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【Googleのロゴ】Google 22周年

2020-09-27 01:06:30 | Google's logo

毎度のGoogleのロゴがこんなことに!

 

 

Google 22周年

 

検索画面ではGoogle22周年キャンペーンの記事が表示されるけど、

キャンペーンはあまり興味がない🙇

 

ということで、Googleについて毎度のWikipediaから引用

(Wikipediaは性質上不確かな情報も含んでいることがあります)

 

スタンフォード大学博士課程に在籍していたラリー・ペイジセルゲイ・ブリンによって創業され、

現在でも2人合わせて16%の株式を保有している。 

1998年9月27日に非公開の会社として設立され、2004年8月19日に最初の株式公開がされた。

「世界中の情報を整理し、世界中の人々がアクセスできて使えるようにすること」を

経営理念(ミッション・ステートメント)に掲げている

 

1996年1月、スタンフォード大学の博士課程に在籍する

ラリー・ペイジセルゲイ・ブリンによる研究プロジェクトとしてGoogleの歴史は始まった

当時の検索エンジンは、

検索されたキーワードがそのウェブページに登場する回数によって各ページをランク付けし、

検索結果として表示していた。

ペイジとブリンは、ウェブサイト同士の関係を分析することで検索結果をランク付けする、

改良された検索エンジンの理論を提唱した

 

1997年9月15日、Googleのためのドメイン名 google.com が登録された

1998年9月4日、Googleは法人格を取得した。

会社組織としてのGoogleの拠点は、カリフォルニア州メンローパークの、

ペイジらの友人スーザン・ウォシッキーが所有するガレージに置かれた

スタンフォード大学の博士課程で2人の同輩だったクレイグ・シルバースタイン

Googleの最初の従業員として雇われた

 

法人としての設立以前の1998年8月、

Googleはサン・マイクロシステムズの共同創業者アンディ・ベクトルシャイムから10万ドルの出資を受けた

1998年には、別の3人のエンジェル投資家

Amazon.com創業者ジェフ・ベゾス、スタンフォード大学計算機科学教授デビッド・チェリトン

起業家ラム・シュリラムの3人)もGoogleへの出資を行った

 

以降の歴史については、面倒なので割愛🙇

詳しくはWikipediaをご覧ください😌

 

その他については、社名の由来と、日本法人について少しだけ引用しておく。

 

「googol(グーゴル)」という言葉の綴りまちがいに由来する。

1997年にラリー・ペイジたちが新しい検索エンジンの名前を考えてドメイン名として登録した際、

googol.comをgoogle.comと綴りまちがえたのがその起源と言われる

 

"googol"という言葉は、アメリカ合衆国の数学者、

エドワード・カスナーの甥のミルトン・シロッタによって作られたもので、

1グーゴルは10100(1のあとに0が100個続く数・10の100乗と読む)である。

 

グーグル合同会社(グーグルごうどうがいしゃ、Google Japan G.K.)は、

Googleの日本法人である。

2001年8月に、アメリカ国外で初めての現地法人として設立された

 

設立時はグーグル株式会社であった。

設立当時、日本法人の取締役の中にラリー・ペイジ

(Google共同創業者、後にGoogle米国本社のCEOも務めた)や

セルゲイ・ブリン(同じく共同創業者)が含まれており、

2004年に2人が来日した際には、秋葉原の電気街にも立ち寄っていた

また、Google公式ブログでもしばしば日本法人が開発に関わる重要な報告をしている。

 

とのこと😌

 

検索画面のロゴはこんな感じ

 

Happy Birthday🎂

 

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【tv】100分de名著「モモ」(第3回)

2020-09-24 00:19:22 | tv

【tv】100分de名著「モモ」(第3回)

時間とは「いのち」である

 

 

1回25分×4回で1つの作品を読み解く番組。8月はミヒャエル・エンデの「モモ」(Wikipedia)で、今回はその第2回。講師は臨床心理学者・京都大学教授の河合俊雄氏。セラピストの視点で読み解いていく。第1回の記事はコチラ、第2回の記事はコチラ

 

マイスター・ホラとは? 

時間を司る人物で、老人と若者の姿を行き来して彼自身が時間を体現しているといえる。

 

朗読:のん(朗読部分については、印象的な部分のみの抜粋もしくは要約となっております🙇)

 

「どこにもない家」にはたくさんの時計があった。珍しい光景に目を見張るモモ。そこへ優しそうなおじいさんが現れる。

 

朗読:おまえをここにつれてこさせるために、わざわざわたしのカメのカシオペイアをおくったのだよ

 

マイスター・ホラはモモのことも灰色の男たちのこともよく知っていた。なんでも見えるメガネで町の様子を見ていたから。そのメガネをモモがかけてみると灰色の男たちが見えて来た。

 

朗読:彼らは人間の時間をぬすんで生きている。ほんとうはいないはずのものだ。人間はかれらに支配させるすきまであたえている。

 

ホラは自分の役目は人間一人一人に定められた時間を配ることだと語る。そして、この家には人間に配るための「時間のみなもと」があると言う。「時間のみなもと」を見たいかね?

 

灰色の男=ほんとうはいないはずのもの

 

前回のフージーさん(虚無感に囚われて灰色の男に誘惑される)を思い出してみると、灰色の男は人間の心の隙が生み出した存在と言える。

 

伊集院光氏:人間が感覚的な軸みたいなものを失うというか、そこがブレた時に他の軸を欲しがることがある。他者からの。最新のことで言うと、先にグルメサイトを見て点数を確認してからじゃないと、おいしいと思えないという関係に似ている?

 

灰色の男はな何分何秒まで計算してそれが価値。同じようにグルメサイトが何点かということに我々はいつの間にかしばられていて、今食べている物のおいしさや充実感から遠ざかってしまう。時間の豊かさを失う話とよく似ている。

 

せっかく行くのだから失敗はしたくないし、だったら評判はどうだろうと思うのは普通のことだよね? その評価を数値化してあれば分かりやすいから、参考にするのはありなのかな? あくまで参考にしつつ、自分の基準で店の雰囲気、味、その時の会話など、全てをひっくるめた「時間」を楽しめたならそれは「豊かな時間」ということなのかも?🤔

 

「時間のみなもと」とはどんな所?一言で言うと人間の豊かさの源泉。ベッポが一掃きごとの掃除に充実感を得ていたのが「時間のみなもと」であり、人間の豊かさの源。そういう感覚を思想化して抽象化したものが仏教。

 

華厳経:仏の一毛孔のなかには一切世界がはいり (と、メモしてあるっぽいけど、間違っているかも?🤔)

 

コンサートやスポーツなどの充実した時間は「時間のみなもと」から送られている。

 

灰色の男たちは「時間のみなもと」とはつながっていない?

 

つながっていないから、灰色の男たちは時間を盗まないといけない。我々はどうなのか?灰色の男たちに近づいているんじゃないか?

 

典型的なのは「まだ」という意識で生きていて、何かがあるともう終わってしまった、過ぎてしまったと思う。今を生きていない。

 

伊集院光氏:僕もそういうところがある。分刻みの旅行のスケジュールを立ててしまう。70何分しかないってなると、これに何分使って、この新幹線に乗ってってやっていくと、本当はたまたま行ったお寺を満喫し終わりました、次に行きましょうという話だが、もはや時間が優先なので、1時間45分で満喫っていう。これは「時間のみなもと」とはつながっていない。

 

結局、伊集院さんではなくシステムやプログラムが満足している。全然時間どおりに行かない国で、ちょっとおもしろいことがあると、平気でプログラムを変えて行く人たちは、時間の本源に近いと言えるかもしれない。

 

国内はともかく海外はツアーで行くことが多いから、どうしても分刻みのスケジュールになるよね? 自由時間も限られてるからどうしても分刻みになる。観光メインだとたくさん回りたいから自然とそうなってしまう。そして、意外に達成感があって嫌いじゃないけどな。でも、バリ島のウブドでボーっと朝食食べてたら2時間経ってたみたいな旅行をしたら、とても新鮮だった。ウブドみたいなリゾート地ではリラックスして過ごした方が楽しいし、逆に都市部に行ったら分刻みのスケジュールの方が楽しい時もある。使い分けたらいい気もするけどな🤔まぁ、「モモ」で言いたいのは、そういうことではないんだよね😅

 

 

ホラはモモを抱きかかえ長居道のりを行く。モモを下したのは金色に輝く円天井の下。

 

朗読:大きな池があり、その水面を動く大きな振り子がある。

 

振り子が動くと大きな花のつぼみが伸びて来た。振り子が近づくにつれてつぼみは花開く。それはモモが見たことがないほど美しい花だった。やがて振り子がゆっくり元に戻ると花はしおれてしまう。

 

朗読:別の花が暗い水面から浮かびあがり、花を咲かせはじめる。

 

 

振り子にあわせ咲いては枯れていく時間の花。これこそが「時間のみなもと」

 

 

伊集院光氏:美しくも神秘的なシーン。

 

金色の円天井やまん丸な池など幾何学的な形が強調されている。存在の根源や全宇宙を表す曼荼羅に似ている。曼荼羅は古代インドにおいては洞窟での迷走中に発生したエネルギーが天井に当たり、幾何学的に広がった図案とされている。

 

「時間のみなもと」の描写は立体的な曼荼羅を示している。さらに振り子が振れると花が咲く。動く曼荼羅というか時間の曼荼羅と言えるのではないか。

 

伊集院光氏:日時計もそうだけど、あれを時間だけ切り出して機械仕掛けにしていくと、どこか摂理と離れるから。これは一番最初の時計というかまさに「時間のみなもと」の感じがして、それを文章にこうしてキレイに表すというのがスゴイ。

 

このシーンは本当に美しくて、自分がイメージしていたものとも近かったこともあり、思わずテレビ画面を撮影してしまった😅 後に映画のシーンが紹介されるけれど、ここはとても西洋的なイメージになっている。自分は仏教徒というわけではないけれど、やっぱり日本人の中には仏教的なイメージというのが刷り込まれているのかな? 今回、番組としてこの映像にしたのは、河合先生が作品の中の仏教的な要素について語られていることもあると思うけれど、自分の中でも花のイメージは蓮の花だったので、この画像はピッタリだった✨

 

生命の時計、生命を時計に合わせて生きてしまうが、生命が時を作る。

 

エンデの描こうとした世界観

 

モモ:あなた死なの?

