○○549の10の2『自然と人間の歴史・日本篇』消費税増税への対案はあるか(予算均衡定理・後編)

2019-04-12 20:23:12 | Weblog

549の10の2『自然と人間の歴史・日本篇』消費税増税への対案はあるか(予算均衡定理・後編)

 ここで、この予算均衡定理につき、筆者なりに簡単に解説を加えさせてもらいたい。 

 まず、ここで(4)式はどのようにして導かれるのだろうか。
     1
    ――――    (4) 
    1-a  

 ここでは閉鎖経済(外国との関係を捨象)を想定し、貯蓄が国民所得に平均貯蓄性向(s)を乗じたものだとしよう。そうなると、
S=sY=I、つまり貯蓄は投資に等しい。
Y=(1/s)I

         1
 (参考)Y= ――――×I(一般の教科書ではこちらの表現) 
        1-α  

 つまり新投資が決まると、需給が均衡に向かうように働き、Y=(1/s)Iが先ず決まる。そして、生産技術がいま短期での分析により一定の場合でいうと、その生産技術に体化して雇用量が決まると考える訳だ。
 ところで、この式の中のs(平均貯蓄性向)は、平均消費性向をaとすると(1-a)と置き換えられる。
Y=(1/s)I=(1/1-a)I
 そこでいま新投資需要Iが政府によって投入されるとしよう。すると、その需要を満たすためにY=Iだけの産出高が生まれる。そうなると、aIだけの消費需要が派生し、それを満たすように同額の派生所得が生まれる。aIの所得からはaの2乗×Iだけの派生需要、そしてそれを満たすための新たな産出高が見込まれよう。結局、Iだけの投資需要の追加は、
I+aI+aの2乗I+・・・・だけの需要と所得を生み出す理屈(ここでは、「一説には」という意味あいで用いたい)になっている。
一般に、初項がa、公比がr(rの絶対値<1)の無限等比級数の合計Aは
A=a + r + r^2 + r^3 + r^4 +...+ r^n-1 + r^n + ..

(ここに、便宜上、例えば「^(ハット)2」としたのは、「2乗」、つまりこれの付いた数値を2回掛け合わせるというもの。本来なら、「2」の右の肩に乗数の値を記すべきもの)
ここで式の左辺と右辺に r をかける.
 r
=r + r^2 + r^3 + r^4 +....+ r^n + r^n+1 + ...
その上で、の両辺からの両辺を差し引く。の方が最初の項aが多いだけなので次のように整理できよう。

   A - r = a                    

従って、次のとおりになろう。

      a
  A = ---------                     
     1 - r

これから、初項が1、公比がa(aの絶対値<1)の無限等比級数の合計Sは次の通りになる。

S=1+a+a二乗+・・・・・+aのn-1乗=(1/1-a)

 投資の持つ乗数効果の数学的説明には、つぎのようなアプローチもあるだろう。
 Y=C
I
ここでYとはGDP(国内総生産)、Cとは民間消費、Iとは民間投資、Gとは政府投資としよう。
 C=α
βY 
 ここでCというのは一国の消費関数、α(アルファ)は基本消費、β(ベータ)は限界消費性向と呼ばれるもので、たとえていうとGDPが1万円増えれば消費支出はβ万円増えることになる。
0<β<1のことを限界消費性向という。
 この2つの式からCを消去すると
 Y=α
βYIG
この式を変形すると
 Y
βY=αIG
(1-βY=αIG
 したがって、Y=α/(1-β)+{【1/(1-β)】(IG)} 
 この式で第2項に目を向けてみよう。そこで1/(1-β)のことを乗数(m)という。この式で投資Iが10兆円増えるとGDPは10兆円×m万円だけ増えることになるだろう。

 そこでいま、民間可処分所得が税金によって10兆円減ったとしよう。そのとき国民の貯蓄率(国民所得のうち貯蓄にまわす割合)が20%とすると、人々の消費需要は10兆円まるごとは減らず、10兆円×0.8=8兆円だけが減ることになるだろう。

 したがって、その国の限界消費性向が0.8(80%)であるなら、政府が増税による収入増10兆円を財政支出に投じれば、それと同額である10兆円分の総需要の増加が見込まれることになり(上記の(7)式)、その場合には10兆円から8兆円を差し引いた2兆円分の総需要の増加が見込まれることになっていく。
  以上のことは、ケインズが(一般人の消費ではなく)投資こそが社会全体の所得向上の主要な手段である、と考えていたこととほぼ一致している。

