□158『岡山の今昔』~13世紀の岡山人(栄西)

2018-12-26 23:26:58 | Weblog

158『岡山(備前・備中・美作)の今昔』~13世紀の岡山人(栄西)

   臨済禅は、栄西(えいさい、1141~1215)が中国の宋から持ち帰る。武士にも参禅する者が相次いでいく。栄西その人は、備中国の吉備津神社の神主、賀陽(かや)氏の出身と聞く。19歳の時比叡山へ上り、天台宗徒になる。

 伯耆(ほうき)の国の大山寺にも学んだものの、中国留学の志が抑えがたく、伝手(つて)を求めて1168年(仁安3年)に中国大陸に行く。次いで1187年(文治3年)にもう一度、宋(いわゆる南宋(なんそう)のことで、1127~1279年に栄えた)を訪れる。二回目に行った時には明確に禅の一派を学ぶ意思があり、中国大陸の天台山の萬年禅寺で虚○懐○(こあんえじょう)の下で禅を学んで帰国した。

 京都において大いに布教しようとして果たせなかった。そこで鎌倉に赴き、そこで北条政子をはじめ、武士社会への浸透を図っていく。その試みは、無駄ではなかった。当初の想像以上に、うまく行ったものと見える。日頃から死と向かい合わせにいる武士の精神世界に、彼の持ち込んだ禅の思想が合ったのではないか。

 それから、栄西が中国から他に持ち帰ったものに茶の苗があったらしく、佐賀の山村(現在の佐賀県神埼郡脊振村(かんざきぐんせふりむら))に植えたとのこと。現在では、この過疎の村は、日本茶の発祥の地の一つとして知られる。なお、大陸から日本への茶の伝来は、一説には、奈良時代の終わりから平安時代の初期にかけてのことだった、とされる。

(続く)

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