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【cinema】『ハーモニー心をつなぐ歌』(試写会)

2011-01-27 02:33:54 | cinema
'11.1.17 『ハーモニー 心をつなぐ歌』(試写会)@FS汐留

rose_chocolatさんからのお誘い。共通で仲良くさせて頂いているまっつぁんこさんご推薦。

*ネタバレありです。辛口かも?

「暴力を振るう夫に抵抗し、誤って殺害してしまったジョンヘは、刑務所で息子ミヌを出産する。規則では一緒にいられるのは18ヶ月まで。ミヌと一度だけ外出したいジョンヘは合唱団を結成する…」という話。これは"韓流"という感じ。泣かせるように作っているので、号泣に近いくらい泣いているけど、後にあんまり残らない。あらすじだけ読むと、どうして外出と合唱が関係するのか分からないけど、これが関係してくるんです(笑)よく考えるとご都合主義で、かなり強引だけど、泣かせることに徹しているのは、ある意味潔い。そしてそれが"韓流"なのかと思った次第。ほめてます!

韓国映画は特別好きでも嫌いでもない。韓流ドラマは「チャングム」しか見たことないので、韓流を語る資格ないかもしれないけれど、とにかくあの役者達の大袈裟とも言える感情表現過多な演技、これでもかと襲い掛かる困難、でも必ず解決(けっこうご都合主義)、そして身分違いの恋など、盛り沢山で飽きさせない。そして号泣。でも、50話以上も見たのに、大作を見た余韻とか、一人の女性の一生を見た感慨みたいのがないんだよね… まぁ、どこに重きを置くかってことだと思うし、じっくり見られて余韻に浸れる韓国映画もたくさんある。でも、間違いなくこれは前者のタイプ。なので、そういうタイプの韓流ドラマや映画が好きな方は好きだと思う。

"泣かせる"ってことに重点を置いているのだと思うので、そのためには多少「?」っとなることは無視という感じ。見ているうちは多少の違和感はあっても、気にならないのだけど、こうやって冷静になってレビューを書くとなると、どうしても矛盾点なんかが気になってしまう。個人的に韓国映画にありがちなドタドタが苦手。なので前半のあまりに明る過ぎる囚人達についていけず… イヤ囚人達だって生きている以上、楽しいこともあるだろうし、明るくするなとまでは言わないけれど、あまりに自由で楽しそうな描写が続くので。

チラシによると、この合唱団は清州女子刑務所に実在するそうで、定期的に外部公演も行っているとのこと。また、この刑務所には出産および18ヶ月までの育児制度があることを知った監督が、このシナリオを書いたのだそう。なので、おそらく題材のみを借りたオリジナル・ストーリーだと思われる。最初にこれはフィクションである断りが入っているし。ジョンヘは所内を自由に歩き回っている印象だし、同室の受刑者達とおしゃべりやゲームに興じたり、お菓子を食べたりしている。その他4人と同じ房で過ごしていて、ミヌもそこで一緒に寝起きしているのだけど、実際もこうなのかな。しかも同じ部屋にいくら現在は反省し、模範的な人物だとしても、死刑囚と同じ房に入ったりしているものなんだろうか… そういう事すべてが感動させるための必要な要素なのは分かるけど、ちょっと強引さを感じることは確かで、フィクションと断ればいいというのも違う気もするんだけど、ここを強引と取るか、徹していると取るかで見方も変わるとは思う。正直に言えば作り手のスタンスとしてはその中間で、やや強引よりなのかなと思う。それが"韓流"ってことかと思うので、それはそのように楽しむべきなのかも。とはいうものの、前半はあまりに自由な明るさと、役者達の豊か過ぎる感情表現について行けず、乗り切れない。

