千葉市美術館で「MASKS-仮の面」展(8/15で終了)を見てきました。千葉市美術館へ行くのは「若冲」展に行ったので、今年で2回目となります。<仮面>については興味があったので開催情報を知って楽しみにしていたのですが、行くのに2時間以上かかるので遠いという気持ちが先に立ち、会期終了間際に駆け込んだといったとこです。最近の美術展は人が多くて嫌になっちゃうのですが(美術展が人で一杯になるというのはここ数年のことではないかと思っています。少なくとも20年前は今のように人がいなかったと思う)、今回の「MASKS-仮の面」展は、逆に人が少なすぎてゆっくり見れました。我が儘言えばこれくらいゆっくりどの展覧会も見れれば、またイメージの世界が広がろうというもんですが。
仮面とくれば日本では雅楽(舞楽)であったり、伝統芸能の能であったり、寺社仏閣などで見かける天狗や鬼の面であったりするのですが、それらは日常では見かけることがありません。子供の頃に縁日に露店で売られていたセルロイドのキャラクターのお面だって珍しいものになっています。寧ろドン・キホーテなどの仮装パーティー・コーナーで売られているハロウィンなどの仮面の方が、今の日本人にとっては親しみのあるものになっているのかも知れません。「変身!」ではありませんが、49歳になるボクにとってしても、一番馴染みのある<仮面>は子供の頃に流行った「仮面ライダー」なわけですから…。
ではなぜ<仮面>に興味を感じるかといえば、学生のころ感銘を受けて読んだ哲学者のニーチェ(今また本が売れているようですが)の写真を見ると堂々とした髭を生やしていて、それが精神分析の学者の本によると、そのニーチェの髭は<仮面>的な要素が強いとどこかで読んだからです。つまりニーチェはニヒリズムを批判する超人思想の哲学を構築しながら、実はニーチェ自身が一番ニヒルでペシミズムに陥りやすい感性を持っていたこと、それを隠すために<仮面>として逞しい髭を生やしていたということなのです。自分の弱点を意識的か無意識的にかわかりませんが<仮面>によって覆い隠していたという観点はおおいに興味をそそられ、以来、<仮面>という言葉はボクにとってキーワードの一つになったのです。しかし、そのニーチェ<仮面>自体は心理的な機能のものであり、人類の遺産として残されている今回展示された<仮面>とは意味合いが違うのですが…
見てきた<仮面>は、芸能であったり、祭祀や儀礼(成人への通過儀礼や死者を弔う儀礼など)、魔よけなどお守りのように使用されてきたものであったり、そこには普遍的に人間の精神が根源的に持ち得ている超自然的な感性=宗教的な感性とそれに伴う信仰の為せる業の所産であり、人間の原型的ともいえる行為なのです。その<仮面>の中には制作された時代が古く虫食いにあっていたり、煤で黒くなっていたり、あるいは写真ではけっしてわからない大きさや質感、立体的な造形(とくにアフリカの仮面は正面から見るのと横から見るのとは全く違って見える)などが感じ取れるのです。現物の生の迫力です。たとえば何らかの儀式で使われる<仮面>が、それを被った者がトランス状態=憑依に陥り神々や精霊と交信するというものわかるような気がするのです。不思議と<仮面>を見ていると原始的?な感性が復活してくるような気がします。そもそもそれ自体が超自然的な神々しさを放っている<仮面>の一群を見て、それは忘我の状態へ持っていくためのひとつのツールに思えてきたのでした。
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仮面とくれば日本では雅楽(舞楽)であったり、伝統芸能の能であったり、寺社仏閣などで見かける天狗や鬼の面であったりするのですが、それらは日常では見かけることがありません。子供の頃に縁日に露店で売られていたセルロイドのキャラクターのお面だって珍しいものになっています。寧ろドン・キホーテなどの仮装パーティー・コーナーで売られているハロウィンなどの仮面の方が、今の日本人にとっては親しみのあるものになっているのかも知れません。「変身!」ではありませんが、49歳になるボクにとってしても、一番馴染みのある<仮面>は子供の頃に流行った「仮面ライダー」なわけですから…。
ではなぜ<仮面>に興味を感じるかといえば、学生のころ感銘を受けて読んだ哲学者のニーチェ(今また本が売れているようですが)の写真を見ると堂々とした髭を生やしていて、それが精神分析の学者の本によると、そのニーチェの髭は<仮面>的な要素が強いとどこかで読んだからです。つまりニーチェはニヒリズムを批判する超人思想の哲学を構築しながら、実はニーチェ自身が一番ニヒルでペシミズムに陥りやすい感性を持っていたこと、それを隠すために<仮面>として逞しい髭を生やしていたということなのです。自分の弱点を意識的か無意識的にかわかりませんが<仮面>によって覆い隠していたという観点はおおいに興味をそそられ、以来、<仮面>という言葉はボクにとってキーワードの一つになったのです。しかし、そのニーチェ<仮面>自体は心理的な機能のものであり、人類の遺産として残されている今回展示された<仮面>とは意味合いが違うのですが…
見てきた<仮面>は、芸能であったり、祭祀や儀礼(成人への通過儀礼や死者を弔う儀礼など)、魔よけなどお守りのように使用されてきたものであったり、そこには普遍的に人間の精神が根源的に持ち得ている超自然的な感性=宗教的な感性とそれに伴う信仰の為せる業の所産であり、人間の原型的ともいえる行為なのです。その<仮面>の中には制作された時代が古く虫食いにあっていたり、煤で黒くなっていたり、あるいは写真ではけっしてわからない大きさや質感、立体的な造形(とくにアフリカの仮面は正面から見るのと横から見るのとは全く違って見える)などが感じ取れるのです。現物の生の迫力です。たとえば何らかの儀式で使われる<仮面>が、それを被った者がトランス状態=憑依に陥り神々や精霊と交信するというものわかるような気がするのです。不思議と<仮面>を見ていると原始的?な感性が復活してくるような気がします。そもそもそれ自体が超自然的な神々しさを放っている<仮面>の一群を見て、それは忘我の状態へ持っていくためのひとつのツールに思えてきたのでした。
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>自分の顔さえ、真実かどうか怪しいものです。
全くその通りです。
>仮面を見る仮面をかぶった自分と・・・エンドレスです。
この世は仮面地獄?
当方にコメントTBありがとうございました。
お面の魅力あふれる展示でした。
お面そのものがあるお陰で
人は随分助かってきたんだなぁとも思いました。
自分の顔さえ、真実かどうか怪しいものです。
それを探して色んな事が生まれたのですね~
仮面を見る仮面をかぶった自分と・・・エンドレスです。