ホラ:もし人間が死とはなにかを知ったら、こわいとは思わなくなるだろうね

モモ:あたしはこわくない

 

おもしろいのは「あたしはこわくない」 近代人は死を怖れる。死んであの世に行き、また帰って来るという世界観で行きていると死は怖くない。モモは灰色の男たちに代表される近代人の世界観で生きていないので、死が怖くない。

 

あなたは死なの?

 

ホラの充実した世界が、同時に無であるという指摘は仏教でいう「空」とても仏教に通じる世界観がある。

 

色即是空ということ? 「空」を説くというのは仏教の独特なところなのかなと思っているのだけど、その辺りの感覚をエンデも持っていたということなのかな? 西洋の文化でも「空」に近い感覚はあるのかな? そして、輪廻転生的な考え方もあるのかな? キリスト教の天国に行くというのは、仏教でいうところの極楽浄土へ行くということに近いのかなと思うけれど、そこからまた帰って来るという輪廻転生的な考えはあるのかしら? いずれにしても、死=新たな世界への旅立ちと考えると、怖くはない気がするし、そう説くことで布教してきた歴史があるということなのかな?🤔

 

映画『モモ』(1986年)より

 

ホラから「時間のみなもと」でたくさんのことを教わったモモ。その経験を友達につたえたくなる。

 

モモ:友だちに伝えていい?

ホラ:まだだ、まず待つことを学ぶのだ

 

朗読:星が話してくれたことを話していいかたずねると、話してもいいがモモの中でことばが熟されないと語るのは無理だから、待つことを覚えなくてはダメだと言われる。

 

ホラにうながされモモは眠りにつく。目を覚ますとそこは円形劇場の跡だった。モモの中には「時間のくに」の記憶がハッキリとあった。

 

朗読:一番記憶にあざやかに残っているのは、金の円天井の下で見聞きしたこと

 

伊集院光氏:商売柄もあるがグッと来るものがある。聞くエキスパートのモモが次の段階として話したくなっている。話すに移るにあたって言葉が熟するまで待つ。その待つっていう・・・

 

前回紹介したジジが灰色の男たちの支配を知らせるためのデモ行進を失敗した。気が熟すまで待つことが大事。上手くいくタイミングを「星の時間」として表現されている。ホラは「星の時間」が分かる時計を持っている。

 

モモが時計について聞くと

 

 

メモ取るのが面倒だったので、画像で撮っておいた😅 モモの質問に対するマイスター・ホラの答え。

 

「星の時間」を言い換えると時計では測れない質的なタイミングの事だと言える。心理学のルールとして子供にオモチャを持ち帰らせてはいけない。ルールーとしてあるが、認めてあげるべきタイミングが訪れる。ルール違反だと分かっても勝負すべき瞬間がある。最初からルールを破るのでは意味がないし、それでは失敗に終わる。ここだという時にそえを破ることも大事。

 

伊集院光氏:すごくよく分かる。ラジオの生放送に旬なゲストの方が来てくれるが、その人が軽くスキャンダルを抱えているとすると、生放送に入る前に事務所のマネージャーが、そのこと(に触れるのは)NGだと言う。でも、喋ってもいいタイミングがある。それは100回やって、100回違うけど。

 

安部みちこアナウンサー:やっぱり伊集院さんが感じ取るんでしょうね

 

伊集院光氏:たまに失敗しますけど。イヤ、でもホントにそのタイミングしかおそらくない。

 

「星の時間」は人との関係で訪れる。今聞けるとか、ここで絶対言わないといけないとか。そういう時間が一番出て来るのは恋愛関係。ピンポーン! 星の時間ですよ! とか教えてくれたらいいんだけど。

 

伊集院光氏:そういう腕時計があったら欲しい!

 

「機が熟す」という言葉があるわけだから、絶好のタイミングを待つという感覚は昔からあったということだよね。そういうことを、サラリと教えてくれる感じがとてもいい。子供たちにはこういう作品を読んで欲しいな。やっぱり本は読んだ方がいい! 想像力が養われるし、こうやって冒険小説のような形をとって、とても大切なことを教えてくれる。

 

目覚めたモモは友達が来るのを待つ。しかし、誰も訪ねて来ない。実はモモが時間の国で眠っていたのはたった一晩ではなかった。全てを知るカシオペイアがモモに伝える。「ミンナイナクナッタ」

 

朗読:モモは丸一年経ったことを知らされる。でも、ジジとベッポは待っててくれるハズだと言うが「スベテハスギサッタ」と言われてしまう。モモは初めてこの言葉の意味が骨身にしみ、心がいまだかつてないほど重くしずんだ

 

町はすっかり灰色の男たちに操られ、人々はただ時間を節約することだけに励んでいた。常連客だけが来ていた居酒屋はファストフード店になり、殺気立った雰囲気。店主のニノはかろうじてベッポとジジの消息を教えてくれたが、会話を続けてくれない。さらにカシオペイアともはぐれてしまう。モモは独りぼっちになってしまう。

 

朗読:モモほどの孤独はだれもしらないだろう。モモは宝のつまったホラ穴にとじこめられている気がした。誰も入ってくることはなく、自分が中にいることを知らせるすべもない。モモは時間の山にうずもれてしまった。

 

伊集院光氏:ちょっと浦島太郎的な展開ですね。

 

モモはもともと身寄りのない子で、円形劇場Jにやって来てからは、ベッポやジジをはじめとした町の人々に見守られてきた。町の人たちに出会った頃は、一人でも寂しさを感じたことはなかったけど、親友もでき町の人たちとも知り合ったことで、逆に失った時の寂しさを知ったわけだよね。そして初めて孤独を感じている。孤独とはどういうものかということを教えているのかなと思う。

 

モモが「時間のくに」にいる間に、ベッポは一心不乱に掃除をしており、ジジは物語の語り手として有名でお金持ちになったが、全てを語りつくしモモと話すためにとっておいた話も語ってしまい空っぽになってしまっていた。ジジはモモに話をすることで豊かな時間を過ごしていたが、空っぽゆえに空虚な作り話をする状態に。

 

伊集院光氏:ラジオパーソナリティーとして売れてスケジュールが忙しくなると、新しい話が出来る経験が亡くなっていく。そうすると、かなり際どい話をしたり、親友のプライバシーに少し触れちゃうような話を始めたりする。ゾッとする話。

 

どんな職種であっても経験や体験から知識が増えて、それが生かされていくわけだから、経験や体験する時間がなくなってしまえば、知識は枯渇してしまうよね。企業で研修をするのは知識を増やしていくことなわけだし。作家や芸術家などクリエイティブな職業や、ラジオパーソナリティーじゃなくても、普通に友達と会って話す時も、何も経験も知識もなければ会話についていけないし、自分も会話を作りだすこともできない。伊集院光氏のおっしゃることはよく分かる。

 

ベッポはモモがいなくなったことや、灰色の男たちを見たことを警察に話すが、上手く話せず精神病院に送られる。そこに灰色の男たちが現れ、モモを返してもらう代わりに時間を貯蓄することを承諾してしまう。以前、ベッポはシンプルな生き方の中で豊な時間を過ごしていた。そのベッポも正気を失ったように掃除をしてしまう。充実するのではなく、どれだけ早くするかという灰色の男の論理に完全にはまってしまう。

 

町の子どもたちも施設に入れられる。施設は人間社会が上手く機能するためにいろいろな人を収容する。近代では社会の周縁にいる人が施設に押し込められがち。現代では障碍者や高齢者が施設に囲い込まれる傾向がある。そういう意味ではエンデの描いている文明批判は、今の世の中で強まっている。

 

伊集院光氏:経済的に効率的であることが全てになってくると、規格外の人たちを受け入れない方が早いということになってくる。まさに今この状態だと。

 

経済的であることも効率的であることも良いことではあるのだけど、あまりにもそれを追求し過ぎると歪が生まれ、そこからはみ出したものを異端とし、規格外として排除してしまうことは、物質的に豊かであっても幸せとはいえないよね。幸せの形は人それぞれだけど、社会から不適合の烙印を押される、または押して排除することは、本当の豊かさとは言えない。エンデの言いたいことはこの辺りのことなのかな?🤔

 

その方がその人たちのためだと言っているが、失われているのは多様性の豊かさ。

 

伊集院光氏:今まさにこの今読み解いてもらった第3夜の状況って、本当に今現代社会の問題とリンクしてるから、最終話どうなっていくのか?

 

エンデが今作を書いたのは1973年。オイルショックがあって、日本ではずっと続いていた高度成長が明確に終わった時期なんだよね。その感じは世界的にもそうだったのかしら? エンデの生まれたドイツも敗戦国で、そこから東西ドイツが分断して、この時期にはベルリンの壁が存在していた。そして米ソの冷戦時代の真っただ中。その中で、経済的で効率的であることが求められ、人々が豊かさを失っていくことに危機感を感じていたということなのでしょうけれど、それが現在ではさらに加速している感じが興味深く、ちょっと怖い😅

 

次回は最終回! 楽しみ✨

 

100分de名著:毎週月曜日 午後10:25~10:50 Eテレ

100分de名著

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【cinema】『ブリング・ミー・ホーム 尋ね人』オンライン試写会

2020-09-22 14:32:37 | cinema

2020.09.11 『ブリング・ミー・ホーム 尋ね人』オンライン試写会

 

cocoでオンライン試写会に当選! いつもありがとうございます😃 この時期ホントにありがたい上、自分のタイミングで鑑賞でき、期間中な繰り返し見れるのもうれしいところ✨

 

 

ネタバレありです! 結末にも触れています!