前半部分で、ジョンヘや死刑囚の先生、心を閉ざしたユミの犯した事件をサラッと見せる手法は良かったと思う。継父に乱暴されそうになり殺してしまったユミはともかく、ダンナさんと教え子(?)の浮気現場を目撃し、2人を轢き殺した先生についても、犯罪を正当化しないまでも同情の余地を残しているのも、感動させる演出とは思うけれど、ズルイとは思わない。その方が見ている側も楽だし… 心を閉ざして自虐的になったり、攻撃的になってしまったユミの心を、ジョンヘや先生、そしてミヌの存在が溶かしていくっていうのも、音大に通っていた彼女がやっぱり歌によって支えられるというのも良かったと思う。心を開いて美しい歌声を披露した彼女が、ジョンヘに頼まれて歌唱指導し、ヒドイ音痴だったジョンヘがみるみる上達するのも王道で、『チーム☆アメリカ』の"モンタージュ"ではないけれど、練習風景や上達していく様子を、モンタージュで見せる手法まで王道。でも、その後合唱団では、完全に脇役になってしまったのは普通に考えて変だし、ちょっと残念。まぁ、あくまでジョンヘがソロを歌うための脇役に徹することも、感動のためならOKかと。

そもそも歌の下手なジョンヘが合唱団を作ったのは、慰問に来た合唱団の歌声に感動したのもあるけれど、合唱団を成功させたら、その見返りとしてミヌと外出する許可が欲しいから。まぁ、そこまで考えて始めたのかは不明。そもそも、そんな制度自体があるのか分からないけど、かなり強引… でも、お得意のドタバタ演技と演出で説得力を持たせている。信じられないかもしれないけれど、誉めてます!

結局、ほっしゃん。似の所長もジョンヘの勢いに押されて渋々OK。ジョンヘは大いに張り切るわけだけど、後に認められた外出は、ミヌを里子に出す時ということになる。この辺りの緩急のすごさも韓流だなと思うわけです。緩急って必要だとは思うけれど、まるで絶叫マシーンなみなので… そんな激しい緩急の間に、ミヌの病気、ミヌとの別れなど、感動エピソードが投げ込まれてくる。これまた感情過多ではあるけれど、野球に例えると剛速球だけどクセがないので、慣れれば打ちやすいという印象。まぁ、野球そんなに詳しくないけど(笑) とにかく、次から次へと感動エピソードやドタバタ感が投げ込まれるけど、ど真ん中ストレートなので安定感がある。打ちにくければ見逃してもOK(笑)

そんな王道ど真ん中なエピソードの中、これまた王道でありながらしっとりズッシリ心に響いたのは、ユミと母親そして、先生と娘の関係。自分も娘なので、その愛憎渦巻く感じはなんとなく分かる。まぁ、別にそんなに渦巻きませんが(笑) ユミは毎週面会に来る母親に会うことを拒むけれど、それは継父を殺してしまった時、自分は被害者でもあるのに、母に責められてしまったことに深く傷ついただけでなく、母親の夫を奪ってしまったことで自分を責めているからでもある。そして多分、汚れてしまった自分を責めてもいるんだと思う。母親だけは無条件で自分を受け止めて欲しいと思っているから、拒絶されてしまった時のショックは大きい。まして理由がそうなので、そのショックが自分に向いてしまう。そんなユミの気持ちはよく分かる。だからこそ、拒絶されて呆然としたまま帰る母親の姿に涙が止まらない。そして、母親もまた自分を責めているのが分かるから、その小さくなった背中に自分の母親を重ねてしまう。助けて欲しいという気持ちと、助けてあげたい気持ちが入り混じって辛い。

そして死刑囚の先生。先生が罪を犯したのは、単純に2人の浮気を知ったからじゃない。一緒にいた娘が、奥の部屋から聞こえて来る会話や声の意味を理解していたから。この娘のために殺したと言うと語弊あるけど、引き金になったことは間違いない。娘の中にその記憶や、その本当の意味がきちんと整理できているのか謎だけど、娘だからこそ許せないというか、受け入れられない部分があるんだと思う。もちろん、どんな理由があるにせよ殺人は殺人ではある。ユミや先生の置かれている立場が、より"母娘"という関係を切ないものにしているのは事実だけど、自分の中にもある"母親"という存在に対して、心が揺さ振られる。先生の運命については死刑囚であることから予想はついていたので、最近、父親をおくった身としては、そう遠くない未来にやってくる母親との別れを思って号泣してしまった。もう「お母さん! おかーさーん!」です(笑)

