890『自然と人間の歴史・世界篇』ウクライナ
現在のウクライナ共和国(ウクライナ)は、東にロシア連邦、西にハンガリーやポーランド、スロバキア、ルーマニア、モルドバ、北にベラルーシ、南に黒海を挟みトルコが位置している。なお、クリミア半島については、2014年からのロシアとの争いの中で、ロシアによる住民投票の結果を受けてロシア領に組み入れられる。
4~6世紀には、東スラブ人のグループが現ウクライナの地に移動してきた。この地での8世紀には、キエフ・ルーシ公国が成立する。ドニエプル川の中流に位置するキエフは、9世紀末の882年にキエフ公国が成立した時からの首都である。後のことだが、1990年、「キエフのソフィア大聖堂とペチェルスカヤ大修道院」ということで、ユネスコ世界遺産に登録される。
13世紀の1240年代には、モンゴル・タタール軍の侵略を受ける。この侵略で、1240年、モンゴル軍がキエフを攻略する。これにより、東スラブ人は、ロシア人、ウクライナ人、ベラルーシ人のグループに分化していく。
現在のウクライナ共和国(ウクライナ)は、東にロシア連邦、西にハンガリーやポーランド、スロバキア、ルーマニア、モルドバ、北にベラルーシ、南に黒海を挟みトルコが位置している。なお、クリミア半島については、2014年からのロシアとの争いの中で、ロシアによる住民投票の結果を受けてロシア領に組み入れられる。
4~6世紀には、東スラブ人のグループが現ウクライナの地に移動してきた。この地での8世紀には、キエフ・ルーシ公国が成立する。ドニエプル川の中流に位置するキエフは、9世紀末の882年にキエフ公国が成立した時からの首都である。後のことだが、1990年、「キエフのソフィア大聖堂とペチェルスカヤ大修道院」ということで、ユネスコ世界遺産に登録される。
13世紀の1240年代には、モンゴル・タタール軍の侵略を受ける。この侵略で、1240年、モンゴル軍がキエフを攻略する。これにより、東スラブ人は、ロシア人、ウクライナ人、ベラルーシ人のグループに分化していく。
それから約200年にわたってその支配下におかれる。その後、リトアニア、そしてポーランドへ併合される。
1340年、ポーランドの東ガリツィア地方を占領する。1349年、ポーランドのガルチ公ダニエルによって、現在のウクライナの西部にあるリヴォフの町が建設される。この町の歴史地区だが、「石畳と格調高い建築群」が伝える美ということで、後のことながら、1998年に世界遺産に指定される。1362年、リトアニアがキエフを占領する。これにより、リトアニア大公国とポーランドの領土に分割された。1569年には、ウクライナ全土がポーランド領土に併合される。
1340年、ポーランドの東ガリツィア地方を占領する。1349年、ポーランドのガルチ公ダニエルによって、現在のウクライナの西部にあるリヴォフの町が建設される。この町の歴史地区だが、「石畳と格調高い建築群」が伝える美ということで、後のことながら、1998年に世界遺産に指定される。1362年、リトアニアがキエフを占領する。これにより、リトアニア大公国とポーランドの領土に分割された。1569年には、ウクライナ全土がポーランド領土に併合される。
1648年、フメリニツキーらのコサック軍による蜂起が起こる。これは、ポーランドからの独立戦争であった。1654年、ペレヤスラフ協定が結ばれる。1654年、ペレヤスラフ協定が結ばれる。1764年、ポルタヴァの戦いが起こる。こちらは、ロシアからの独立戦争であった。
1853年には、クリミア戦争が起こる。この戦争は、なかなかに複雑な構図で戦われた。16世紀末以来のロシアとオスマン・トルコとの戦争の継続・発展なのだが、フランス(ナポレオン3世)とイギリスがオスマン帝国を支援したところに特色がある。実質的には、ロシア軍対フランス・イギリス連合軍の戦争となる。この戦争の舞台は、黒海に南に突き出たクリミア半島で、終戦まで血みどろの戦いが続けられた。
1914年、第一次世界大戦が始まる。1917年、この大戦中にウクライナ人民共和国が成立する。1917~1921年、ウクライナ・ソビエト戦争。1922年、ソビエト社会主義共和国連邦が成立する。1932年、大飢饉(ホロドモール)が起こる。1939年、第二次世界大戦が起こる。1941年、独ソ戦が開始される。ドイツがウクライナを占領する。1954年、ウクライナがクリミアを編入する。
