'07.10.11 『ヘアスプレー』@一ツ橋ホール(試写会)
これは気になっていた。なぜならあのジョン・トラボルタが女装して主人公のママを演じているから。何故そんなムリをしてまでトラボルタなのか?
「'60年代ボルチモア、太めの女の子トレイシーはテレビのダンス番組を見ることと、ダンスが大好きな明るい女子高生。憧れの番組のオーディションを受け出演することになり・・・」という話。トレイシーがもうビックリするくらい明るく前向きなので、気付かないけど人種問題なども扱った意外に重い話。でも重くはない。
この時代はまだ人種差別が公然と行われていて、ダンスパーティーなどでも黒人エリアと白人エリアとロープを張って分けられていた。テレビのショーでも「黒人デイ」には出演者は黒人のみ。そんな境遇の中、明るく生きている彼らを素直に受け止め、素直に心を開くトレイシー。彼女の目線は上でも下でもない。それがいい。
1988年作品のリメイク。その間舞台化されている。1988版と舞台版は未見なのでよく分からないけれど、どちらかというと舞台版の影響が大きいのかなと思う。ミュージカルなので感情が高まると歌って踊り出す。もちろんそれがミュージカルの醍醐味。私はミュージカルが好きなのでそれは全然OK。っていうかむしろ好物。ただ、あまりその緩急が効いていないので、素の部分もテンションが高め。なのでそんなに重いテーマであっても「楽しい」に飲み込まれてしまうという点がある。重いテーマをさらりと見せることで、かえって強い印象を残すということはあるわけで、どちらかというとそちらの方が好み。でも、太めの体型を気にして外に出て行かない母親の心を開放することと、黒人を開放することが同じ次元で語られるのはどうだろう? と感じてしまうのはダメなのか?
トレイシー役のニッキー・ブロンスキーは笑顔がキュート。そしていつも前向きでパワフル。実際身近にいたらちょっと疲れるかも(笑) でも、ウザキャラになってないのは彼女のおかげかも。ミシェル・ファイファーは今回は敵役。相変わらず美しかったけど、少し目の離れた彼女の個性的な顔が役に合ってた。なぜこの役受けたのかは謎だけど。それはトラボルタにも言えるかも。あるインタビューで彼は『グリース』以上の作品がないので、ミュージカルの出演はさけていたと答えていた。この作品は『グリース』を超えたということらしい。『グリース』は見たことがあると思うけど覚えていない。なので超えたのかは不明。女装した上に太めの体にするためにボディースーツを着用。なぜ、そこまでしてトラボルタなのか? 確かに歌も踊りも上手いけど、母親には見えないし。そしてデカイ(笑) でも、トラボルタだと思って見るとおかしい。父親役のクリストファー・ウォーケンとのラブシーンは必見かも。この映画一番の見所はクリストファー・ウォーケン演じる父親かも。彼は間違いなく変人だけど妻と娘を思う良き夫であり父親。ウォーケンのあの怖い顔で演じられると余計おかしい。ミシェル・ファイファーとのやり取りもおかしい。そしてクィーン・ラティファの歌が素晴らしく、ビッグママぶりも素晴らしい。
前にも書いたけど重いテーマも軽々と描いている。とにかく主人公の個性同様、明るく元気でパワフル。逆にそれが重いテーマを考えさせる狙いなのだとしたら私にとってはちょっと余計だったけれども、それは好みの問題。だれもが映画に重いテーマを求めているわけではない。単純に「楽しかった」という娯楽作を見たい人も多い。そういう意味ではいいと思う。随所に楽しめる場面が満載。楽しかった。
『ヘアスプレー』Official site
これは気になっていた。なぜならあのジョン・トラボルタが女装して主人公のママを演じているから。何故そんなムリをしてまでトラボルタなのか?
「'60年代ボルチモア、太めの女の子トレイシーはテレビのダンス番組を見ることと、ダンスが大好きな明るい女子高生。憧れの番組のオーディションを受け出演することになり・・・」という話。トレイシーがもうビックリするくらい明るく前向きなので、気付かないけど人種問題なども扱った意外に重い話。でも重くはない。
この時代はまだ人種差別が公然と行われていて、ダンスパーティーなどでも黒人エリアと白人エリアとロープを張って分けられていた。テレビのショーでも「黒人デイ」には出演者は黒人のみ。そんな境遇の中、明るく生きている彼らを素直に受け止め、素直に心を開くトレイシー。彼女の目線は上でも下でもない。それがいい。
1988年作品のリメイク。その間舞台化されている。1988版と舞台版は未見なのでよく分からないけれど、どちらかというと舞台版の影響が大きいのかなと思う。ミュージカルなので感情が高まると歌って踊り出す。もちろんそれがミュージカルの醍醐味。私はミュージカルが好きなのでそれは全然OK。っていうかむしろ好物。ただ、あまりその緩急が効いていないので、素の部分もテンションが高め。なのでそんなに重いテーマであっても「楽しい」に飲み込まれてしまうという点がある。重いテーマをさらりと見せることで、かえって強い印象を残すということはあるわけで、どちらかというとそちらの方が好み。でも、太めの体型を気にして外に出て行かない母親の心を開放することと、黒人を開放することが同じ次元で語られるのはどうだろう? と感じてしまうのはダメなのか?
トレイシー役のニッキー・ブロンスキーは笑顔がキュート。そしていつも前向きでパワフル。実際身近にいたらちょっと疲れるかも(笑) でも、ウザキャラになってないのは彼女のおかげかも。ミシェル・ファイファーは今回は敵役。相変わらず美しかったけど、少し目の離れた彼女の個性的な顔が役に合ってた。なぜこの役受けたのかは謎だけど。それはトラボルタにも言えるかも。あるインタビューで彼は『グリース』以上の作品がないので、ミュージカルの出演はさけていたと答えていた。この作品は『グリース』を超えたということらしい。『グリース』は見たことがあると思うけど覚えていない。なので超えたのかは不明。女装した上に太めの体にするためにボディースーツを着用。なぜ、そこまでしてトラボルタなのか? 確かに歌も踊りも上手いけど、母親には見えないし。そしてデカイ(笑) でも、トラボルタだと思って見るとおかしい。父親役のクリストファー・ウォーケンとのラブシーンは必見かも。この映画一番の見所はクリストファー・ウォーケン演じる父親かも。彼は間違いなく変人だけど妻と娘を思う良き夫であり父親。ウォーケンのあの怖い顔で演じられると余計おかしい。ミシェル・ファイファーとのやり取りもおかしい。そしてクィーン・ラティファの歌が素晴らしく、ビッグママぶりも素晴らしい。
前にも書いたけど重いテーマも軽々と描いている。とにかく主人公の個性同様、明るく元気でパワフル。逆にそれが重いテーマを考えさせる狙いなのだとしたら私にとってはちょっと余計だったけれども、それは好みの問題。だれもが映画に重いテーマを求めているわけではない。単純に「楽しかった」という娯楽作を見たい人も多い。そういう意味ではいいと思う。随所に楽しめる場面が満載。楽しかった。
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