 

「看護師のジョンヨンの当時7歳だった息子ユンスが6年前行方不明になった。教師だった夫ミョングクと2人で必死に捜索するが消息はつかめない。そんな中、ミョングクが事故で亡くなってしまう。打ちひしがれるジョンスに、ユンスによく似た少年がネブ島にいるという情報が入るが・・・」という話。行方不明の息子を探す話といのは知っていたけど、かなりの闇を見せられるので正直辛い。でも、14年ぶりの映画出演となるイ・ヨンエの演技が素晴らしく引き込まれて見てしまう。どんよりと不穏な空気が感じられる映像も良かった。

 

キム・スンウ監督作品。今作が長編デビュー作となるため、もちろん作品を見るのは初めて。監督1作目でイ・ヨンエ復帰作ってスゴイね😲 しかも脚本もご自身で書かれたのだそう。12年前にいつも通っていた場所に、子供を探しているという横断幕がかけられた、その光景やご両親の手の皺などが浮かび、家に帰ってからも辛く、脚本を書き上げたのだそう。そんなことがあったのね😢 作品のWikipediaはないので、興業成績などは分からない。公式サイトによると韓国映画ナンバーワンヒットとなったとのこと

 

今作、実はあまり説明的なセリフはなく、会話などから主人公の過去や現在の状況を推測する感じ。しかも、後につながるけれど2つ場面が交互に描かれる。大きな出来事も起きるけれど、全体的にジワジワと見せる感じなので、細かく描写しつまらないし、そもそもそんなに覚えていない💦 なので、細かくシーンごとに書くのではなく、適当に端折ったり要約したり、順番を変えたりします。毎度どうでもいいと思うけれど、断り書きとして書いておく😌

 

髪は乱れ、服にも顔にも泥がついている姿で呆然とした表情で歩く中年女性の姿がタイトルバックに映し出される。一体、彼女に何があったのか? この導入部から引き込まれた。

 

本編に入ると直ぐ、運び込まれた救急患者の処置に当たる看護師ジョンヨン(イ・ヨンエ)の姿が映し出される。このシーンは主人公が看護師であるという説明描写。主人公が看護師をしていることは、後のシーンで生かされる。

 

仕事を終えたジョンヨンは、夫のミョングク(パク・ヘジュン)とある家を訪ねる。どうやら6年前に7歳で行方不明になった息子ユンスのことを聞きに来たらしい。藁をもつかむ気持ちなのでしょうが結果は芳しくない。夫婦は自身も行方不明児童だったという行方不明家族捜索の会のスンヒョン(イ・ウォングン)に相談しながら、ユンスを探しているようだけれど、韓国では子供の行方不明は多いのかしら?

 

行方不明というからには探している人がいるわけで、迷子だけでなく誘拐などの可能性もある。身代金目当ての誘拐ではなく、人身売買目的ならば手がかりをつかむのは難しいかもしれない。今作でも少しそういう側面もあるけれど、世界的に問題となっている子供の人身売買目的の誘拐を描いているわけではない。

 

ミョングクは教師だったようだけれど、ユンスを探すためか今は無職らしい。車にユンスの写真と連絡先を貼り情報提供を呼び掛けている。帰宅するとジョンヨンはボンヤリとしていて、夕食の支度が出来ていない。夕食を買って来るというミョングクに、直ぐに作ると言うもののお米がない。買って来ると言い張るジョンヨンをミョングクは優しくなだめる。するとジョンヨンは泣き出してしまう。

 

どうやらジョンヨンは育児疲れだったようで、ユンスがいなくなればいいと思ったことがあると告白する。ミョングクはジョンヨンを責めることはなく優しく抱きしめる。必ずまた3人で暮らそうと言う😢 このシーンは直後の悲劇の振りであるとともに、家事や育児の比重が女性にかかり勝ちであること、そのことが女性に追いつめていることを伝えていて、ユンス捜索とは一見関係ないけれど。重要なシーンだと思ったし、監督の訴えたかったことの一つなのだと思う。

 

ミョングクは仕事も探しており、教師の仕事を得る。その帰り道、ユンスを見たとの情報がメッセージに入る。慌てて現地に急ぐ。しばし情報に沿って車を走らせる描写が続く。しかし、冗談だ本気にしたのかとあざ笑うメッセージに愕然としてしまい、そこにトラックが突っ込んできてミョングクは亡くなってしまう。ビックリ😲

 

この一連のメッセージを送ったのは小学生か中学生。まさか事故死してしまうと思わなかっただろうけれど、藁をもつかむ思いで生きている人にしていい仕打ちじゃない😡 警察に厳重注意されたというシーンが入るけれど、この辺りはSNSなどでのいたずらに警鐘を鳴らしているのかも?

 

一方、ネブ島の釣り場では2人の少年がこき使われていた。大柄の若い男が特にひどく、少年の1人であるミンスを蹴飛ばしたりしている。それをたしなめる中年男性も、少年を庇っているというよりは、面倒に巻き込まれたくないという感じ。ただ、度々ミンスがいじめられることに心を痛めているような描写があったので、この人物により事態が好転するのかと思いきや、まさかの展開にビックリすることになる。

 

ハッキリした説明はないのだけど、この釣り場は家族経営のようで、老夫婦とその娘もしくは息子家族が経営していて、中年男性と大柄の男は従業員。後に実はこの2人は前科者であることが分かる。少年2人は明らかに身寄りのない子たちで、誘拐ではなさそうだけど、不当な扱いを受けていることは間違いない様子。

 

釣り場の主人である老人は島の権力者のようで、警察のホン警長(ユ・ジェミョン)に賄賂を渡して便宜を図ってもらっているらしい。ホン警長は若い警官と組んでおり、この警官は理想に燃えているというほどではないけれど、まだ毒されてはいない様子。たまたま目にしたユンスの尋ね人広告を見て、釣り場で働くミンスによく似ていることに気づく。

 

ホン警長は面倒を起こすなと取り合わない。この時点でホン警長はいい人とは言い切れないけど、若い警官とのやり取りがコミカルでクスっと笑ったりしていた。でも、後にホン警長は本性を表す。一応、若い警官がミンスを調べると、ミンスにはユンスの特徴である耳の後ろの痣や、ヤケドの跡があるなど、とても怪しいながらも結局踏み込めずに終わる。

 

ミンスは粗末な小屋に監禁状態で、夜には大柄な男がやってきて性的虐待を受けている様子。もう一人の少年はそういう描写はないけれど、同じような目にあっていたのかもしれない。とにかく胸糞悪い😠

 

若い警官が深い追いできなかったのは、子どもが生まれたばかりなのだから自重しろとホン警長に言われたこともある。でも、子を持つ父だからこそ、ミンスと彼を探しているであろう両親を放っておけなかったのだと思う。若い警官はチラシに書かれていた連絡先に電話を掛ける。

 

丁度その時、ミョングクの葬儀では大泣きし、これからはジョンヨンの力になると言っていた義弟は、妻にそそのかされて兄の保険金から子供の学費を用立ててもらおうと、ジョンヨンを呼び出していた。ジョンヨンが席を立った後、ジョンヨンのスマホが鳴る。義弟が出ると若い警官からで、ユンスと思われる少年ミンスの情報だった。義弟はこれを利用することにする。これは嫁の入れ知恵だったような? 義弟は乗り気ではなかったけど、それは良心が咎めるというより、バレないかドキドキしている感じもしたけれど😅

 

義弟の計画はミンスの居場所を教える代わりに金を出せというもの。人を雇って身代金の受け渡しさながらのやり取りをする。義弟の計画であることは後から分かるので、ジョンヨンは騙されてしまうのではないかとスリリングなのだけど、結局は大金を失ったものの、情報自体は正しかった。なので義弟夫婦の存在ごといらない気もするけれど、身内さえ信用できないという主人公の不幸を強調したかったのかも? あとはやっぱりサスペンス要素かな?🤔

 

さて、いよいよジョンヨンがネブ島へ乗り込む。見ている側はボートハウスの人々が良い人でないことは分かっているけど、ジョンヨンには分からない。なので、いきなり子供を探していること、よく似た子供がここにいるとの情報があったと正攻法で行ってしまう。ミンスたちを虐待している釣り場の人々は当然ながら否定し、適当にあしらわれてしまう。

 

ジョンヨンは強い女性だけどスーパーヒロインではなく普通のおばさんなので、この人たちを怪しいと感じつつも、特殊能力で犯罪を見抜いたり、複数の曲者相手に丁丁発止を繰り広げられるわけでもない。なので、見ていてとってももどかしい。でも、うつろな表情で何かに突き動かされて必死な姿が、見ている者の胸を打つ。イ・ヨンエの演技がスゴイ

 

たしか、ジョンヨンは一度車で帰ろうとするのだけど、途中で車を止めてまだ釣り場に戻ったよね? 確かまだ明るいうちに髪の毛を結び直して臨戦態勢的な感じのシーンがあったと思うのだけど?🤔 そして、釣り場の人もまた戻って来た的なセリフがあったように思う。2度目はしつこいと追い返されるんだっけ? ミンスじゃない方の少年に会わせて納得させるのは1回目? 2回目? 去り際にジョンヨンが少年をハグしていたと思う。

 

ジョンヨンはその夜、ネブ島のホテルに泊まる。このネブ島の説明があまりなく、釣り場はあまり流行っている感じでもなかったけど、このホテルの部屋はスタイリッシュで意外だった。別にいいけど😅 一人の時間を過ごすジョンヨンは足の小指の爪から血が出ているのに気づく。これ副爪と字幕に書かれていたのだけど、見ている時には副爪の意味が分からず、ウチのプロジェクターの画質の限界かよく見えず、どういう状態なのか分からなかった😣💦

 

というのも実はユンスも副爪で、そしてこれが後に重要なカギとなるから。とはいえ、そのシーンもしかしたら自分の知識のなさと、さらにプロジェクターの画質問題で間違った理解をしているかも?🤔 調べたところ副爪というのは巻き爪の一種で、足の小指の爪の横にもう一つ爪が出来てしまう状態のことを言うらしい。遺伝するものなのか不明だけど、前述したとおりジョンヨンとユンスは副爪ということになっている。

 