この映画のテーマがおそらく母子なのだと思うけれど、主役のキム・ユンジンの感情過多な演技のおかげで、ちょっと乗り切れず、イヤだいぶ泣いてたけど、それはユミと先生のエピソードによって涙目になったから止まらなくなった部分は大きい。幼児の頃のミヌ役の子がホントにかわいいかったし、ラスト近くありえないくらいの感動エピソードが用意されていたにも関わらず、前述の2人よりも感動しなかったのは、自身がまだ"娘"であって、"母"ではないからというだけではない気がする。

何度も書いてるけど、とにかく感動エピソード目白押しなので、一番の見どころであるコンサート・シーンがやや盛り上がりに欠けてしまった気がしないでもない。このコンサート後に、前述のジョンヘの感動エピソードがあるのだけど、その前の成金マダムの指輪紛失、合唱団が疑われて楽屋での屈辱シーンなどは余計だったかな… 確かに、この件については不当な扱いだったけれど、このエピソードで受刑者アゲは、ちょっとズルイかも… このエピソードのおかげで、肝心のコンサート・シーンにそのわり感情移入しきれなかった上での感動エピソードは、予想できてしまったこともあって、涙目になってしまったために号泣状態だったけれど、そのわり印象に残らず。それにコレ冷静に考えたら、いくら看守がいたからといって、ロビーで受刑者が野放し状態はないよね…(笑)

そして最後、さらにもう一つドラマが… これも早い段階で予測がついたこと。先日、一気見した「森のアサガオ」でも感じたことだけど、やっぱり死刑囚の話を描いた場合、どうしたって死刑制度の是非みたいなことって言いづらい。この作品自体はそこを問うてはいないけれど、受刑者達の良い面ばかりを見せられて、若い女性刑務官との交流を見せられれば、許してあげたい気にもなるけれど、やってしまったことの責任は重いと思うし。映画では泣かせるエピソードとして描いている感じ。でも、実際の刑務所でも執行前日とかに、家族の家みたいな名前の家で、家族と最後の晩餐を取らせたりするのだろうか… だって普通に考えて気づくよね? ただ、このシーンも"母親"に涙してしまうのだけと。

日本では死刑囚はたしか刑務所にはいないと思うので、独居房かどうかという以前に、受刑者と接する機会ってないと思うのだけど、韓国はこんななのかな? 以前見た『わたしたちの幸せな時間』でも、独居ではなかった気がするのだけど、他の人も死刑囚だったと思うのだけど… いずれにせよ、ジョンヘと先生が同室であるというのも、ラストのお別れシーンがやりたいからであって、これもまた感動させるための仕掛けであることは間違いない。そしてまんまと泣いてしまう。

キャストについては、3年振りの韓国映画主演となるキム・ユンジンは感情過多な演技がちょっと… 彼女の出演作は『シュリ』しか見てないけど、こんな感じなのかな… まぁ『シュリ』とはキャラ設定が違うので、比較にはならないかもしれないけれど、前半部分のドタバタ感は明るいのとは違う気がする… まぁ、無理に明るく振る舞っているという解釈もあるけど、それにしてもなぁ。そういう演出なんだと思うし、下手なわけではないのだけど… ユミ役のカン・イェウォンが良かった。辛い体験から心を閉ざし、触れれば切れそうな佇まいがスゴイけれど、あまり台詞もないのに、母への愛憎を感じさせた。そして何と言っても先生のナ・ムニ! 死刑囚なのに威厳と気品がある。そして、そのふっくらとした表情が"お母さん"であるということ。合唱団の先生であると同時に、受刑者達のお母さんなんだと全てのシーンで感じられる。この演技と佇まいはスゴイ! ナ・ムニの演技を見るために、見る価値あり!

