○○81『自然と人間の歴史・日本篇』神話・伝承による創世記と国家誕生の過程(天孫降臨への道)

2017-07-09 18:47:48 | Weblog

81『自然と人間の歴史・日本篇』神話・伝承による創世記と国家誕生の過程(天孫降臨への道)

 さて、スサノオからさらに時間が経過すると、今度は新しいヒーローが登場してくる。
前の話のくだりで、アマテラスの弟とは、『日本書紀』では素戔男尊(スサノオノミコト)、『古事記』では建速須佐之男命(タケハヤスサノオノミコト、略称は「スサノオ」)であった。そのスサノオから数えて7代目(スサノオの6代後)にしてこの地上の国を支配するに至るのが大国主大神(オオクニヌシノオオカミ、略称はオオクニヌシ)であったとされる。ここでの伝説の話を総合すると、政治的敗者としてのオオクニヌシは、人間という衣は被っていても、人間そのものではない。彼も例によって神の系列に属し、強いて言うと「半神半人」と言うべきか。
 その彼は、大層働き者で、またなかなかの人物であった。かつて先祖のスサノオが降り立った人間の住む世界である葦原中つ国(あしはらのなかつくに)で、平定・支配を成し遂げようと踏み出す。やがて、オオクニヌシはスクナビコナとオホモノヌシという二人の協力者を得、彼らとともに鋭意国作りを進めていく。そして迎えたある日、『日本書紀』(神代下)の記述によると、は、葦原中つ国の主、つまり「大王」になったのだ。こうして、かれが苦労して国をつくり終わると、どこからか不思議な光が海の中からやってきて、それが大己貴の「幸魂(さきみたま)奇魂(くしみたま)」で、日本国(やまとのくに)の三諸山に住み、大三輪の神となったという。ここに大三輪(の神)とは、奈良県桜井市の大神神社(おおみわじんじゃ)のことをいう。しかも、大神神社の祭神は大国主大神(オオクニヌシノオオカミ)、配祀が大己貴神と少彦名神で、大己貴神(オオナムチノカミ)は大国主神の別名でもあるというから、驚きだ。
 ひとまず完成の成ったこの国がどのくらいの規模であったかは、つまびらかではない。そこにどれくらいの数の民がいたかは見えないものの、その国は賑い栄えたという。それからも、話は続く。天上からそれを見ていたのが、スサノオの姉である天照大御神(アマテラスオオミノカミ、略称は「アマテラス」)であった。彼女は、弟のスサノオのように地上に降りてきていろいろ活動を行う神ではなく、天上にいる。しかも、彼女には、神そのものか、もしくはそれに近い立場の半神であるかのような威厳が漂う。とはいえ、ここに言われる神とは、欧米や中東で発したような、一神教の絶対的な力を持って、人々に全面服従を求める存在なのではない。こちらの神は、彼の地のものよりもっと人間味があって、もっと曖昧で、それだけに茫洋(ぼうよう)な存在として措定されている。
 ともあれ、彼女はずっと葦原中つ国の建国と発展を見ていて、それを是非ともほしいと思うようになったのだ。そこで、国を譲るように伝える使者を地上に派遣した。何度も、執拗であったらしい。しかし、なかなかにオオクニヌシの同意をとりつけることはできなかった。アマテラスに比べ力に劣るオオクニヌシは、これを無視することはできないものの、なんとか諦めてもらいたかった。それもその筈、彼女は力づくでその国を横取りしようと思っていたに違いないのだから。平たく言うと、「それをこちらによこせ」と脅されたのだから、随分と怒ったこどてあろう。
 そして迎えたある日、アマテラスから最強の勇者として派遣され、地上にやってきたのが、タケミカヅチとアマノトリフネの二人の神だった。この二人は出雲の国の稲狭の浜に降り立ち、オオクニヌシに国を譲るように談判に及ぶ。オオクニヌシはしぶったものの、これまでのように無視したり、ごまかしたり、撃退することはできない、敵もさる者と悟ったのだろう。コトシロヌシとタケミナカタの二人いる息子に聞いてくれと言う。息子の一人であるコトシロヌシは、余りの怖さに国譲りをあえなく承諾してしまう。ことによると、うまく丸め込まれてしまったのかもしれないが、一応はやってきたタケミカヅチに対し、コトシロヌシは「お言葉に従います」と答えた後、自分の乗ってきた船をひっくり返し、その船に隠れてしまったことになっている。おそらくは、内心は相当の傷心であったのだろう。
 もう一人の息子タケミナカタは敗北を承服せず、タケミカヅチに力比べを申し入れる。
けれども、アマテラスの家来のタケミカヅチは強かった。タケミナカタを圧倒し、退く彼を諏訪の海まで追い詰める。とうとうタケミナカタはこの地から出ないことを誓わせ、服従させる。代理戦争というべきか、勝者の二人はこれをもってオオクニヌシに再び国を譲るように迫った。オオクニヌシとしては、両手をもがれたも等しく、降参するほかはないと考え、それでも国を譲る条件として、天のアマテラスが住むのと同じくらい巨大な宮殿に住まわせてほしいと言った。アマテラスは、この願いをかなえてやった。社ができると、敗北者のオオクニヌシは移り住み、現代に伝わる、島根県出雲市の出雲大社の祭神に収まった。これが出雲大社の起源といわれる伝説・物語の大筋である。
『日本書記』(巻第二、神代下(第九段)一書第一)によると、彼女がこうして得た領地・領民を統治するため、自ら次の勅令を発したという。
 書き下し文:「天照大神は、(中略)。そして皇孫に「葦原千五百秋(あしはらのちいほ)瑞穂国(みづほのくに)は、是(これ)、吾(あ)が子孫(うみのこ)の王(きみ)たるべき地(つち)なり。」
 要するに、当時の天下万民に広く与えるのではなく、自分の血筋である皇孫に譲ろうとした、まさに「家族、私有財産及び国家の起源」(フリードリヒ・エンゲルス)にまつわる大義名分を子孫に与えようとしたことになっている。
 こうして地上の支配はスサノオの系譜から、アマテラスの系譜へと移る。万事してやったりのアマテラスは、さぞかしほくそえんだことだろうと。物語はその後のオオクニヌシのことは特別伝えていないので、失意の晩年を過ごしたのであろうか、それとも諦めよろしく、何か別の生き甲斐をみつけていったのであろうか、測り知れない。
 ところで、『古事記』はまた、最有力の青銅器文化を持ち、大陸からの鉄器にも関わっていたと考えられる出雲の勢力と、もう一方の後の倭(ヤマト)朝廷に連なる勢力との関係を取り持つ記述を行っているため、以上に紹介した『訓紀』(『古事記』と『日本書記』をあわせての略称)からの話とは、単に伝説の類ではなく、その中に歴史的事実も含まれるのではないかという向きもある。なお一説には、出雲の国を邪馬台国そのものとし、後のヤマト勢力とは九州から攻め上がって邪馬台国に「国譲り」させたヤマト勢力の前身であるとする向きもあるものの、これらの話は総枠・全体としてはやはり伝説なのであって、そのまま歴史的真実を語っているものではありえない、と考えられる。

(続く)

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