ジョンヨンの副爪を見て、ミョングクがユンスもそうだったと話したことを思い出し、張り詰めていたものが切れたように号泣してしまう。そして、ジョンヨンは釣り場に戻る。釣り場に忍び込んだジョンヨンは少年が閉じ込められているのを発見する。ジョンヨンは、やはり釣り場の人々はユンスを隠していると確信する。

 

ちょっと記憶が曖昧な部分があるのだけど、2回目にジョンヨンが訪ねた時、ミンスは監禁されていたけれど、ジョンヨンがキム・ユンスという子供を探していること、それが自分なのではないかということを知ったんだよね? 虐待していた若い男から聞かされたんだっけ? 床にキム・ユンスと彫るシーンがあって、その文字をジョンヨンが発見するのはこの段階だったっけ? 曖昧な記憶😅

 

ここからは怒涛の展開なので、細かなことを忘れてしまったのだけど、重要なのはミンスが脱走したこと。この後のミンスの行動含めて、彼がどこまで考えて行動したのかは不明だけど、自分を探している人がいるというのは、彼に行動する勇気を与えたのでしょう。しかし、それが悲劇を生んでしまう😢

 

ジョンヨン含めて全員でミンスを探そう!となったわけではないけど、いろいろあって結果ミンスが桟橋に向かっていることが分かる。皆で追いかけると彼は桟橋の先まで行ってしまう。海が荒れていて危険な状況。ホン警長や釣り場の人々は悪い人たちだけど、ミンスに死んでほしいと思っているわけじゃない。だから、皆で戻って来るように言うけど、ミンスは動かない。そこで、ジョンヨンが進み出て、自分はミンスの母親であり、ずっとミンスを探していたと言う。ミンスが「お母さん?」と言うと同時に波にさらわれてしまう。なんてこと!

 

ジョンヨンは呆然として車の方へ歩いてく。すると彼女の頭を殴って気絶させた人物が。なんと唯一まともそうに見えた中年男性だった。ショック!😣 気が付くとジョンヨンは柱に拘束されており、傍には中年男性と若い大柄の男。確かここで彼らが元犯罪者だったことが分かったのだと思う。

 

理由は忘れたけど中年男性がいなくなり、大柄の男のみになる。彼はジョンヨンを襲おうとする。ジョンヨンはこれに乗る形で、巧みに拘束を解かせることに成功。もしもの時に忍ばせておいた注射器を男の首に突き立てる。これは勤務する病院から持ち出したもので、薬品の名前も映っていたと思うけれど覚えていない💦 なので一時的に動きを麻痺させるものなのか、命を奪うものなのかは不明。この後の展開から考えるとおそらく後者。

 

ここからは怒涛のアクションシーン。役者たちがどの程度自分で演じているのか不明だけど、ジョンヨンはホン警長に殴られたり蹴られたり投げられたりする。ホン警長は釣り場の娘? 嫁?と男女の関係にあるらしく、ジョンヨンは2人が一緒にいる所に踏み込み2人をやっつける。老夫婦は後に事情聴取されていたと思うので、ジョンヨンにやつっけられてはいないと思うけど、息子? 婿?はどうだったっけ🤔

 

とにかく、ジョンヨンはかなり暴れた。とはいえ、前述したとおりスーパーヒロインではないので、本人もかなり暴力を受けるし、アクションシーンとしてスタイリッシュではない。でも、だからこそ主人公の怒りと悲しみが伝わってきたし、見ている側はこの復讐を正当化してしまう。ホン警長を倒したジョンヨンが外に出ると、そこにいたのは中年男性。この人がラスボスで、確かやっつけたのだけど、どうやったのか忘れてしまった💦 少年のお手柄があったようにも思うのだけど、はて?🤔 

 

通報を受けたのか若い警官が釣り場に来たと思う。とにかく、老夫婦がしょんぼり警官に囲まれている画が浮かぶので、そうだったのでしょう😅 そして、そのシーンで少年がジョンヨンと一緒に行くと言う。

 

場面変わって海岸。この海岸かなり広い砂漠のような画が浮かぶのだけど、実際はどうだったかな?🤔 ミンスの遺体が見つかったらしい。ここが前述のシーンで、ミンスの左足の小指が映る。副爪がどういうものか知らなかったこともあり、自分はミンスの爪は普通の爪のように見えた。なので、ミンスはユンスではなかったのだと解釈した。ただ、副爪だったのだとしたら、この後のシーンの意味が違ってくる。

 

シーン変わって2年後。助手席にはあの少年。2人はどこかへ向かっており、少年は"兄"のことを話題にしている。また場面が変わって芝生の生えた庭のような場所。子どもたちが遊んでいる。そんな中、コチラに背を向けた少年に女性が何か話しかけている。彼の耳の後ろには痣がある。ユンスの特徴? 彼がゆっくりコチラを振り向くシーンで映画は終わる。

 

で、このシーン。前述どおり自分はミンスはユンスではないと思っていたので、この少年こそがユンスなのだと解釈し、希望の持てるラストだと思った。でももし、ミンスがユンスだったのだとしたら、ジョンヨンはユンスの死を受け入れられず、永遠にユンスを探し続けるというラストもあり得る。これどっちなんだろう🤔

 

あくまで個人的な意見だけど、子どもを探しているという横断幕を掲げたご両親の姿を見て、今作の脚本を書き上げた監督が、永遠に子供を探し続ける母親を描くことはない気がする。例えミンスが副爪だったとしても、ラストに振り向いた少年こそユンスだったのではないかな。さすがにDNA鑑定してると思うしね😅

 

そして、不幸な人生を生き命を落としたミンスは、ジョンヨンを母親と思ったまま逝けたということなのかなと。それが本当に幸せなのかは別として、自分が誰からも愛されない、必要とされていないと思ったまま亡くなるのは悲しすぎる😭 

 

役者たちは皆良かった。とにかく主人公と夫以外のほとんどがイヤな人なので、それぞれアクが強く見ていて嫌だけど、それだけ演技が上手いということ。釣り場の従業員の中年男性が唯一の良心と見せかけて、実はラスボスという感じがとても良かったのだけど、公式サイトに紹介がなく役者名が分からなくて残念😢

 

ホン警長のユ・ジェミョンが前半のいい人とは言い切れないけど憎めないコミカルな感じから、後半の最悪な人物っていうのも良かった。優しくて理解のある夫ミョングクのパク・へジュンも、亡くなった後も主人公を支える役どころとして印象を残す。

 

何といっても14年ぶりの映画出演となったイ・ヨンエが素晴らしい  ご自身も女優業を休んでいた間の子育ての経験が、どのように演技に現れるのか気になっていたと公式サイトに紹介されているけれど、スーパーヒロインではない普通の女性が、子どもに会いたいという一心で突き動かされている様子には鬼気迫るものを感じさせた。それは、やはりご自身が母親だからだと思う。この演技はスゴイ!

 

子どもの失踪や児童虐待など社会問題を描き、登場人物も嫌な人が多くて気分が重い。その感じを表すように終始どんよりとした映像。特に釣り場のさびれた感じが陰鬱で、閉塞感があって息が詰まる。前半はサスペンス調で、後半はアクションものになったりと、見ていて辛いのに目が離せなかった。

 

コロナ禍でなかなか劇場鑑賞をオススメしにくい😢 でも、母の愛情を感じる作品が好きな方はオススメ。イ・ヨンエ好きな方必見!

 

『ブリング・ミー・ホーム 尋ね人』公式サイト

 

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【Googleのロゴ】2020年 秋分の日

2020-09-22 00:46:57 | Google's logo

毎度のGoogleのロゴがこんなことに!

 

 

2020年 秋分の日

 

毎度のWikipediaによりますと・・・

(Wikipediaは性質上不確かな情報も含んでいることがあります)

 

秋分の日(しゅうぶんのひ)は、日本国民の祝日の一つであり、

祝日法により天文観測による秋分が起こる秋分日が選定され休日とされる

通例、9月22日から9月23日ごろのいずれか1日。

 

しばしば昼が短くなって「昼と夜の長さが等しくなる日」といわれるが、実際は昼の方が少し長い。

詳細は秋分を参照。

本項では「秋分の日」と「秋分日」を区別して記述する。

 

「秋分の日」は、1948年(昭和23年)に公布・施行された国民の祝日に関する法律

(「祝日法」、昭和23年法律第178号)によって制定された。

同法第2条では「祖先をうやまい、なくなった人々をしのぶ。」ことを趣旨としている。

 

「秋分の日」は毎年9月23日頃の1日間に定められる。

祝日法上で「秋分日」としており、日付を指定していない。

 

休日としては、

1878年(明治11年)改正の年中祭日祝日ノ休暇日ヲ定ム(明治11年6月5日太政官布告第23号)による

秋季皇霊祭から続くもので、

1948年(昭和23年)に廃止される休日ニ關スル件(昭和2年勅令第25号)までこの名称だった。

 

従来9月15日だった敬老の日が、祝日法の改正(いわゆるハッピーマンデー)により、

2003年から9月第3月曜という移動日に変更されたことにより、

9月15日 - 21日のいずれかとなった。

秋分の日が9月21日9月22日9月23日のいずれかで、かつ水曜日となった場合、

その2日前の月曜日が敬老の日となり、

祝日法の規定により間に挟まれる火曜日が国民の休日となり、

結果として敬老の日前日の日曜から4連休(週休2日制であれば5連休)となる。

この連休はいわば「第2のゴールデンウィーク」であり、

敬老の日と国民の休日が関係することもあって「シルバーウィーク」と呼ばれることもある。

 

とのこと😌

 

検索画面のロゴはこんな感じ

 

今日のロゴ、デザインも色調も好き😍

 

よい秋分の日を~✋😃

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【Googleのロゴ】2020年 敬老の日

2020-09-21 00:42:16 | Google's logo

毎度のGoogleのロゴがこんなことに!

 

 

2020年 敬老の日

 

毎度のWikipediaから引用!

