666『自然と人間の歴史・世界篇』ペルー(1960年代)
ペルーでは、1968年10月3日、ファン・ベラスコ・アルバラードの率いる軍部が、無血クーデタでフェルナンド・ベラウンデ・テリー大統領を追放して権力を握る。
これに先立つ1968年8月13日、ペルー政府はスタンダード・オイル・オブ・ニュージャージー(米国の石油メジャー)の子会社であるインターナショナル・ペトロニアム・オイル(IPC)との間に「タララ協定」を結んでいた。このタララ協定では、IPCが違法に石油を採掘したときはその分の石油代金をペルー政府に支払うこととしていた。ところが、この約定の解釈等を巡って両者の折り合いができないことから、これを不満としたファン・ベラスコ・アルバラード大統領は同年10月9日、IPCの全資産を無償で接収し、国有化した。
また、新政権はアメリカ人所有の鉄鉱石採掘会社であるアルコナ社をも国有化した。これらは国民の喝采をもって迎えられた。 同政権はまた、自主独立を旗印に「資本主義でもなく、また共産主義でもない人間的な社会主義」ということで、ユーゴスラビアを一つのモデルに体制の模索を進め、第三世界を中心に多角化された外交関係の構築を進めていく。具体的には、1969年年のアンデス共同市場の形成を皮切りに、チリのアジェンデ人民連合政権といったラテンアメリカ域内の左派政権との関係改善が行われていく。1969年2月にはソ連と、1970年には中華人民共和国と、さらに1972年にはキューバと国交を結び、1973年からは非同盟運動にも参加するようになる。
また、同政権は、1968年に高等軍事研修所(CAEM)の作成した「インカ計画」に基づいて国家の構造的改革を進めたり、1969年6月24日施行の「農地改革法」により南米最大規模の農地改革を実施する道を歩んでいく。
(続く)
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