪が演出し出演した「毛皮のマリー」は千両役者が揃っているというか、麿赤児にしろ若松武史にしろ見せる、魅せる。全く隙がない舞台でありました。そして美輪が時々発言し、有名になっているマリーの台詞・・・

“マリー「世界は何でできてるか考えたことある?水夫さん。表面は大抵、みんなウソでできているのよ・・・・・・牛肉の缶詰のレッテルだけの話じゃない、人生っていうのはみんなそう!表面はウソ、だけど中はホント。中はホント、と思うには、表がウソだといわなきゃならない。ね、そうでしょう?魂が遠洋航海するためには、からだの方はいつも空騒ぎ!いつでも二つの追っかけこでジャンケンで敗けた方がウソになってホントを追っかける。歴史はみんなウソ、去ってゆくものはみんなウソ、あした来る鬼だけが、ホント!(煙草のけむりを吐き捨てて)さ、これでおしまいよ。あたしの身の上話は・・・・・・”※「戯曲 毛皮のマリー・血は立ったまま眠っている」寺山 修司(角川文庫) より引用

この部分については、公演パンフレットに美輪自身によるすぐれた解説がありました。あらためてそれを読むと寺山の書いた台詞がここまで深い意味を持っていたのかとびっくりさせられます。あるいは本人さえ気がつかなかった名台詞なのかもしれません。それをやや長いですがパンフレットから引用します。

“「世界は何でできてるか考えたことある?水夫さん」のい解釈の仕方にしても、「牛肉の缶詰のレッテルだけの話じゃない、人生っていうのはみんなそう」という中身と外が違うのが世間の常識という、つまり本音と建前の話をしている。そこで、「魂が遠洋航海するためには、からだの方はいつも空騒ぎ」という台詞。魂の遠洋航海とは、人間がこの世に生れてきて死ぬ、転生輪廻の物語です。魂、霊魂、それが純粋エネルギーとして純度の高い魂になるためには、ありとあらゆる人種、性別、職業、人間の人生をうまれかわり、死にかわりして、その経験を積むたびに人は他人の喜怒哀楽に対する思いやりが生まれてくるわけです。魂の方はそれで人に対する思いやり、痛み、温かさというのが解るけれども、体の方はいつも大騒ぎ、男になったり、女になったり、ユダヤ人になったり、日本人になったり。妊娠してみたり、いろいろなことがあって、その苦しみや悲しみ、落ち込んでみたりと、あらゆることを体験しなければいけないのです。だからいつも体の方は空騒ぎなのです。

権力者が無理を通せば道理が引っ込んでしまうという、悔しいけれどもそれが世の中の通り相場になっている。「歴史はみんなウソ」というのは、時の権力者によって全部都合のいいように歴史の本は書きかえられている。その事を指してしる。権力に負けて去って行った人たち、自分を置いて死んで行った者達への哀れみ、それ等は血縁関係者であったり、愛した男たちであったり、女たちであったり、子供であったり、為政者に蹴散らされた庶民であったり、なぜあなたたちは戦わなかったのか、もっと立ち上がって戦えばよかったのにと。だから「去ってゆくものはみんなウソ」という台詞になっている。そして「あした来る鬼だけが、ホント」と、みんな「ウソ」なのだけれども、明日になれば会社に行かなければいけない。会社には嫌な上司とか、足を引っ張る同僚がいたり、家の中にも大姑、小姑がいたり、PTAに行けば敵対する人がいたり、人間社会どこへ行っても赤鬼、青鬼はいるわけです。だから「あした来る鬼」だけは、現実で生きている以上は逃げ場がどこにもないという避けられない事実です。そして「あした来る鬼だけが、ホント」という台詞に結実します。”※2009年「毛皮のマリー」公演パンフレットから引用