(Wikipediaは性質上不確かな情報も含んでいることがあります)

 

敬老の日(けいろうのひ)は、日本国民の祝日の一つである。

日付は9月の第3月曜日

2002年(平成14年)までは毎年9月15日を敬老の日としていたが、

2003年(平成15年)から現行の規定となっている。

 

敬老の日は、

国民の祝日に関する法律(祝日法、昭和23年7月20日法律第178号)第2条によれば、

「多年にわたり社会につくしてきた老人を敬愛し、長寿を祝う」ことを趣旨としている

 

兵庫県多可郡野間谷村(後に八千代町を経て現在の多可町八千代区)で、

1947年(昭和22年)9月15日に村主催の「敬老会」を開催したのが「敬老の日」の始まりであるとされる。

これは、野間谷村の村長であった門脇政夫(1911年 - 2010年)が

「老人を大切にし、年寄りの知恵を借りて村作りをしよう」という趣旨から開いたもので

9月15日という日取りは、

農閑期にあたり気候も良い9月中旬ということで決められた。

 

2001年(平成13年)の祝日法改正(いわゆるハッピーマンデー制度の実施)によって、

2003年(平成15年)からは9月第3月曜日となった。

 

とのこと😌

 

検索画面のロゴはこんな感じ

 

いつもありがとうございます🥰

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【cinema / DVD】2020年8月鑑賞まとめ

2020-09-17 00:01:19 | cinema / DVD

【cinema / DVD】2020年8月鑑賞まとめ

 

鑑賞レビューを書く時間がないDVDやTVで鑑賞した映画の記録を残しておきたいってことで、レビュー投稿している映画サイトcocoの投稿をもとに残しておく企画。

 

ということで感想をドゥゾ♪(っ'ω')っ))

 

#126.『タクシードライバー』@WOWOW(2020年8月1日鑑賞)

coco投稿

今見るとバイオレンス部分はそれほどでもないし、

主人公の奇行もPTSD等説明つくけど、当時はかなり衝撃的だったと思う。

70年代の街並みやセット、衣装がサイケでポップ✨

主人公の孤独が浮き立つ。

デニーロがスゴイ!

 

#127.『アナと世界の終わり』@WOWOW(2020年8月3日鑑賞)

coco投稿

面白かった!まさかのミュージカルでビックリ!😲

青春モノとしても楽しめるし、ゆるいゾンビ映画としても楽しめて、

さらにミュージカル部分もいい。

クスクス笑いながら見つつ、泣かせるのもよい。

ラストの感じも好き😍

 

#128.『アイネクライネナハトムジーク』@動画配信(2020年8月4日鑑賞)

coco投稿

原作未読。

今泉監督の長編商業作品は初めて見たかも?

普通の人の普通の人生に、少し偶然や奇跡がまぶしてあって、

それは本人がたぐり寄せたもの。

少しほろ苦い感じもいい。

三浦春馬がとても良かった。

本当に惜しい。

 

#129.『ブライトバーン / 恐怖の拡散者』@WOWOW(2020年8月9日鑑賞)

coco投稿

少年の正体がアレだとして、

やってきた経緯からどうして?とか何のために?とか疑問はあるけど、

全体に漂うB級感含めて楽しめた。

ジャクソンAダンが神経質そうな外見含めてとても良かった。

 

#130.『HOT SUMMER NIGHTS / ホット・サマー・ナイツ』@WOWOW(2020年8月10日鑑賞)

coco投稿

いつどこで誰と会うかってホント重要だと思うが、素地はあったということでしょう。

共感も同情もないし、おもしろかったかと言えば微妙。

同世代には教訓になるかも?🤔

 

#131.『彼らは生きていた』@WOWOW(2020年8月15日鑑賞)

coco投稿

デジタル着色した映像に、読唇術で会話を再現。

映像が美しく遺体など生々しいのに、時々映画を見ている感覚に。

それが怖い。

志願した若者は宣伝を信じ現実感のないまま戦地に行った。

笑顔が辛い。

確かに彼らは生きていた。

 

#132.『コクリコ坂から』@日テレ(2020年8月21日鑑賞)

coco投稿

キャラや背景などの作画はさすがの一言で、本当に美しい。

1960年代の日本の風景が興味深く、学生たちのミュージカル部分も楽しいが、

全体的にあまり面白くはないかな?🤔

2人のアレも韓流ドラマっぽいし😅

 

#133.『ゾンビランド』@WOWOW(2020年8月22日鑑賞)

coco投稿

続編と間違えて録画😅

久々見たけど笑ったー🤣バカバカしくて好き🥰

今見るとかなり豪華キャスト!

ビルマーレイもっと長く出てた気がしたけど意外に短い🤔

何も考えず楽しめる!

 

#134.『ミザリー』@WOWOW(2020年8月23日鑑賞)

coco投稿

初見。

これはおもしろかった!

密室でほぼ2人芝居なのに全く飽きない。

必要迫られて書き始めて、傑作できちゃう感じもいい。

家の外が風光明媚なのも逆に怖い。

キャシーベイツが圧巻の演技!時にかわいく見えるのがスゴイ!

 

#135.『借りぐらしのアリエッティ』@日テレ(2020年8月28日鑑賞)

coco投稿

作画が素晴らしく、冒険は楽しくて小人たちの暮らしがかわいい✨

でもよく考えたら借りじゃないね😅

原作ありなら仕方がないけど、小人と共存からの棲み分け的な話の方がいい気が。

声が合ってないキャラが気になった😵

 

#136.『ジュマンジ / ネクストレベル』@WOWOW(2020年8月31日鑑賞)

coco投稿

前作のキャラだけでなく、新キャラも投入して飽きさせない。

ホロリと感動させつつ、笑わせる。

キャラを演じる役者たちが上手い!

再始動のきっかけが、ゲームにハマる理由の一つなのかなと思ったり🤔

続編ありかな?

 

ということで、8月は11本と少なめ。新作もあまり公開されていないし、PCR検査陽性者数が増えたりで映画館に行くのを控えていることもある。試写会はそもそも開催されていないけど、オンライン試写会も当たらず😢 しかし、あっという間に8月も終わってしまい、気づけば9月も半ば💦 今年は何だか分からないうちに終わってしまうねきっと。早くコロナ収束してくれ!

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【art】「ピーター・ドイグ展」鑑賞@東京国立近代美術館

2020-09-16 00:57:53 | art

【art】「ピーター・ドイグ展」鑑賞@東京国立近代美術館

 

 

 

 

 

国立近代美術館って前から”東京"ってついてたっけ? 東京国立近代美術館は、展示スペースは4階まであるから全体的には広いけど、1フロアのみならそんなに広くはない。今回はさらに小さめに使っての展示。

そもそもの作品が大きなこともあるけど、点数も多くなくサクッと観れた。全作品撮影可能で、ルールを守ればSNS投稿もOKという太っ腹企画。全作品ではないけどいろいろ撮ってきた!

 

例によって気になった作品をTweetしておいたので、それに追記する形で感想を書いていこうと思うので、それに合わせて写真もUPしておく😌

 

ピーター・ドイグ(Wikipedia)について少し書いておく。ピーター・ドイグはスコットランド出身の現代アーティスト。父親の仕事の関係で、幼少期をトリニダード島とカナダで過ごす。ロンドンでアートを学び、後カナダに移住。トリニダード・トバゴに住んでいる? いた?らしい。

 

実は、今回の企画展で初めて知った。たまたま貰ってきたチラシの民俗衣装?の男性2人が描かれた作品にとても惹かれた。予備知識も全く入れずに見たのだけど、直感はとても正しかったと思う。とても好きな作風。

 

 

「天の川」

 

なんだか画像が小さい💦 自分のTweetから画像保存してUPしてるんだけど、最近小さくなっちゃうのなんでだろう?🤔 Tweetにもあるとおり『13日の金曜日』のラストシーンに由来しているそうなのだけど、自分は未見なのでよく分からない😅 個人的にそんなに気に入った作品ではないのだけど、映画好きとしては外せなかった。不穏なのに、どこかコミカルな感じがするのは何故だろう。ちょっとおもしろい。

 

「ブロッター」(部分)

 

ブロッターって検索すると、万年筆のインクをふき取る道具がいっぱい出てきちゃうんだけど? 原題も「Blotter」でこれも吸い取り紙という意味。どういうことなのか?🤔 でも、この淡い色合いとタッチがとても好きだった。

 

「スキージャケット」(部分)

 

「スキージャケット」は、トロントの新聞に掲載された日本のスキーリゾートの広告写真を参照して描かれたのだそう。トロントの新聞に日本のスキー場の広告が載ってるの😲 淡い色合いの風景画のようだけど、よく見るとスキーヤーが細かく描かれているんだよね。おもしろい✨

 

白い絵の具で雪を表現しているのだけど、絵自体に雪が降り持っているように見えるけれど、ドイグ氏によるとピーテル・ブリューゲル(父)の作品にも同じ効果が見れるのだそう。なるほど!