何度もしつこいけれど、感動させるために少々強引な部分がだいぶある。泣かせようとするあまり、涙の量と感銘度合いが比例しない状態になってしまった気もするけれど、そこに徹したのはそれはそれでスゴイと思う。とにかく泣きたい人にはオススメ。ほめてます!


『ハーモニー 心をつなぐ歌』Official site

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【cinema】maru's BEST MOVIE 2010

2011-01-24 00:53:00 | cinema
非常に遅ればせながら「maru's BEST MOVIE 2010」を発表!

一応、映画ブロガーの末席に加えていただきながら、実はそんなに本数を見れていないので、心苦しいのだけど…

昨年見たのはDVD鑑賞も含めて64本。その時々はそれなりに感動していたのだけど、実際BEST 10を選ぶとなると、意外にコレ!というものがなかった… 洋画、邦画に分けると無理矢理10本に入れないといけない感じの作品が出てきて、それも違うかなと思ったので、両方合わせて10本。でも、結局洋画ばっかりになってしまったけど(笑)

*2010年日本公開作品に限り選出

1位 『インセプション



単純に面白かった! パリの街が起き上がってくる映像がスゴイ!

2位 『第9地区



これも単純に面白かった。エビのデザインとシャルト・コプリーが良かった。

3位 『ヒックとドラゴン



劇場で、しかも3Dで見て良かった! ストーリーもしっかりしてるし、映像がキレイ。DVDは甥っ子達のクリスマス・プレゼントに♪

4位 『月に囚われた男



これも単純に面白かった。こればっかりだけど(笑) 低予算っぽいチープさが逆に良かった。けっこう重いテーマなのにファンタジーっぽくていい。

5位 『ラブリー・ボーン



かなり賛否両論だったけど、個人的には好き。少女が"やり残したこと"のピュアさに感動。

6位 『THEE MOVIE



thee michelle gun elephantのドキュメンタリー映画。ファン以外の方は全然興味ないかも(笑) ドキュメンタリーの魅力ってやっぱり被写体の魅力ありきだなと…

7位 『アリス・イン・ワンダーランド



うーん。バートン&ジョニデ ファンとしては、ちょっと物足りないんだけど、やっぱりあの毒々しい世界観は好きかなと…

8位 『(500)日のサマー



女子としてはサマーがいまひとつ好きになれないけど、まぁ作りとしては面白かった。9位と悩んだけど、ジョゼフ・ゴードン・レヴィットってことで、こちらが上に(笑)

9位 『ぼくのエリ 200歳の少女



ダークな世界観と北欧の暗さが良かった。少年の繊細さが切ない。日本語タイトルとモザイクで、作品を違ったものにしてしまっているのが残念…

10位 『抱擁のかけら



うーん。やっぱりペネロペ・クルスはエロい! しかも、アルモドバルと組むと、ホントに美しい。

いろいろ考えてたら良く分からなくなってしまったので、自分の好みで選んでみた。あくまでも個人的な意見。まぁ、こんな見方もあるということで…(笑)

ということで、やっと2010年を総括。今年は去年よりも多く映画を見たい!


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【cinema】『ウッドストックがやってくる!』(試写会)

2011-01-19 01:49:00 | cinema
'11.1.12 『ウッドストックがやってくる!』(試写会)@九段会館

yaplogで当選。いつもありがとうございます! 予告見てから見たくて、ハガキが届いた時には軽くガッツポーズが出たのだけど…

*ネタバレありです

「売れないイラストレーターのエリオットは、ニューヨーク郊外で両親が営むモーテルの資金繰りに頭を悩ませていた。ある日ニュースで開催予定地の住民から反対運動が起き、中心となったライブ・イベントの存在を知り、これを招致しようと考える…」という話。うーん。おもしろかったけど地味かな。そして思っていたのと違った。違ってても別にいいんだけど、何となく入り込めないまま終わってしまった印象。予告を見た時のワクワク感があまりなかったかも。

