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飾釦(かざりぼたん)とは意匠を施されたお洒落な釦。生活に飾釦をと、もがきつつも綴るブログです。

1冊/週の新書・第50週・・・『<狂い>と信仰』町田宗鳳(PHP新書)

2009-04-17 | 新書(読書)
★★『<狂い>と信仰 狂わなければ救われない』
                 町田宗鳳(PHP新書)★★


著者の町田は、宗教の研究や現場体験を経験(禅やキリスト教など)、いまだ信仰は固まらない煩悩の夫としながら、宗教的な基盤の要素についてある確信を持っているといいます。それがこの本のテーマとなっている<狂い>というもの。<狂い>こそは、あらゆる宗教のはたまた人種や文化の如何を問わず人間存在の共通基盤となっているのだとするのです。

では、その<狂い>とは一体なにか?町田は、“理性では覆いきれない人間性の最も奥深い闇の中で、不気味にトグロを巻いている何物か”であると説明、“何者か”としているように明解にこれと提示できるものではない。よって精神医学でいうところの生命感情とか、地球の内部にあるマグマのようなものと例えたりします。それはある種の感覚のようなものに近いものなんでしょうね。そこで町田は彼のいうところの<狂い>の感覚を読者に掴ませるため、古今東西の事例を列挙しながら朧げながらも描き出そうとしています。

それを読んで、ボクなりに感じとった<狂い>とは、仏教でいうところの煩悩に近いものじゃないのかなと思いました。結局この<狂い>とは非常に無意識の奥深いところにあって自覚も難しいく、一筋縄ではいかないそして制御も簡単にできるものではない、そうした根本的な所で人をつき動かすものであるということと、<狂い>という言葉に表現されているように理性的なものではないという点からも、いわゆる煩悩に近いんじゃないのだろうかと感じるわけです。

そして、この<狂い>の核心に「救い」や「悟り」といったものがあると町田は言っているということは、煩悩そのものを包み込むことにより安寧の境地に至ることができるのではないかと想像するわけです。煩悩そのものの存在としてのボク自身は、イコール<狂い>の存在でもあるのでしょう。

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町田 宗鳳
PHP研究所

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