東京国立近代美術館で開催中の「フランシス・ベーコン展」を見てきました。ベーコンの展覧会は日本においては30年ぶりの開催というのですが、私はその30年前に開かれた展覧会を京都で見に行っているのですから、同じく30年ぶりの再対面ということになります。丁度22歳の時に見たベーコンのインパクトは強くて、当時の展覧会画集やチラシを今も大切に保存しています。剥き出しの肉がぐにゃぐにゃと絡まって私たち普通に認識する肉体を形成していないベーコンが描く絵、ムンクの有名な「叫び」が霞んでしまうほどまさに存在の叫びを発しているかのような絵、エイリアンのクリーチャーを想起させるような動物的とも言える牙のような歯と口を持った肉の塊、それらの絵は若い私にとってこんな絵を描く画家がいたんだと以来私の記憶の中にしっかりと刻み込まれているのです。その感性は全く古びておりません。むしろ情報が高度に発達しリアリティが昔とくらべ欠如してきている今という現代にこそベーコンの絵は生々しいものとして強烈に訴えかけてくるのではないでしょうか。
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美術展の会場には若い人が比較的多いのが目についたように思います。おそらくはベーコン展の鑑賞者の中では、美術系の学生や音楽を志す人、文筆を生業と目論んでいる若者など、30年ぶりに開催された展覧会なので、伝説のベーコンをとばかり明日を夢見るクリエイターらも足を運んだのではないかと思いました。先にも書いたように、私にとっても久しぶりのベーコン作品との対面ですが、その鮮烈なイメージの印象は変わらず目の前にありました。ピカソと並ぶ作家と言われていますがそれも頷けます。展覧会におけるベーコンの各時代の分け方が「移行する身体」「虐げられた身体」「物語らない身体」というようになっていましたが、いずれも身体というのがキーワードにあって、あの剥き出し肉の塊のようなベーコンの身体は彼の世界にとっては欠かせないものということが明確に位置づけられています。展覧会場でベーコンの身体像はピカソの子供が描いたような絵とともに20世紀の重要な感性表現の一つなのかもしれないなあ、と思ってみたりしました。だってディヴィッド・リンチやエイリアンをデザインしたギーガーらに影響を与えているのは間違いでしょうから…。
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