エリオットが招致するライブ・イベントとはタイトルからも分かるとおり、伝説のウッドストック・フェスティバル! 知ってはいるけどさすがに世代ではないので、Wikipediaで調べてみた(笑) 1969年8月15日から17日までの3日間開催され、40万人以上を動員した伝説のロック・フェス。アルスター郡ウッドストックにおけるアート・ムーブメントに関連して名付けられたけど、住民の反対にあい、サリバン郡ベセルの農場主マックス・ヤスガの農場が会場となった。事前にチケットは18万6000枚売れていたけど、来場者数は40万人以上で、半数が入場料を払っていない。度重なる雨による中断でプログラムが遅れ、最終日トリだったジミ・ヘンドリックスの出演は明け方になってしまった。名演と称されるこの演奏は1999年「ライブ・アット・ウッドストック」というアルバムとなり発売されたけれど、大多数が帰ってしまい、実際に見た人は少ない。1960年代のヒューマンビーインと呼ばれる人間性回復のための集会でもあった(そのわりドラッグ) プロモーターとしては金銭目的ではなかったが、レコードと映画化で収益を上げた。1970年公開のドキュメンタリー映画『ウッドストック』はマーティン・スコセッシが編集に参加。アカデミー・ドキュメンタリー賞を受賞している。ドラッグや盗難などの犯罪はあったけれど、暴動は起きていないため、同年12月6日に行われ、死者を出したローリングストーンズのフリーライブ(オルタモントの悲劇)に対して、輝かしい記憶の余韻となっている。主な出演者は8月16日ジャニス・ジョプリン、グレイトフル・デッド、ザ・フー、8月17日ジョー・コッカー、ジミヘン。出演を断ったのはTHE BEATLES、THE DOORS、LED ZEPPELIN、ボブ・ディラン!

見る前はエリオットがもう少し運営なんかに関わるのかと思っていた。まぁ、ケータイもネットもない時代に、田舎の青年がそんなに大それた事はできないと思うので、別に巻き込まれ型でもいいし、彼がやりたかったことは、実家のモーテルを立て直すことなので、何も積極的に運営に関わることもないのだけど、初めのうちこそ会場となる牧場を世話してみたり、何がどこにあるのか聞かれれば答えたりしていたけれど、なんだか途中からはプラプラしてるだけっぽかったし(笑) まぁ、彼の目を通して当時の熱狂とか、巻き込まれていく感じを味わうってことなんだとは思うのだけど、どうにも彼に感情移入しにくい。

アン・リー作品ってたぶん『ラスト、コーション』しか見ていなくて、有名な『ブロークバック・マウンテン』も見ていない。あれはゲイのカウボーイの友情と愛情を描いた作品だと思うけれど、この作品の主人公エリオットもゲイ。同性愛者の方に偏見はないけれど、個人的には積極的に見たいテーマではない。もしかしたら監督のテーマとしてあるのかもしれないし、原作がそうなのかもしれないけれど、特別彼がゲイである意味もなかった気もするのだけど… 今よりオープンではなかった時代、保守的な街で育った彼が両親に言い出せずにいる感じはあったし、ヒッピー達の自由な雰囲気に触れて、男でも女でも関係ないみたいな感じで開放されていくのも分かるんだけど… 積極的にイベントやストーリーを引っ張るわけでもなく、ゲイでもある彼に感情移入できなかったので、前半はちょっと辛かった。

