京都国立博物館で開催中の「上田秋成」展を見てきました。もちろん東京在住のボクは、研究者でもないのでわざわざそれを京都まで見に行ったという訳ではない。たまたま用事が重なったので足を伸ばしたといったところなのである。しかし、古典など高校の授業以来詠んだことがないのに(高校生は30年以上前)、2年ほど前にお芝居を見る機会もあって上田秋成の代表作「雨月物語」にチャレンジしたことがあった。古典あるいは古文など面白くないとはボクの勝手な思い込みで、どうしてそれがなかなかよかったのである。時間はかかったが一冊の古典を読み終えた時は充実感さえ覚えたのでした。それに勢いづいてボクは上田秋成が確かに存在していたんだという息吹を感じたく墓や寓居跡地などを見行ったりすることになる。だからこの上田秋成の展覧会の開催情報を知った時は、遠いけど行ってみたいと思っていた。それが運よく京都へ行く機会を持てたのはラッキーだった。
その展示は上田秋成の肖像や「雨月物語」初版本、自筆による「春雨物語」や随筆「胆大小心録」といったものから俳句に短歌など。ただ昔の人なのでダイレクトに残っている資料はそんなに多くはなかった。会場の半分は上田秋成と交遊などがあった画家などの絵などの絵を展示し上田秋成と同時代に生きた人達を感じる構成になっている。交流があった人達は怱々たるもんで丸山応挙、池大雅、与謝蕪村、呉春、伊藤若冲などなど日本美術を代表する面々が並んでいる。特に伊藤若冲には驚きだった。先に書いたようにボクは数年前に京都の西福寺にある上田秋成の墓を以前に見に行ったことがあるが、その秋成の墓に使われている蟹型墓石は伊藤若冲の作によるものであるというのだ。(蟹を意味する「無腸」という秋成の号にちなんでいるという)その伊藤若冲による蟹型墓石は、これまたボクが若冲の五百羅漢を見たいと見に行った京都・石峰寺から持ってきて据えたものらしく、この展覧会でボクの過去の行動が、西福寺と石峰寺、上田秋成に伊藤若冲というラインで繋がったのだ。これはちょっとしたボクの中の驚きで、訪れた場所は取り立てて京都では有名な観光地にはなっていない地味な場所なのだが、歴史はそこかしこに面で繋がっているということを知らされたのである。
ところで、ボクは30年前の学生時代に京都に住んでいて、一度だけ三十三間堂とともに京都国立博物館へ行ったことがある。今回、「上田秋成」展を見に行ってその時の記憶をうっすらと思い出した。ボクにとって京都は歴史が一杯詰まった場所であるとともに、思い出の街の一つなのだ。
京都国立博物館
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その展示は上田秋成の肖像や「雨月物語」初版本、自筆による「春雨物語」や随筆「胆大小心録」といったものから俳句に短歌など。ただ昔の人なのでダイレクトに残っている資料はそんなに多くはなかった。会場の半分は上田秋成と交遊などがあった画家などの絵などの絵を展示し上田秋成と同時代に生きた人達を感じる構成になっている。交流があった人達は怱々たるもんで丸山応挙、池大雅、与謝蕪村、呉春、伊藤若冲などなど日本美術を代表する面々が並んでいる。特に伊藤若冲には驚きだった。先に書いたようにボクは数年前に京都の西福寺にある上田秋成の墓を以前に見に行ったことがあるが、その秋成の墓に使われている蟹型墓石は伊藤若冲の作によるものであるというのだ。(蟹を意味する「無腸」という秋成の号にちなんでいるという)その伊藤若冲による蟹型墓石は、これまたボクが若冲の五百羅漢を見たいと見に行った京都・石峰寺から持ってきて据えたものらしく、この展覧会でボクの過去の行動が、西福寺と石峰寺、上田秋成に伊藤若冲というラインで繋がったのだ。これはちょっとしたボクの中の驚きで、訪れた場所は取り立てて京都では有名な観光地にはなっていない地味な場所なのだが、歴史はそこかしこに面で繋がっているということを知らされたのである。
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恥ずかしながら、截金は知りませんでしたが、とても美しいですね!
実物を見てみたくなりました。