♦️434の4『自然と人間の歴史・世界篇』チェ・ゲバラ

2018-11-17 08:49:05 | Weblog

 434の4『自然と人間の歴史・世界篇』チェ・ゲバラ

 チェ・ゲバラ(エルネスト・ラファエル・ゲバラ・デ・ラ・セルナ、1928~1967)は、南アメリカの統一をめざした革命家、政治家であった。そのきさくさと類まれな人民奉仕の精神で、今なお世界に広く知られる。アルゼンチンに生まれた。青年期から南米各地をまわり、そこかしこでの貧困や病気、圧政と不平等に苦しむ人々を目の当たりにした。

 やがて政治的な行動に打って出る。キューバにおいては、1952年に軍事クーデターによってフルヘンシオ・バティスタが政権に復帰していた。彼は、それまでの政権同様に親米政策をとる。アメリカからの援助をうけつつ国民の自由と生活を抑圧することで独裁体制の強化を進めていた。

 これに対して、ゲバラはフィデル・カストロとラウル・カストロの兄弟とともに武装闘争を起こす。1959年1月にバチスタ政権を打倒した。新しい国造りの過程で、ゲバラは大いに働いた。

 やがて彼は、カストロにしばしの別れを告げ、1966年ボリビアに赴く。当地の革命を支援するためであった。1684年にボリビアで成立した、バリエントスの率いる軍事評議会は、先のボリビア革命での農地改革、福祉政策の大方については継承した。しかし、労働者階級には冷淡であった。この新たな軍事政権は1966年の大統領選挙において、新興鉱山主湊や官僚層の支持も受け、バリエントスが大統領になる。

 統治に潜入したゲバラは、南アフリカ大陸の大革命の根拠地とするべく、ELM(ボリビア民族解放軍)を組織し、ボリビア政府に対抗する。政権は、

ゲバラらELMと鉱山労働者の連携を阻むため、カタビ鉱山の労働者を吸収して多数の交付を虐殺するなどして、戦う。アメリカが、このバリエントス政権を強力に後押ししていた。農民層は土地改革で保守的立場を強めており、ELMの味方ではなくなっていた。

 そうこうしてELMのゲリラ活動は封じ込まれていき、ついに壊滅され、ゲバラは銃殺された。

 

(続く)

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