 

「カヌー」(部分)

 

「カヌー」には解説がなかったので、この場所がどこで、この人が誰なのかも分からない。かなり大きな作品で、パッと見るとエメラルドグリーンのカヌーが印象的で、とても美しい作品なのだけど、近づいてみるとカヌーから湖に手を伸ばしている人物が! 女性のようにも見えるし、少年のようにも見える。そもそも人間なのかも分からない。神秘的でもあるし、少し怖くもある😱 すごく好き。

 

ピーター・ドイグが誰の影響を受けたのか分からないのだけど、どこかムンクとかの不穏さのようなものを感じさせつつ、印象派のような淡い色使いとタッチが融合していて面白い。

 

 

「ロードハウス」(部分)

 

画像はホントに一部を切り取ったので、全体的を見ると全然印象が違うと思う。3分割の構図になっている。空、家のある部分、そして川かな? それぞれ青、黄色、赤がテーマカラーになっている。でも、岸辺に建つ家の絵。ご本人によると、この構図の出発点はバーネット・ニューマン(Wikipedia)からとのこと。

 

全体的に見るとモダンアートという感じなのだけど、一部分だけ切り取っても一つの作品として成り立つのがスゴイ。この部分を切り取ったのはこの小屋?の色使いが、後の作品につながるのかなと思ったので。

 

「コンクリート・キャビンⅡ」

 

「コンクリート・キャビンⅡ」で描いたのは、フランス北西部のブリエ=アン=フォレにあるユニテ・ダビタシオン(Wikipedia)で、ル・コルビュジェ(Wikipedia)による集合住宅。この建物自体がアートなので、そこはそんなにいじっていないけれど、手前に木を多く描くことで、何か遺跡を発見したような感覚になってちょっと面白い✨

 

「ガストホーフ・ツァ・ムルデンタールシュペレ」(部分)

 

「ガストホーフ・ツァ・ムルデンタールシュペレ」

 

「ガストホーフ・ツァ・ムルデンタールシュペレ」は今展のポスターに使われた作品。基本の構図はドイツのダム湖を写した古い白黒写真を参照しているそうで、中央の2人はドイグが学生時代に英国国立歌劇場の衣装係として働いていた際に撮った写真がもとになっているのだそう。ちなみに右がドイグ本人。

 

まさかのご本人登場でビックリ!😲 民族衣装っぽく見えていたけど、これは舞台衣装だったのね  全体的に暗い色調なのに、中央に配置された城壁?がカラフルでポップ。そして、その前に立つ2人の感じがほのぼのとしていておもしろい。2人がほのぼのしているというのはチラシで見た時点で感じていて、それは画家自身が若い頃にノリで撮った写真がベースになっているからなのね? まぁ、ノリで撮ったのかは不明ですけども😅

 

この真ん中の城壁のような部分の弧の描き方とか、積み上げられた石がカラフルな感じがすごく好き。「ロードハウス」の小屋とか、「コンクリート・キャビンⅡ」の感じが、ここにつながったのかなと勝手に解釈。そして、ちょっとアントニ・ガウディ(Wikipedia)が手掛けたグエル公園を思わせる。行ったことないけど😅

 

 

 

 

最後は40点のドローイング。トリニダード・トバゴの首都ポート・オブ・スペインの元ラム酒蒸留所だった建物の一角にあるドイグのスタジオで、毎週木曜日に「スタジオフィルムクラブ」と題して、映画の上映会を開いていたのだそう。上映後は作品について語り合ったり、その後音楽イベントに移行したりと楽しそうなイベント。これらは近隣住人への告知用。上映する作品もアート的で独特だし、ポスターも楽しい✨

 

 

「東京物語」

 

「東京物語」って小津安二郎の『東京物語』(感想はコチラ)だよね? 確かによく見ると天守閣のようなものが描かれていて日本っぽい風景だけど、『東京物語』を描く際に、この風景を持ってくるのスゴイわ!

 

「座頭市」

 

北野武監督作品が好きみたいで数点あった。日本での企画展を意識して点数多めというのはあるとは思うけど。でも、上映したのは間違いないからね! しかし、この顔のインパクト! そしてよく特徴をとらえてるわ。

 

「赤いトタン屋根の猫」

 

エリザベス・テイラー似て! 映画は未見だけど、このポスター見たら見たくなる!

 

「お熱いのがお好き」

 

これは💦 この制服着てるのはトニー・カーティス? 目の周りは女装時のメイクを表しているのかもしれないけど、これじゃまるでピエロだよ! しかも、このピエロ殺人鬼っぽいわ😅 ペニーワイズでしょ。アレ?これジャック・レモンにプロポーズしたおじいちゃんか とにかく、マリリン・モンロー一切排除してくるのスゴイわ。

 

 

「ぼくのエリ 200歳の少女」

 

『ぼくのエリ 200歳の少女』(感想はコチラ)は好きな作品。とても妖しくて切なくて大好き。だけど、こんなかわいらしい場面を切り取りますか 内容知らないでこのポスターだけ見て見たらビックリすると思うわ。これも3分割構図になってるのかな? 文字の配置も好き。

 

 

 

 

展覧会に行ったら必ずポストカードを買うことにしている。チラシと目録とポストカードをクリアファイルに入れて保管しているので。今回はこの2点。「ぼくのエリ」があったら欲しかったのだけど、残念ながらなし😢 

 

入場時間毎のチケットもプレイガイドで販売されているけど、入場開始時間しか書かれていなくて、何時までに入ればいいのかとか、入替制なのかとかが分からなかったのと、そこまで混雑していないのではないかと考えて美術館の窓口でチケット購入。特に並んだりもせず買えた。

 

マスク着用は必須で、入場時に体温検査アリ。ソーシャルディスタンス的な注意はなかったけど、作品自体が大きく、点数も少なめなので、サクサク見れちゃうこともあり、混雑はなかった。

 

今回初めて知ったピーター・ドイグ。一気にファンになった! まだまだ作品たくさん生み出してほしい!! よい企画展だった✨

 

🎨ピーター・ドイグ展:2020年10月11日まで @東京国立近代美術館

ピーター・ドイグ展

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【tv】100分de名著「モモ」(第2回)

2020-09-14 00:13:42 | tv

【tv】100分de名著「モモ」(第2回)

時間を奪う「灰色の男たち」

 

 

1回25分×4回で1つの作品を読み解く番組。8月はミヒャエル・エンデの「モモ」(Wikipedia)で、今回はその第2回。講師は臨床心理学者・京都大学教授の河合俊雄氏。セラピストの視点で読み解いていく。第1回の記事はコチラ

 

時間泥棒「灰色の男たち」が現れ、時間を節約するように人々を誘惑するが、節約した時間は盗まれていく。どうやって? 目的は?

 

朗読:のん(朗読部分については、印象的な部分のみの抜粋もしくは要約となっております🙇)

 

朗読:あいてがそれと気のつくずっとまえから、すっかり調べあげていました。たとえば床屋のフージー氏の場合を見てみましょう。

 

店の評判も良く、お金持ちではないものの、それなりに幸せに暮らしていたフージーさん。ある雨の日、お客を待ちながら外を眺めていた時ふと思う。

 

朗読:死んでしまえば、まるでおれなんぞもともといなかったみたいに、人にわすれられてしまうんだ。

 

何もかもがつまらない、不意に虚無におそわれた瞬間、店に葉巻をくゆらせた男が入って来た。男は鏡の前に腰をおろすと言う。

 

わたくしは時間貯蓄銀行から来ました。あなたはわたくしどもの銀行に口座を開きたいとお考えですね。

 

突然のことに驚くフージーさんとは逆に、男はすっかり調べ上げている様子だった。

 

朗読:ようするにあなたがひつようとしているのは時間だ。そうでしょう?

 

男はすかさず、これまでの人生で家事や趣味、家族とのおしゃべりなどでフージーさんが浪費してきた時間を計算していき、フージーさんの残りの時間が0であることを告げ、今すぐ時間を節約して貯蓄することをすすめる。

 

この後、フージーさんは時間を節約しはじめるが・・・

 

時間貯蓄銀行と名乗る灰色の男たちは実は人間が節約した時間を盗む泥棒。物語だけのことだと思うが、現実にも起きている。

 

例えば、東京に来ていた会議をオンラインにすると、直ぐ後に勤め先での会議ができて、その後授業もできる。以前ならば東京出張で1日が終わり。でも、これって時間を節約したのか? 節約した時間はいつの間にかなくなるというのはとても合っている。

 

伊集院光氏:まさに現代の話ですね。便利なものが出来て生活に余裕ができるはずだったけど、一向にそうならない。ケータイができて誰とでも連絡が取れるようになり、便利になったようですけど、ケータイのお話し中とか電話に出ないって、なんであんなに腹立つんだって?

 

灰色の男たちは文明避難的な部分。時間貯蓄家たちは・・・

 

けれども、ふきげんな、くたびれた、おこりっぽい顔をして、とげとげしい目つきでした。

 

安部みちこアナウンサー:自分のことを言われている気がする😅

 

伊集院光氏:ホントそうですよねー😅 スマホに出ない人へのあの怒り!

 

フージーさんというのも時間を節約してどんどん怒りっぽくなっていって、ハサミを入れるたびにあった充実感や、お客さんと会話を楽しむとか、そういう豊かさがなくなり心が貧しくなっていった。

 

あきらかにエンデは"現代"の人たちが、時間を節約しようとするあまり、"時間"を失っているってことを言いたいんだろうなと思っていた。まぁ、誰でも気づくとは思うけれど😅 失った"時間"のどれもが"豊かな時間"だったわけではないだろうし、例えばオンライン会議が出来ることは、悪い面だけとは思わない。現に、フージーさんは"時間"をたくさん持っていたために、自分に対してネガティブな考えを持ってしまい、そこが灰色の男のつけ入る隙になってしまっているわけで。とはいえ、そういう面も含めて"時間"は必要であると言いたいのだとは思うけれど。でも、まさに"現代"の自分たちも感じることに、既にエンデは危機感を持っていたというのはスゴイなと思う。

 

時間の節約を始めた大人たちはモモの住む廃墟に来なくなり、モモの元には子どもたちが来るようになったが、子どもたちにも変化があった。

 

リモコンなど完成された高価なオモチャでしか遊べない。例えば木をロケットに見立てたり、チャンバラしたりというイマジネーションが失われていた。遊ぶのではなく遊ばされている。

 

伊集院光氏:例えばごっこ遊びでもコスプレ衣装が完璧だから、それ以外の役に途中からなることがない。そういう意味ではこれが書かれた当時よりも急カーブで進んでいる。

 

子どもたちから親が相手をしてくれないと伝えられたモモは町の異変に気づく。

 

安部みちこアナウンサー:今とピッタリ。動画を見せていればいい。

 

うーん。完成された物でしか遊べなくなってしまい、結果イマジネーションが失われていると言うのは、確かにそうだろうと思うけど、完成された物で遊んだ子どもたち全てがイマジネーションが無くなってるわけでもないしなぁ🤔 既に出来たものを与えられば、それはあって当たり前の物であって、そこからまたイマジネーションが広がる場合もあるんじゃないのかな? まぁ、自分は子供がいないので偉そうなことは言えないけど😅 エンデや河合先生に異論を唱えているわけではないし、問題提起的に描いているわけなので全然OKです!