 ○
考えられる意見の検討としての1番目は、こういうことになるだろうか。

 今仮に、政府支出の増大によって景気対策を行おうとしても、現在の国の財政状況をみると、その財源を消費税増税などで賄うしかなくなっているのではないか、という意見があるが、どのように考えればよいのだろうか。
 そこで、所得分配の階級的性格について考えてみよう。それというのも、現にある日本社会が、資本主義、つまり資本優位の時代であることには、大方の認識が一致していると思われるからだ。
 すると、所得が増加(減少)するにつれ人々の消費の割合が減って(増えて)いくのは改めて証明を必要としない自明の事柄だと言われるが、それは心理法則なのだろうか。そうではないと考える。その理由は、同じ「所得」でも労働者の所得と資本家の所得ではそのあり方が異なるからだ。
 いま貯蓄をS、労働者の所得をW、資本家の所得をP、労働者と資本家の所得に占める貯蓄の割合をそれぞれsw、spとすると、Sは両方の所得の合計したものである。したがって、次式が導かれよう(この考えは、「左派」のケインズ派経済学者のカルドアなどが先鞭をつけた)。

S=swW+spP  
 国民所得はY=W+Pなので、式をこのYで割ると、

S/Y=sw+P/Y(spーsw)  
 この式においてS/Yは国民経済全体に占める貯蓄の割合(貯蓄率)、
P/Yは資本分配率。

  ここで資本家の貯蓄率(sp)は労働者の貯蓄率(sw)より大きいと考えられることから、国民所得の分配問題とは優れて階級的な問題であることが分かる。

spーsw>0  

 もちろん、これには「資本家の貯蓄率(sp)は労働者の貯蓄率(sw)より大きいとは思わない」との反論が出されるかもしれない。


 ○
考えられる意見の検討の2番目としては、こうある。

(4)では、どのようにすれば国民経済を発展させるに足るだけの財源を確保できるのだろうか。

 Y=α/(1-β)+{【1/(1-β)】(IG)} 
この式で第2項に目を向け、そこで1/(1-β)のことを乗数(m)といい、この式で投資Iが10兆円増えるとGDPは10兆円×m万円だけ増えることになる計算であった。

 そこでいま資本家階級の消費性向を0.5とし、労働者階級のそれを0.8と仮定してみよう。
 なぜこんなに限界消費性向に開きがあるモデルを採用するのかといぶかる方もいるかもしれない。とりあえず、ここではそれは私たちの経験から言えることではないかと申し上げておきたい。

翻って、マルクスの再生産表式によれば、資本家階級は剰余価値Mのうち自らが消費支出したMKを除いた残余をつねに次期の蓄積需要に振り向けるとは限らない。

 通常、その一部は貨幣の保有増加や各種の金融資産の増加に振り向けられていると考えるのが自然の成り行きだと思われる。一方、労働者階級は原理的には「裸一貫」、「食べるに追いつく貧乏なし」のたぐいで、大方の人がその日暮らしだと考えられるものの、ここでは労働者階級の標準世帯で測ると消費性向が0.8ぐらいと仮定した方が、現実味があるのではあるまいか。
 いまある国に資本家階級が100万世帯、労働者階級が1000万世帯あるとしよう。資本家階級の自由になる所得が各世帯で年当たり3000万円とすると、消費性向は0.5(50%)なので、3000万円×100万世帯×0.5=150兆円だけ消費することになるだろう。一方、労働者世帯の消費支出は年当たり500万円として、消費性向は0.8(80%)とより高く、したがって500万円×1000万世帯×0.8=400兆円になると仮定したい。

 いま政府の需要追加策により、これらモデル世帯に各々10万円の臨時収入があったなら、両階級の消費行動はどうなるだろうか。このとき、年収が3000万円の資本家階級ではその10万円の48%(βK)=4万8000円を消費にまわし、他方の労働者階級は10万円の79%(βL)=7万9000円を消費するとしよう。
 すると社会全体で測った追加所得の中から消費にまわった総額としては、次のとおりになるだろうか。

資本家階級:10万円×100万世帯×0.48=4800億円
労働者階級:10万円×1000万世帯×0.79=7兆9000億円
したがって、両者の合計は8兆3800万円となるだろう。
 
 今度は、労働者階級世帯の追加所得を10万円から2倍の20万円に増やし、資本家階級に対しては高所得を理由に政府による追加所得の支給対象からはずしたと仮定しよう。すると、増加分の消費総額はつぎのようになるだろう。なお、そのときの労働者階級の限界消費性向(βL)を0.75としておく。

労働者階級:20万円×1000万世帯×0.75=15兆円

 したがって、この例では、両階級に対し等しく財政支援を行ったときに比べ、高額所得世帯としての資本家階級(大方の「自営業者」のことではない)に対する財政支援を基本的に行わず、代わりに労働者階級をはじめとする勤労者にその分の財政支出を振り向けた方が、社会全体で見た消費需要の増加はより大きくなることがわかる。

 なお、このことは、当面資本家階級の社会での役割を否定する意味ではなく、国民経済が某かうまく回るようになることによって、この国の全ての人々に経済的恩恵が回るようになるのではないか、という道理を説明するものと理解したい。

 

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