たぶん全体的にやりたいのは3日間の熱狂を通しての親子の絆とエリオットの成長と、祭の後の切なさみたいなものかと。それをちょっとコメディー・タッチで描きたいのかなと思う。それぞれのシーンは笑えるんだけど、おもしろいかというと… イヤおもしろかったし、あざといわけではないんだけど… うーん。例えば、モーテルを拠点としていると言えば聞こえはいいけど、居候している前衛劇団とか、その芝居の大袈裟なベタさと、やけに全裸になってしまう部分は笑っちゃうけど、おかしくはないみたいな。上手く言えないけど… 別に全裸になるなんてはしたないっ!とも思わないけど、これは当時のヒッピー文化にあったことなのかな? 前衛劇団が全裸になってしまうのは、まぁパフォーマンスとしてありとは思うのだけど、大挙してやってきたヒッピー達が、モーテル裏の沼で全裸になって遊びはじめるのだけど、ヒッピーといえば全裸なのか? LOVE & PEACEということなのか?(笑) まぁ、エリオットが女性よりも男性に目線が行ってしまっていることで、ゲイであることを強調しているのだろうけれど、彼がゲイである特別な理由が見当たらないので、あまりに出てくる全裸にやや食傷気味(笑)

と、なんだかけなしてばっかりいるけれど、全くダメだったわけではない。例えば両親のキャラがおもしろくて、役者さんが2人とも上手いのですごく良かった。ユダヤ移民の母親は、その辛い体験からお金に固執する。それは例えば、シーツは1回使ったくらいでは、臭くなければ洗わないみたいなコミカルな面もあるけれど、息子に全財産を借金返済に充てさせたくせに、自分は大金のへそくりを隠してたりもする。理由は老後が不安だから。何という母親だと思うけれど、これは1969年が舞台。ユダヤ人の母には第二次大戦中の辛い体験があったのかも。常にイライラして怒ってばかりでケチ。何故あんな母親と一緒にいられるのかと尋ねると「愛しているからだ」と答える父。足腰の弱っている父は覇気がなく決して自慢できるタイプではないけれど、一見すれば欠点ばかりに見える母の弱さや悲しさなんかをきちんと理解しているのかもしれない。夫婦でなければ分からないこともある。

冒頭のシーンで借金返済を迫られると、母は銀行で大声で私はユダヤ人だからここでも迫害されるのかと叫ぶ。それはコミカルな場面ありがちな、相手につけ込む感じではあるけれど、前にも書いたとおり母親は辛い体験をしたのかもしれない。だったら、とっても不安でお金に固執してしまう気持ちは分からないでもない。そしてこれはベトナム戦争中の話でもあるから、また戦争を繰り返すアメリカにイライラしているのかもしれない。そう考えると父のセリフの重みも違ってくる。ただそういった部分は、ほんとにサラリと描かれるので、ただのコミカルシーンに見えるかもしれない。そういうの拾うのってけっこう映画見慣れてないと難しいので… まぁ、シネコンにかかるタイプではないので、見に来る方はそういうの拾うの好きなタイプの気がするし、別に拾わなくても楽しめるし伝わると思う。そもそも勝手に深読みしてるだけかもしれないけれど(笑)

でも、そう考えると後に父親がエリオットに言う、自分の目で見てこいというセリフが生きてくる。両親の世界はこの田舎街のモーテルで終わり。これ以上は広がらない。それは別にダメな人だということではい。自分の力だけではどうにもならないこともある。若いエリオットには、自分の世界を広げる力がある。っていうか、たぶんまだ自分の人生を生きてない。自由な世の中なのだから、必要なのは踏み出す勇気だけ。それを与えてくれたのはウッドストックなのかも。巻き込まれてただけでもやり遂げたし、少なくとも自由に生きてる(ように見える)人達に刺激されたことは間違いない。

少しずつ人が集まり始めて、40万人がやって来る。その熱狂がすごい。野外フェスや音楽フェスに行ったことある人なら絶対分かる。ただ、ダラダラ歩いてるだけでも楽しくてしかたない感じ。人の波をぬって進むカメラは、まるで自分がそこにいるかのような気分にさせてくれる。これは良かった。体調が悪くてあまり長く立っていられない父親が、2時間も交通整理してしまう気持ちが分かる。こんな中にいるなら、楽しむべき! ライブ会場に向かうエリオットが、途中でヒッピーカップルに誘われてLSDを体験して、トリップした時のサイケな映像はすごく良かった。薬物は絶対に体験したくないけど、トリップするとこんな感じなのかという擬似体験ができた。これはおもしろい。ご一緒したrose_chocolatさんがココはTHE BEATLESの"Lucy In The Sky With Diamond"で見たいとおっしゃっていたけど、確かに! ホントのウッドストックの出演断ってるからダメなのかな。でもTHE DOORSの曲は使ってた気がするし…

