♦️270『自然人間の歴史・世界篇』ドイツの産業の発展

2018-05-03 21:00:22 | Weblog

270『自然人間の歴史・世界篇』ドイツの産業の発展

 プロイセンを中心にドイツの産業は、概して遅咲きであった。イギリスなど先進的な工業国がすでに達成した技術水準と生産内容・規模の段階の後塵を拝すのを余儀なくされる。彼らによる成果を、積極的に取り入れることで、追いかけていく。
 それにもかかわらず、ドイツの産業発展においては、独自のものが認められる。その一つが、株式会社という制度の導入であった。この動きが台頭してくるのは、1834年のプロイセンによる関税同盟の創設の頃であったろうか。1834年の鉄道事業法や1843年のプロイセン株式会社法が、この流れに加わる。とはいえ、それの政府による認可に当たっては、プロイセン政府を支配する最大勢力としてのユンカー(地主層)との利害調整が求められる。
 実際には、株式会社の一般化はしばしば「認可のための闘争」を経ながら進むのであるが、大量に勃興しつつあった資本家にとっては、自分たちの未来のためには避けて通れない道であったことだろう。
 ドイツにおけるその動きが劃期(かっき)をなすのは、一説には1870年6月の第一株式会社法においてであろうが、ドイツ経済史家の大野英二は、それよりもっと前からの動きの連なりをいう。
 「とはいえ、株式会社形成は、さしあたっては鉄道業・道路建設業・船舶業・保険業から、徐々に繊維工業・鉱山業・鉄鋼業などへ波及して、株式会社形態による資本の集中が大きくたちあらわれ、産業革命の展開のための有力な「こうかん」となりつつあったこともまた、みまごうべくもなく明白な事実である。とりわけ、最初の「創立熱狂の時代」といわれる1852~57年には6表にその一端が示されているように、多数の株式会社形成がみとめられる。」(大野英二「ドイツ資本主義論」、未来社、1962)
 そればかりではなく、次の大きな山がやってくるのであって、こうある。
 「(中略)まさしく「泡沫会社乱立時代」の名にふさわしい1871~73年には、一挙に多数の株式会社が形成され、その多くは、1873年を起点とする「大不況」のさなかに崩れ去り、併合という暴力的方法による資本の集中が急速に進展し、ここに独占形態による集中が大きく前景にあらわれてくる。」(同)
 世に言うところの「疾風怒濤の時代」とは、このことをいうのであろうか。
 
(続く)

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