○6『自然と人間の歴史・日本篇』新生代からの日本列島(1700~1500万年前)

2017-07-28 09:08:56 | Weblog

6『自然と人間の歴史・日本篇』新生代からの日本列島(1700~1500万年前)

 さて、1975年(昭和45年)になって、埼玉県秩父市大野原の荒川岸で、地元の高校生により哺乳動物化石の発見があった。「パレオパラドキシア」(学術名で「昔の矛盾」という)のものとみられ、体長が2メートル程もあり、海に棲息していたのだという。朝日新聞によると、どうやらその頃の日本列島には、湾や入江、島が多数点在していたようで、最近その一部の標本が一般に公開された。
 「秩父地域に海があり、「湾」になっていたことを示す六つの露頭(ろとう、地層の露出した崖)と化石標本が、国の天然記念物に指定される見通しとなった。国の文化審議会が20日、日本列島が形成された当時の地殻変動や生物の状況を示し、天然記念物にふさわしい、と文部科学相に答申した。指定されれば県内で48年ぶり。県内の国天然記念物は12件となる。
 県教育局によると、指定されたのは「古秩父湾(こちちぶわん)堆積(たいせき)層及び海棲(かいせい)哺乳類化石群」。秩父市と皆野、小鹿野、横瀬の3町に分布する露頭と、周辺で発掘された哺乳動物「パレオパラドキシア」などの化石9件で、複数の露頭と化石群の複合指定は国内初めて。」(朝日新聞、2015年11月15日付け)
 現在の秩父盆地一帯に、約1700万年前、「古秩父湾」と呼ばれる東に開いた湾が誕生した。それは、日本列島が誕生して間もない頃のことだった。「列島といっても、今日のような形では到底なく、「関東山地を中心とした地域は一つの島を作り、現在の秩父盆地の西縁まで海が広がっていました」(埼玉県広報紙「彩の国だより」2016年3月号、No.542)とされる。つまり、日本列島が誕生して間もなく、現在の関東山地を中心とした地域は一つの島をつくっており、これまた現在の秩父盆地の西縁まで海が入り込んでいたと考えられるのである。
 約1600万年前になると、関東山地全域が沈降すると、ほぼ関東全域が深海に沈む。約1550万年前には断層運動で湾の東側が隆起する。そのため、砂や泥の堆積で浅い海に姿を変わる。そうなってくると、海に生息するほ乳類(海棲ほ乳類)が気持ちよく泳ぎ回ることができたのだろう。
 そして1500万年前頃になると、東側の土地、すなわち古秩父湾東縁の隆起がさらに進んで湾が閉ざされるに至る、ついには古秩父湾が消滅したと考えられている。この際に隆起した地域が現在の外秩父山系の原型となっている。ついでにいうと、古秩父湾があった地域では、日本列島が形成された時の堆積物を連続して残す地層と、当時の生物化石が見られるとのこと。これらは、2016年3月に「古秩父湾堆積層及び海棲哺乳類化石群」として、国の天然記念物に指定された。地層と生物をひとまとめて天然記念物としてのは、日本でこれが最初だという。
 ここに棲息していたとされる「パレオパラドキシア」は、新生代に属する新第三紀の最初の世、中新世(今からおよそ2300万年前~530万年前)の地層から見つかった。この中新世の初期には、ヒマラヤ・チベットの地層の上昇のあったことが確認されている。この時代の地層は、「日本では分布が広く、各種の化石に富み、石油、石炭の主要産出層準になっている」(ブリタニカ百科事典)とある。この地層からはそのほか、「チチブクジラ」の化石も見つかっているとのことである。クジラの祖先は、およそ5300万年前にいた陸上生物パキケトゥスが再び海に戻ったために前脚と後脚が退化したと考えられている。
 では、日本列島の西での状況はどうであったのだろうか。一例として、瀬戸内海を選んでみよう。有力説では、日本列島は2500万年前の漸進世までは、まだアジア大陸の東の端にあった。その後、中新世に入ると大陸の端が裂けて日本列島は少しずつ大陸から離れていくのであった。そして1700万年前頃になると、この裂け目に海が入って日本海が誕生したのではないか。「島弧」としての日本列島が誕生した。このとき、日本海の開口に関係してグリーンタフ変動とよばれる広域的な火成・堆積活動が発生したのではないかと考えられている。
 さらに新生代第三期新三期中新世(2400~500万年)の終わりにさしかかり始める頃、今から約1600~1500万年前になると、九州北部から瀬戸内海に沿って、さらに奈良・三重から愛知あたりまで、東西の帯状に、安山岩を主とする火山活動が新しくなった。そしてこの頃、瀬戸内海は既に出来ており、現在の中国地方のかなりの領域において、海が進出していたのであろう。
 このクジラ化石ということでは、他にも色々と見つかっている。1995年頃、現存する富岡製糸工場のそばで新生代中期中新世(およそ1597万年前~1161万年前)のハクジラの化石が発見されている(化石研究会編「化石から生命の謎を解くー恐竜から分子まで」朝日新聞出版、2011より)。このようなクジラの化石は、世界各地で見つかっている。エジプトの砂漠地帯の地層に露出するクジラは、「約3700万年前のドルトンとバシロサウルス、いずれも退化した後脚が残っているはずだが、残念ながらわかりづらくなっている」(白尾元理「地球全史の歩き方」岩波書店、2013)とのこと。
 その頃、今日本列島のあるところのどのくらいが海に浸かっていたのだろうか。この列島が形成されたのは、新生代の新第三紀(2300万~260万年前)に入ってからのことであった。地層分布は、そのほとんどが5億500万年前から6500万年前までの古い岩石からできているのだという。それまでアジア大陸の東端にあったのが地殻変動によって、大陸から離れる力が働いた結果である。これについては、色々と簡単な地図として描かれている。いずれも幾つかの発掘の事実をプロットしつつも、それらを線につなげ、その中のぼんやりと海とおぼしきところを塗ったりしている。
 ここで興味深いのは、2000万年前まで、この列島においての東日本と西日本の間に「フォッサマグナ」(ラテン語で「大きな溝」)と呼ばれる大地構造帯がまだ形成されていなくて、この地域は海であったと推定されていることだ。この2000万年前よりの新しい岩石からできているフォッサマグナと呼ばれるのは、「糸魚川ー静岡構造線と新潟県の柏崎(かしわざき)と千葉を結ぶ断層である柏崎ー千葉構造線および新発田(しばた)ー小出構造線という新層にある地域」(宇都宮聡・川崎悟司『日本の絶滅古生物図鑑』築地書館、2013)のことなのである。

(続く)

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