 

モモが訪ねて行くと、大人たちはまた来ると言うが、灰色の男たちは大人たちを助けようとするモモを邪魔に思う。

 

映画『モモ』(1986年)より

 

ある日、廃墟に喋る人形(ビビガール)が置かれていた。灰色の男たちのしわざ。同じことしか喋らない人形にモモは退屈する。困り果てたモモの前に現れたのは灰色の男。さらに人形をモモに与え・・・

 

「つまらん友達はいらないだろう?」

 

モモが否定すると、本当に友だちを大事に思うなら我々に協力しろとモモを誘導する。モモは町の人たちの変化にこの男たちが関係しているのかもと気づく。

 

勇気をふるいおこし男と向き合う。すると男は動揺し、自らの正体をしゃべりはじめる。

 

朗読:人間の節約した時間は、人間の手には残らない。

 

伊集院光氏:スゴイ! モモの特殊能力! これが聞く力。モモが本当に聞いてくれるので思わぬことを話してしまう。

 

今回の場合は、モモは灰色の男から真実を聞き出したいと思っていたとは思うけれど、基本モモは人の秘密を聞き出してやろうとか思っていないんだよね。受け皿としてとても優れた能力を持っているんだと思う。先入観もないし、構えていない。だから、つい話してしまう。それはモモが豊かだからなのでしょう。

 

モモは灰色の男が話したことを親友のベッポとジジに報告するとジジがデモ行進をしようと提案。プラカードや横断幕を用意して町中を練り歩くも失敗に終わる。

 

失敗の原因は2つ

 

①ジジは自分が英雄になれるという浅い思い付きで行動した

②行動が早過ぎて機が熟していない

 

しかし、失敗も大事! ジジの方法では灰色の男たちに立ち向かえないことが読者に分かる。

 

そしてベッポにスポットが当たり物語は次の展開へ進む。

 

伊集院光氏:じゃあ、この失敗の部分も切っちゃって時間貯金しちゃダメなんですね? この話はここの失敗も大事?

 

この失敗がこの後生かされるのは②の方。そして①でジジは灰色の男たちに時間を奪われてしまう。この2点もエンデが言いたいことなのでしょう。ジジが自分が英雄になりたいと思うことは別に悪いことではないのだけど、何か大きなことを成し遂げる時、私利私欲を失くして当たらなければならないということかと。モモが豊かであることは、私利私欲がないからでもあると思うし。

 

ところで、モモは映画化されていたのね Wikipediaによるとなんと、マイスター・ホラ役で映画監督のジョン・ヒューストンが出演している! しかも作者のミヒャエル・エンデが本人役で出ている!😲 これは見たい!

 

ベッポは町のはずれでモモに本当のことを話してしまった灰色の男が処刑されるのを目撃してしまう。

 

同じころモモのもとに新たな導き手が登場!

 

"ツイテオイデ"という文字を甲羅に光らせたカメ🐢 モモはその後について行った。自分たちの秘密を知るモモを放っておけない灰色の男たち。必死で探す彼らのもとにモモの目撃情報が入る。

 

カメに導かれ見知らぬ街を歩くモモ。その先に現れたのは「さかさま小路」。前に行こうとすると進めず、後ろ向きに歩くと進めるという不思議な道。その突き当りにあったのは「どこにもない家」 カメをモモのとこへ送ったマイスター・ホラのいる時間の国。

 

伊集院光氏:読者からしたら早く辿り着きたい目的地なんだけど、まぁ非効率的な😅 喋れずにじんわり甲羅に言葉が浮かび上がるカメっていう。

 

古代中国にカメの甲羅を使った占いがあった。それがこの物語ではもう少し現実的に文字が浮かび上がるとなっているが、象徴的な意味としては同じなのではないかと思う。

 

現実世界における三位一体:ベッポ - モモ - ジジ

深層心理における三位一体:マイスター・ホラ ー モモ -カシオペイア

 

マイスター・ホラは時間を司る知恵のある老人。自分は動けないので動物や少女とつながる。新しい深層心理。心の奥底を語るフェーズへ入った。

 

伊集院光氏:一気にメンバー交代もあり舞台も変わっている。

 

ちなみに、箱庭療法(砂箱の中のミニチュアでイメージ表現を行う心理療法)で、摂食障害の人が作る箱庭に「少女と老人と犬」がしばしば登場すると河合隼雄(Wikipedia)は指摘。現代の病である摂食障害を癒す中で登場する組み合わせと似た3人組が「モモ」に登場。物語が本質をとらえているところがあるんじゃないか。

 

"どこにもない"とか、"さかさま"とか否定が目立つ。究極の場所に至る過程に「否定」があるのがドイツ的。ヘーゲル哲学やドイツ神秘主義でも否定するプロセスが大事。時間や心には否定を通じてしか近づけないのかも。

 

Wikipedia情報だけでは、エンデが心理学やドイツ哲学、ドイツ神秘主義を学んだのかは分からない。でも、学んでいないということにはならないので、きっと何かしらの影響を受けているのではないかな🤔 単純に自分が知識不足なだけで、常識なのかもしれないけれど😅 三位一体を意識ているのは間違いないということでしょうかね。余談だけど、「はてしない物語」の翻訳をした佐藤真理子さんとご結婚されているのね?😲

 

モモをとり逃した灰色の男たちは幹部会議を開く。ホラのもとから戻って来た時、モモは大きな力を持つはず。男たちはおののく。そんな中1人の男が言う。

 

映画『モモ』より

 

自分たちが見つけられなかった道を見つけた。チャンスだ。ホラのもとに案内させるため、男たちはモモが大切にしているともだちを狙うことにする。

 

朗読:モモはともだちをとりもどすためとあれば、かならずやわれわれにあの道をおしえるでありましょう!

 

《灰色の男たちの矛盾》

灰色の男たちはとても重要なことを言っている。真実は自分たちだけが持っていてもダメで、共有されないと意味がない。灰色の男たちは共有することが豊かな時間を作ることを知っている。だからこそ潰そうとしている。灰色の男たちは敵だが大事なことを教えてくれる。

 

伊集院光氏:真実は共有されないと意味がない。映画の内容が分かりましたという意味よりは、この映画をどう思ったという方に実は・・・ 同時に見なくても自分は通算1000本見ましたってことの方に何か意味を持ってしまうというか・・・

 

通算1000本はまさに灰色の男のロジック。数を見ることに意味があるっていう。

 

伊集院光氏:一週間で何本見れたみたいな話しになってくると・・・

 

そうなってくると完全に灰色の男のロジック。それを本当に味わうとか、共有するとかそこに心の豊かさがあるということがポイント

 

伊集院光氏:やっぱり先生に読み解いてもらうと深いなと刺さるところがいっぱいある。

 

確かに映画好きの人の中にも何本見たかってことにこだわっている人はいる。自分も月ごとの鑑賞記録記事を書いてるし、そこには見た本数も書いてるので、こだわってなくはないけど、本数を見ることよりも何を見たかが重要だとは思っている。とはいえ、映画鑑賞は趣味なので、文学作品や哲学作品ばかりでは辛くなってしまう。そして、意味のある作品を見なければならないと思い込むのもロジックだよね😅

 

そして本数にこだわっているのが悪いってことでもないと思う。本数にこだわって内容を理解しないのは意味がないということなのかな。それは難しい作品ばかり見ろということとも違うと思う。コメディを見るのだって内容を理解してなければ笑えないしね。

 

真実は共有されないと意味がないというのは真理だし、逆に共有されてしまった虚偽が真実として独り歩きしてしまうこともある。それに打ち勝つには真実を共有するしかない。SNSの使い方というのが一番問われる部分なのかなと思う。やっぱり奥が深いわ!

 

100分de名著:毎週月曜日 午後10:25~10:50 Eテレ

100分de名著

 

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【art】「開校100年 きたれ、バウハウス -造形教育の基礎-」鑑賞@東京ステーションギャラリー

2020-09-09 00:39:03 | art

【art】「開校100年 きたれ、バウハウス -造形教育の基礎-」鑑賞@東京ステーションギャラリー

 

 

今年は見たい美術展がたくさんあった。新型コロナウイルスの影響で延期になったり中止になったり😢 この企画展も見たいと思っていたものの一つ。

 

東京では連日100人を超えるPCR陽性者が出ていて、まだまだ予断を許さない状況。とっても悩んだのだけど、どうしても見たくて閉幕まで残り2日という9月4日、見に行ってきた!

 

美術館自体ではチケットの販売は行っておらず、プレイガイドで購入する形。入替制えはないので決められた時間内に入場すれば、閉館までいてもOK。3日前にチケット購入した時点で最終回の17:30~入場は売切れ。16:00~17:30までの回を購入。会社が近いので定時上がりで余裕で入れた✨

 

 

 

東京ステーションギャラリーは名前の通り東京駅構内にある美術館。こじんまりとして見やすい。ディスプレイもシンプルで素敵✨

 

普段ならばメモ取りながら鑑賞し、気になった作品をツイートしておき、それについて追記する形で記事にしているのだけど、今回ちょっとあまりに目のコンディションが悪くて、仕事中からかすみ目かすみ目💦 

 

今展の主旨としてはバウハウス=学校であるということなので、授業内容や教師たちの紹介などが小さめのパネルにビッシリ書かれている。ソーシャルディスタンスも取りたかったけれど、少し離れしまうと文字がよく見えない😢 

 

そういうわけで、メモを取るのは早々に諦めてしまったので、正直バウハウスのことについて以前から知っていた情報以外に劇的に知識が増えたわけではない。

 

展示内容としても、バウハウス卒業生の著名な芸術家の作品を並べるというものではなく、むしろ学生たちの習作などが多い。なので、個々に作品説明があるわけでもなかった。

 

つらつら何が言いたいかというと、作品自体の紹介はあまりできないかもしれませんという断り書き🙇

 

バウハウス(Wikipedia)は、1919年にドイツ中部のワイマール共和国で開校した美術学校。日本人学生も水谷武彦(Wikipedia)、山脇巌(Wikipedia)、山脇道子、大野玉枝の4名が学んだ。基礎教育・工房教育・建築教育の三段階で学ぶ。