1986年には、チェルノブイリ原発事故が起こる。1991年、ウクライナが独立を果たす。そしてソ連邦崩壊、CIS(独立国家共同体)創設となる。1996年には憲法が制定され、通貨フリヴニャを導入する。
1853年には、クリミア戦争が起こる。この戦争は、なかなかに複雑な構図で戦われた。16世紀末以来のロシアとオスマン・トルコとの戦争の継続・発展なのだが、フランス(ナポレオン3世)とイギリスがオスマン帝国を支援したところに特色がある。実質的には、ロシア軍対フランス・イギリス連合軍の戦争となる。この戦争の舞台は、黒海に南に突き出たクリミア半島で、終戦まで血みどろの戦いが続けられた。
1914年、第一次世界大戦が始まる。1917年、この大戦中にウクライナ人民共和国が成立する。1917~1921年、ウクライナ・ソビエト戦争。1922年、ソビエト社会主義共和国連邦が成立する。1932年、大飢饉(ホロドモール)が起こる。1939年、第二次世界大戦が起こる。1941年、独ソ戦が開始される。ドイツがウクライナを占領する。1954年、ウクライナがクリミアを編入する。
1986年には、チェルノブイリ原発事故が起こる。1991年、ウクライナが独立を果たす。そしてソ連邦崩壊、CIS(独立国家共同体)創設となる。1996年には憲法が制定され、通貨フリヴニャを導入する。
1996年には、憲法を制定し、同年中に戦略核兵器のロシアへの移送を完了したことになっている。
2004年には、政変が起こる。それを、オレンジ革命と呼ぶ。そこでは、同年11月の大統領選挙と12月の再選挙において親欧米派の野党候補ユーチェンコ元大統領が勝利する。ユーチェンコ政権下では、ガス供給、ロシア黒海艦隊、NATO(北大西洋条約機構)の見方などを巡りロシアとの関係が冷えていく。
2010年には、大統領選挙の決戦投票で、地域政党のヤヌコーヴィチが勝利し、新政権はNATO加盟方針を撤回(2010年の国内法で非同盟を決定)、ロシア黒海艦隊の駐留期限の延長などで、ロシアとの関係を一部修復する。
2014年には、マイダン革命(尊厳の革命)が起こる。こちらでは、同年2月に反ヤヌコーヴィチ派の大規模デモが発生し、80名が死亡したという、ヤヌコーヴィチ大統領は国外に逃れた。同月中に、暫定政権が発足する。翌3月には、南部のクリミア自治共和国でロシアへの編入の是非を問う住民投票が実施され、賛成が多数となり、ロシアに編入された。かたや東部では、同年3月以降、親ロシアの独立派の武装勢力が台頭していく、これに対して政府は軍隊を投入し、内戦となる。同年5月には、大統領選挙が行われて、ポロシェンコ元経済発展貿易大臣が当選する。
○2014~2015年にかけては、ロシア・ウクライナ・ドイツ・フランスの4カ国が参加して、ロシア和平プロセスを定めた、ウクライナ東部に関わる「第1次ミンスク合意」(2014)及び第2次ミンスク合意」(2015)を締結した。
それらの経緯としては、2014年9月に締結された前者は12項目から成る。OSCE(欧州安保協力機構による停戦監視や、分離派が支配する地域への暫定的な特別地位の付与、地方選挙の実施、当事者の恩赦などが含まれていた。ところが、停戦合意は2015年1月に完全に破られ、大統領は逃亡しまう。
その後の歩み寄りにて、後者がまとめられるのだが、13項目で構成されている。主なものとしては、武器の即時使用停止、外国部隊の撤退、OSCEによる武器使用停止の監視、ドンバス地方の「特別な地位」に関するウクライナの法律採択、それにOSCEの基準に基づく前倒し地方選挙の実施などの項目がある。
2022年1月15日、ロシア下院は、ウクライナ東部の2州(ドネツク州とルガンスク州)のそれぞれ一部地域の独立国家として承認するようプーチン大統領に求める決議を採択した。
2022年2月22日、ロシア連邦議会上院は、プーチン大統領が要請した、ウクライナ東部の親ロシア派2地域における平和維持活動に向けた措置の名目で、国外へのロシア軍派遣を全会一致で承認した。
これと同じ2月22日、ロシアのプーチン大統領は、ウクライナ東部の停戦と和平への道筋を示した「ミンスク合意」はもはや存在せず、履行すべきことは何も残っていない旨を述べた。
(続く)
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