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精神の極北そして鬱の森#2・・・映画「ダンサー・イン・ザ・ダーク」(監督:ラース・フォン・トリアー)

2012-02-27 | Weblog

■製作年:2000年

■監督:ラース・フォン・トリアー

■出演:ビョーク、カトリーヌ・ドヌーヴ、ディヴィド・モース、ピーター・ストーメア、他

 

今公開中の映画で世界の終末を描いたと話題の「メランコリア」を監督したラース・フォン・トリアー。私が彼の作品を初めて見たのは、これまた映画館で見て、衝撃的な内容でびっくりさせられた「アンチクライスト」です。彼の作品は、以前テレビで「キングダム」を見たことがあるものの異様なイメージが残っている程度で、こんな映画創る人一体何者?とくるのですが、「メランコリア」を見る前に、他の作品を見てみたくなりカンヌ映画祭でパルムドールを受賞しているトリアー監督の代表作「ダンサー・イン・ザ・ダーク」を見ました。眩暈がするような不安定なそして気も重くなる映像は、こちらも「アンチクライスト」以上、負けじ劣らじのヘビーな映画でした。公開当時、少なくとも映画館の大画面で見た人は露骨な嫌悪感を感じる方もいるだろうと想像できる作品で、きっと賛否両論が多かった作品なんだろうなと容易に想像できる映画でありました。私はDVDで見たのですが、映画館で見たら相当インパクトがあったんだろうな、皆暗い顔して映画館を出てきたんでしょう。そしてしばらくは映画の重苦しい空気を引きずったに違いありません。この作品は好きか嫌いかというと嫌いが多く、アート系の作品としては評価する人が多い、そんな風な感じになるんじゃないかなと思いました。

 

私の感想としては、物語自体は全く救いがない悲惨なもので気が滅入ってしまうのですが、別の側面からは、よくこういう映画をつくったなと監督の創作姿勢に感心させられました。作家的としての考えにおいて妥協しないとも見ることもできるからです。もし映画を見て嫌悪感を抱くとしたら、ゾンビ映画などの類の方が実はもっと感じてしかりなのではないでしょうか。死体が生き返り生身の人間の肉を喰らうなんて悍ましく嫌悪の極致にあります。それが安心してゾンビ映画を見ていられるのは、立ち位置を映画そのものの中に置いているのではなくちょっとズラシた所から見ていて、ゾンビの造形がリアルだ、ただの脅かしの作品ではない、あるいは西部劇のようなアクション映画として見ている場合が多いからでしょう。逆に、この「ダンサー・イン・ザ・ダーク」に嫌悪感が感じるとしたら、それは映画の世界に、主人公のビョーク演じるセルマに苛立ちと矛盾を感じながらも、どっぷり浸かり感情を揺り動かされているからではないでしょうか。この映画には観客の目を一時も離させない緊張がずっと走り続けています。そして、前半の展開から後半の思わぬ展開で観客がどこかで思っている予定調和の世界を裏切り続け、ラストの衝撃的なエンディングで衝撃の一打を加えるのです。

 

もし、この映画が最低だと言われてもそれはそれでこの映画を創ったラース・フォン・トリアー監督の勝利なのだと思うのです。なぜなら見た者の心のなかに痛い釘を刺したことは間違いないからです。そしてその釘が否定的な感情の引き金となっていたとしてもそれは主人公セルマの扱いにそう思ってしまっているだけなのです。もし映画の展開がセルマの救済的な方向に向かっていればまた違った感情を抱くはずだからです。プロセスにおいては揺るぎない力で見せていっているので、もしかしたら最高の映画だと言っているかも知れないのです(容易に反転しうる要素を多分に持っている)。このラース・フォン・トリアー監督はそうしたことは充分承知の織り込み済みで映画を創っていると想像しうるし、妥協のない姿勢がそこには見られると思うのです。そうでなければ、ヨーロッパを舞台にしてもこの映画は創れたはずですが、わざわざアメリカを舞台にしたというところ(しかもアメリカでは撮影しておらず、目安は記号として国旗のみという…)に、そもそも監督の意向が見え隠れするのではないかと。そこへきてエンタテイメント色を排除しているかのようなミュージカル仕立てですから。

 

思うに映画の主人公はいい人でなければならないとか、悪人でもどこかほろりとさせられるものがなければいけないとか、私たちの琴線に触れるところがないといけないという法はありません。子供に遺伝するかもしれないのに赤ちゃんを抱きたいという思いで産むのはエゴの塊ではないのか?あれほど拒絶したのに最後は子供の名前を叫び続けるのは矛盾しているし往生際が悪いのでは?などと主人公に素直に思い入れがしづらい面があるものの意外と現実はそうした矛盾した自己都合の論理で無意識に動いているんじゃないかとも逆に思えたのです。自虐的ですがセルマは私たち自身ではないのか?と。セルマは写し鏡なのだと。ショッキングなのは生々しく極端な最後の死刑の場面を描いたからであり、他の監督では描かなかったかもしれないそこの場面がないとこの映画は実は成立しなかったのではないか?と。そうでないとカンヌ映画祭で賞はとれないし、キネマ旬報のベスト10にも選ばれないとも思います。私としてはとても興味深い映画でした。というか、ラース・フォン・トリアー監督に俄然興味がでてきました。

 

 

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