と、美輪の説明によってそれは力強く勇気をわかせる台詞になってくるのであります。思うにこの美輪の解釈は、それに続くラストの美輪オリジナルの展開に繋がっていくように感じたのであります。ボクのそのイメージを書いていくと、ラスト近くに、マリーの話を聞いた欣也が絶望の果てに家を出ていきます。しかしマリーはきっと戻ってくると。すると欣也その通り戻ってきますが傷だらけとなっているのです。街の不良(そんなの死語かもしれないけど)に絡まれたのです。そんな傷ついた彼の姿を見たマリーの心には、本当の意味での“母性”が生まれたのかもしれません。部屋まで追いかけてきた不良らをマリーは、般若の相となって刃物を持って蹴散らします。しかしどこかマリーは苦しそうです。彼女には母性の発現とともに同時に悔恨の念も湧いてきたのかも知れません。マリーはマリー自身のエゴを欣也に投影していたからです。異形というレッテルと蔑視の視線によって見てきた人の真実、しかし彼女も刹那的な快楽に生きる人なのでありました。そして欣也に対して、一見母親的な役回りで接しているのですが、実はまるで彼が採取していた蝶と欣也の関係のようにマリーと欣也はそれと相似形であり、相手を尊重することなく意識的か無意識的にか自分を辱めた復讐の念を心に忘れることなく抱きながら、自身のエゴを欣也に投影、ぶつけていたのであったに違いないのです。

しかしマリーは、今欣也を心底必要な存在であると悟ったのです。それは大いなる愛そのもの。しかし愛に飢えてきたマリーは、その包み込むような感覚に戸惑うしかありません。彼女は錯乱の内に、まだ無垢で純粋、幸せを素直に感じ取ることができた子供時代へと退行していってしまうようです。想えばそこから人生の歯車がズレていったのかも知れません。“かくれんぼ”。マリーが鬼だ。もういいかい、まあだだよ。皆が隠れて見えなくなるまで目を閉ざして待っている鬼は、実は孤独でひとりぼっちなんです。目を塞いだまま鬼となってずっと待ち続けるマリー、それが彼女の真の心の姿なのかm知れません。そしてそれを見ている欣也も同じようにかくれんぼの鬼の姿勢となります。欣也がマリーを受容した瞬間なのでしょうか?かくれんぼは、また寺山修司にとっても重要なモチーフでありました。彼等を見ている白い仮面をつけた少年や女性が現れたのは、寺山か母のはつか?それとも美輪自身か?あるいはヨイトマケの歌に出てくる母ちゃんなのか?……。

そこで幕が一旦下り、そしてすぐに上がります。時間は夕暮れとなっていて、再び幕。長い時間マリーと欣也はかくれんぼの鬼の姿勢のままなわけです。お互いが孤独な存在であったのでしょう。やがて見世物小屋の呼び込みのいかがわしいくも陽気なチンドン屋の音楽が流れ出演者らが登場します。劇場は拍手の渦。しかし、「毛皮のマリー」はここでは終わったわけではありません。カーテンコールの中、巨大な孔雀を背景に光とともに白い天使の衣装を纏ったマリーと欣也が登場します。それは至福と賛美と浄化された姿なのです。彼等の魂は今、愛の光に包まれた。そうしたイメージを掻き立てたエンディングでありました。

つまり「あした来る鬼だけが、ホント」ならば、それは大いなる愛の力で包み込み込んでしまえばいい、愛こそが最も人間にとって勇気のいることであり、最も強いものであること、それは人間でしかなしえないことなのだとそう美輪明宏は寺山修司の戯曲を超えてメッセージしているように思いました。


※「毛皮のマリー」過去記事
◆僕は知らない寺山修司NO.83⇒「毛皮のマリー」(ティー・ファクトリー)
◆僕は知らない寺山修司NO.71⇒「毛皮のマリー 人形劇版」 平常
◆僕は知らない寺山修司NO.31⇒劇団翠公演「毛皮のマリー」
◆僕は知らない寺山修司NO.32 ⇒「毛皮のマリー」(パルコ劇場1983年公演ビデオ)
◆僕は知らない寺山修司NO.33⇒「毛皮のマリー」(角川文庫)



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