 

2019年は開校100年に当たり、8月3日に新潟美術館から今展が巡回し、東京ステーションギャラリーでの開催で終わりとなる。

 

5つの章に分けて学校としての成り立ちや、教育内容、その成果を紹介。最終章は日本人学生の作品が展示されている。各章では教師自身やその教育内容などが文章でパネル展示されている。

 

展示室は3階と2階。まずは3階展示室から。

 

「Ⅰ学校としてのバウハウス」はバウハウスの誕生から成り立ちまでを資料で見せる。興味深いけれど、特に心惹かれるものはなし。

 

「Ⅱバウハウスの教育」は生徒のデッサンなどが展示されている。マルガレータ・ライヒャルトの「操り人形」と「小さな差込人形」がおもしろく、これは1996年に販売もされたようなのだけど、画像は見つけられず😢

 

 

3階の展示室にあった映像展示?は撮影OK。手などをかざして影の動きなどを観察する。なかなかおもしろかった😃

 

階段を降りて2階へ移動。ここではレンガの壁がむき出しになっていて、創建当時の木製レンガなども見れて興味深い。

 

マルセル・ブロイヤー「ワシリーチェア」

 

「Ⅲ工房教育と成果」では家具の展示が。マルセル・ブロイヤー(Wikipedia)の名作チェアが9点! もちろんワシリーチェアも。

 

オットー・リンディッヒ「ココアポット」

 

この章では食器などの展示もあり、チラシでも紹介されているオットー・リンディッヒの「ココアポット」が目を引く。この色合いとコロッとした形が好き。日本の民芸運動などと通じるものを感じる。

 

さらに、この章では建築デザインについても紹介。画像は見つけられなかったけど、1923年の国際建築展で発表されたという、ヴァルター・グロピウス(Wikipedia)の「住宅案「大きな積み木箱」模型(1:80)」と「住宅案「大きな積み木箱」模型(1:80)用 積み木」が面白かった! 家族構成や生活様式に合わせて、積み木を組み替えるように家を造るという考えがスゴイ!

 

フリッツ・シュライファー「1923年の「バウハウス展」のポスター」

 

「Ⅳ「総合」の位相」では、フリッツ・シュライファー「1923年の「バウハウス展」のポスター」が好きだった。1923年8月15日~9月30日までワイマールで開催された「バウハウス展」用のポスター。他の人たちによるハガキやポスターもおもしろかった。

 

山脇巌「鋼管椅子(峰邸)」

 

「Ⅴバウハウスの日本人学生」では、前述した4人の日本人学生の作品を紹介。一番好きだったのは山脇巌「鋼管椅子(峰邸)」 シンプルだけど斬新で好き。

 

バウハウスが単に前衛的であったわけではなく、きちんとした理念に基づいて美術や工芸教育をしていたというのが良く分かる企画展だった。きっと学んでいてとても楽しかったんじゃないかな。教育課程を通して自分のやりたいもの、得意なものを見つけて行く感じ。見ていてとっても楽しかった✨

 

 

ポストカード(各160円)

 

東京ステーションギャラリーは特に企画展の物販を別に設けることはしておらず、ミュージアムショップでの販売となっている。それも、本当にこじんまりとしたコーナーがあるだけ。公式グッズを作ったりもしてない感じ。なのでお土産もポストカード2種のみ。潔い!

 

閉幕ギリギリに見に行った上に、記事書くのも遅くなってしまったので、残念ながら閉幕してしまった😢 各地を巡回してきたけれど、これで終了ということに。

 

2月28日に「ハマスホイ展」(記事はコチラ)を見て以来、半年以上振りの美術館! やっぱり美術館は楽しい✨ ちょっと心配だったけど行って良かった!

 

🎨開校100年 きたれ、バウハウス -造形教育の基礎ー:2020年7月17日~9月6日 @東京ステーションギャラリー

開校100年 きたれ、バウハウス -造形教育の基礎ー

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【event】浅田真央サンクスツアー 滋賀公演・栃木公演 オンライン視聴

2020-09-08 00:47:05 | event

【event】浅田真央サンクスツアー 滋賀公演・栃木公演 オンライン視聴

 

 

新型コロナウイルスの影響で、長らく公演休止となっていた浅田真央サンクスツアーが、2020年8月15日滋賀公演から再開 

 

再開にあたり様々な対策がなされているけれど、まず一番の対策は滋賀県民の方のみ購入可能ということ。これまでも、普段なかなかアイスショーを見れない地方を回り感謝の思いを届けたいという主旨により、まずは県民優先販売があって、その後一般販売があったのだけど、今回はその一般発売がない形。

 

県外のお客さんは入れないということで、その代わりにライブ配信を企画してくれた! チケット代は2,500円で、記念品代、手数料など含めると3,080円。

 

開演15分前からライブ配信してくれる特典映像付き。これは会場に行っても見れないのでウレシイ😍 さらに、終演後数時間~3日間アーカイブで繰り返し視聴可能✨

 

 

 

 

今年購入したプロジェクター(記事はコチラ)で鑑賞! カーテンが遮光じゃないので完全に暗くならず大変だった💦

 

 

 

サンクスツアー自体は昨年見ているし、Blu-rayも持ってて何度も見てる。鑑賞時の感想(コチラ)も書いていることだし、詳細については割愛するけど、とにかくツイートにもあるとおり全く別のショーを見ているような印象。

 

「蝶々夫人」や「素敵なあなた」など衣装が変わっているなど明らかな変更もあるけど、たとえば「素敵なあなた」では男性たちのアピールがよりアグレッシブになっているなど、振付の変更だけでなく、演者の気合の入り方というか、表現や表情にも違いがあったと思う。

 

そして、初めてのライブ配信なのに圧巻のカメラワーク! これは、ジュニアの頃から真央ちゃんに密着してくれている、東海テレビの渡辺克樹ディレクターだからこそ! プログラムを熟知してスケーターの位置や見せ場をしっかり押さえてくれている。なので、流れを断ち切ることなくノンストレスで、さらにこんな動きしてたのかと新発見がある。これは素晴らしい

 

たとえば女性スケーターによる「月の光」では、ラストに今井遥ちゃんが掲げた月が、スクリーンの月と一致して退場していく演出は、会場でも正面の席でないと見えないと思うので、こういうのは映像ならでわだと思う。

 

真央ちゃんはじめとしたキャストたちも気合が入っていて、素晴らしい演技だった。演技がテレビなどで生配信されることは慣れているとは思うけれど、自分たちが企画して配信することは初めてだろうから、とっても緊張したのではないかと思う。

 

そんな中で、みな素晴らしいパフォーマンスだったと思う。特に無良くんは真央ちゃんの代名詞であった3Aを絶対に決めるんだという気合が感じられた。無良くんは本当にこのショーの主旨を理解してくれていて、ソロパートでは自分をアピールしつつも、真央ちゃんの代わりに跳ぶんだという思いが伝わって来る。

 

今井遥ちゃんの優雅で清楚な滑りながらスピードがすごく、グループナンバーではセンターとしての役割をしっかりこなして頼もしい! ホントに遥ちゃんが加わってくれて良かった😃

 

他のメンバーもそれぞれの見どころをしっかりこなしていて、それをきちんと映してくれるカメラワークが素晴らしい✨

 

公演再開2日目の2公演目で、初のライブ配信という緊張もあったのか、真央ちゃん途中からちょっと疲れているかなと感じる時があった。とはいえ、ミスらしいミスはなく「ピアノコンチェルト第2番」の3Loからの連続ジャンプが2連続で終わってしまったくらい。その後、あの超絶ステップをこなすのだからスゴイ!

 

すごい汗かいてたから、体力的にはかなりキツかったのだと思う。それでも笑顔でキッチリ演技をこなす真央ちゃん。それは、ドキュメンタリー番組でメンバーに泣きながら訴えていた「お客さんが毎日ちゃんと(仕事や家事などを)やって、楽しみにして来てくれるから。自分だけのショーじゃないから」という思いからなんだよね。本当に尊敬する😭 

 

そして! ツイートはしていなかったのだけど、2週間後の8月30日に栃木公演もライブ配信された。もちろんコチラも購入して鑑賞。これがまたスゴかった! まずは特典映像がメンバーが撮影した動画を流してくれて楽しませてくれた。

 

そして、滋賀公演では2Sだった今井遥ちゃんが3Sを入れて来たり、それぞれレベルアップ! さらにカメラワークが神がかっていた! 前回から2週間で、真央ちゃんはじめとしたキャストだけでなく、スタッフさんたちも前回公演を検討して、改善してくれたんだなと思うと感動😭 

 

感染症対策としては、全員が公演前にPCR検査を実施、客席は間隔を空ける、マスク着用・アルコール消毒・入場時の検温の徹底。物販はプログラムなど1,000円の価格の物のみ3種類をセルフで購入する形にするなど、かなりの対策が取られている。

 

とはいえ、どんなに気をつけていてもリスクはあるし、賛否両論あったと思う。それでも開催に踏み切った真央ちゃん始めとした関係者の方々の勇気を称えたい そして、それに応えるべく歓声をこらえて拍手で思いを伝えたお客さんたちも素晴らしい

 

9月の公演はなく次は10月2日の兵庫公演。こちらも多分ライブ配信してくれるかも? これは絶対普通のアイスショーとは違うし、テレビなどのぶつ切りされた放送とも違うので、配信があったら絶対チケット購入して見る価値ありです! 

 

もう次ぎが見たくてしょうがない! そして生で見たい!!

 

ちなみに、オンライン視聴記念品はコチラ

 

 

 

ツアーロゴをデザインしたうちわ? ステンドグラスみたいで素敵✨

 

そうそう! ツアーグッズの通販サイトがオープン! サンクスツアーのマスクがかわいくて、機能も素晴らしいので買う予定!

 

 

キャストの林渚ちゃんが、キャストのみんなが着用して紹介する動画を配信してくれてるのでご紹介✨

 

 

こちらメンバー紹介付き😃

 

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