○○305『自然と人間の歴史・日本篇』明治から大正へ2(1920~1924年まで)

2017-08-08 21:34:01 | Weblog

305『自然と人間の歴史・日本篇』明治から大正へ2(1920~1924年まで)

 そして迎えた1920年2月、野党が普通選挙法案を提出したのを機に、原首相はこれに反対の立場から衆議院を解散するに至る。解散の11日前に、「積極財政」を前面に出した1920年度予算が衆議院を通過していたこと、同年3月から5月にかけての「反動恐慌」が民間では大不況へ向かう前触れとして一般大衆に感じられていなかったことなどせが、5月10日の総選挙実施と開票結果に幸いした。これら選挙法改正による「ガス抜き」からの要因に助けられた形で、原首相の与党・政友党は衆議院464議席中278議席を得て選挙に圧勝したのであった。
 1922年(大正9年)3月には、全国が結成される。その綱領には、こうあった。
 「一、特殊民は民自身の行動によって絶対の解放を期す
一、吾々特殊民は絶対に経済の自由と職業の自由を社会に要求し以て獲得を期す
一、吾等は人間性の原理に覚醒し人類最高の完成に向って突進す
大正十一年三月三日、全國創立大會」
結成に際しては、次の呼びかけが採択された。被差別者自身が自主的な運動で解放を勝ち取ることをうたったもので、執筆したのは西光万吉(さいこうまんきち)という奈良県の被差別の青年であった。
 「全國に散在する吾が特殊民よ團結せよ。
 長い間虐められて來た兄弟よ、過去半世紀間に種々なる方法と、多くの人々によってなされた吾らの爲の運動が、何等の有難い効果を齎らさなかった事實は、夫等のすべてが吾々によって、又他の人々によって毎に人間を冒涜されてゐた罰であったのだ。そしてこれ等の人間を勦るかの如き運動は、かえって多くの兄弟を堕落させた事を想へば、此際吾等の中より人間を尊敬する事によって自ら解放せんとする者の集團運動を起せるは、寧ろ必然である。
 兄弟よ、吾々の祖先は自由、平等の渇迎者であり、實行者であった。陋劣なる階級政策の犠牲者であり、男らしき産業的殉教者であったのだ。ケモノの皮を剥ぐ報酬として、生々しき人間の皮を剥ぎ取られ、ケモノの心臓を裂く代價として、暖かい人間の心臓を引裂かれ、そこへ下らない嘲笑の唾まで吐きかけられた呪はれの夜の惡夢のうちにも、なほ誇り得る人間の血は、涸れずにあった。そうだ、そして吾々は、この血を享けて人間が神にかわらうとする時代にあうたのだ。犠牲者がその烙印を投げ返す時が來たのだ。殉教者が、その荊冠を祝福される時が來たのだ。
 吾々がエタである事を誇り得る時が來たのだ。
 吾々は、かならず卑屈なる言葉と怯懦なる行爲によって、祖先を辱しめ、人間を冒涜してはならなぬ。そうして人の世の冷たさが、何んなに冷たいか、人間を勦る事が何であるかをよく知ってゐる吾々は、心から人生の熱と光を願求禮讃するものである。
 は、かくして生れた。
 人の世に熱あれ、人間に光りあれ。」

(続く)

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