□155の2『岡山の今昔』岡山人(12世紀、妹尾兼康)

2019-04-24 21:50:49 | Weblog

□155の2『岡山(美作・備前・備中)の今昔』岡山人(12世紀、妹尾兼康) 

 妹尾兼康(せのおかねやす、?~1183)は、平家方に与して最後まで戦った備中の武士であった。その彼の「本貫地」は、備中国都宇郡妹尾郷(現在の岡山市南区妹尾あたりか)であって、いつのころからか、このあたりの有力な武士となっていた。  

 頭角を現すのは、1156年(保元元年)に勃発した保元の乱において、平清盛に味方し源氏方と戦う。次いでの1177年(安元3年)には、鹿ヶ谷での謀反の会議が露見し囚われた大納言藤原成親の嫡男を、清盛の命で一時妹尾に幽閉する。1180年(治承4年)に奈良の僧侶らが蜂起したおりには、大和の国の検非違使に就任し、奈良に入ったところを、甲冑と弓を身に付けるのを禁じられていたことから、配下の60余人が討たれたといい、これがのちの「南都焼き討ち」の原因となる。

 そして迎えた1180年(寿永2年)、平家方として源氏方の源義仲と戦うも敗れ、一時転向を装う。その後、義仲に反旗を翻す。その彼の最後の戦いぶりについては、『源平盛衰記』にこうある。

 「敵近く攻め寄せければ、兼康又思ひ切り、深く山へ落ち入りけるが、眼(まなこ)に霧雨(ふ)りて進まれず。郎等宗俊を呼びて、「兼康は数千人の敵に向ひて戦ふにも、四方晴れて見ゆれども、小太郎を捨てて落ち行けば、涙にくれて道見えず、兼ては相構へて屋島に参りて、今一度君をも見奉り、木曾に仕へし事をも申さばやと思ひつれども、今は恩愛の中の悲しければ小太郎と一所にて討死せんと思ふは如何あるべき。」と云ふ。

 宗俊、「尤(もっと)もさこそ侍るべけれ、弓矢の家に生まれぬれば、人毎に無き跡までも名を惜しむ習ひなり、明日は人の申さん様は、兼康殿こそいつまでも命をいきんとて、山中に子を捨て落ち行きぬれといはれん事も口惜(くちお)しき御事なるべし、主を見奉らんと覚(おぼ)すも子の末の代を思召(おぼしめ)す故なり、小太郎殿亡び給ひなんには、何事も何かはし給ふべき、只返し合はせて、三人同心に一軍(ひといくさ)して、死出(しで)の山をも離れず御伴(おんとも)仕らん。」と云ひければ、兼康、「然るべし。」とて道より帰り、足病み居たる小太郎が許にゆき、(後略)」(『源平盛衰記』第三十三「兼康板蔵城戦ひの事」、文中に見える子の宗康は兼通、郎等は宗俊という名になっている。なお、彼の死の模様は「平家物語」の「妹尾最期」にも描かれている。)

 身動きできない息子の小太郎をおもんばかって死地に引き返し、奮戦むなしく討ち死にしたのは、誇りを重んじる武士の意地であったのだろうか。

(続く)

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□211の23『岡山の今昔』岡山人(20世紀、平櫛田中)

2019-04-24 20:48:45 | Weblog

□211の23『岡山の今昔』岡山人(20世紀、平櫛田中) 

 平櫛田中(ひらぐしでんちゅう、1872~1979)は、現在の岡山県井原市の生まれだ。本名を倬太郎(たくたろう)と言う。田中家から平櫛家に養子に入ったのち、田中(でんちゅう)といい慣わす。東京へ出て、伝統的な木彫技術と西洋の彫塑を学ぶ。
 それからは、作品づくりに精出す。大家となってからは、東京芸大で教えたりした。107歳でその生涯を閉じるまで、明治・大正・昭和の三代に渡って活躍した、近代日本彫刻の巨匠とされる。
 壮年期からのその作品の特徴は、観る者を引き込む緊張感と、本源的な温かみの感じられるところにあるという。 なかでも井原地方の古い伝承に基づく「転生」(東京芸術大学大学美術館蔵)や、「鏡獅子舞」、良寛上人(りようかんしょうにん)の木彫などが有名だ。

 最近の珍しいところでは、「何でも鑑定団」(2019.4.23放映)において出品のあった「神武天皇像」(仮称、木彫)が真品だと認定された模様だ。ここに「神武」とは、「日本書記」にも出てくる「初代天皇」と言われる人物をいうのだが、今日の歴史学においては実在性に乏しく、伝説上の話なら頷けよう。ともあれ、その凛とした表情には、作者の特別な思い入れが感じられる。そのスックとした立ち姿には、威風堂々さがひとしおであり、作者にとっては偉大な実在の人に写っていたのであろう。

 ここに獅子というのは、想像上の生き物にして、白いたてがみ、きりっと、見開いたまなこで、見る者の瞳に迫ってくる。日本画、日本人形でもおなじみの題材だ。これを歌舞伎の世界では「獅子の精」として上演してきた。そして、これを「十八番」の興行に仕上げたのが、六代目尾上菊五郎に他ならない。その筋書きによると、前半は、将軍さまお気にいりの初々しい女小姓「弥生」でいたのが、舞台の後半では、勇壮で力強い獅子の精になりかわるという。

(続く)

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