うーん。確かに現場の熱狂は伝わったし、自分もそこにいる気分になれたけれど、それだけにライブ・シーンが全くないのはちょっと悲しい。多分、伝えたいのはその場にいた普通の人達の熱狂なのだろうし、その裏側ってことで、あえてのことなのだろうとは思うけれど、でもここまで見たら見たいかな~ だって伝説の音楽フェスだからね。やっぱり版権とかいろいろ面倒なのかしら(笑)

キャストはとにかくお母さんとお父さんのキャラが良かった。お母さんに比べてお父さんがおいしいところを持って行き過ぎな気がしないでもないけれど(笑) お母さんのイメルダ・スタウントンが上手い。この難しい性格の母親を、それでも魅力的な人物にしていた。主人公エリオットのディミトリ・マーティンは映画初出演だそう。下手とは思わなかったけど、巻き込まれてばかりの彼に共感できなかったのはやっぱり説得力不足? モッサリした外見はあえての狙いだと思うけれど、ちょっとモッサリ過ぎ…(笑) そして、ゴツイ女装ガードマンのリーヴ・シュレイバー! よくぞやってくれましたという感じ。スゴイ腕っぷし(笑) 要所要所でエリオットを諭したり背中を押したりする。そもそもは、マフィア(?)からモーテルを守るガードマンとして雇われたのだけど、元海兵隊の腕を見せる機会はなかったので、むしろ両親のお守りのような感じに。ゲイであることをカミングアウトできないエリオットに、堂々たる女装ぶりを披露し、こだわりを捨てるきっかけになる役どころなんだと思うのだけど、生かしきれていない印象なのが残念(涙) そういう意味ではベトナム帰りの親友エミール・ハーシュもエリオットの背中を押したりするけれど、なんとなく中途半端… こういう役とっても合っているだけに惜しい。

とにかくフェスの熱に浮されたような感覚が味わえたのがいい。規模こそ違えど、その興奮を知ってるからかもしれないけれど… でも知ってるだけにライブ・シーンがなかったのは残念(涙) エリオットのTシャツをインしてベルトというイケてない姿に対して、ヒッピー達の服がカワイイ! 着たいかは別として(笑)あと、チラシのデザインがサイケで好き。

祭の後、ゴミだらけでまるで戦場のようになった農場で、主催者の青年が「次はローリングストーンズだ!」とつぶやいて馬に乗って去って行ったのは、最初の方に書いたWikipediaからの引用のフェスってことなら、けっこうブラック・ジョークなのね! 当時のことやウッドストックのことを知っているとニヤリポイントがあるのかも。


『ウッドストックがやってくる!』Official site


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【cinema】『最後の忠臣蔵』

2011-01-16 23:50:00 | cinema
'10.12.25 『最後の忠臣蔵』@丸の内ピカデリー

忠臣蔵好きなのでこれは見たかった。映画ブロガーさん達の評判もよかったので期待大。

*ネタバレありです

「吉良邸討入り直後、大石内蔵助の密命を受け逐電し、旧赤穂藩士の家族達に、心付を渡す役目を密かに果たしてきた寺坂吉衛門は、討入り直前に姿を消した親友 瀬尾孫左衛門の姿を見かける…」という話。いや… これは泣けた。泣かすように作ってるし。正直、とってもベタなシーンもあるのだけど、もう涙目になってしまっているから、涙が止まらない。

忠臣蔵が大好きなので、2人の名前は知っていたし、寺坂吉衛門が大石内蔵助の密命を受けて生き残り、討入りの真実を伝えたと描く作品も多いので、彼が生き延びたことは知っていた。瀬尾孫左衛門についてはノーマーク(笑)wikiによると、寺坂吉衛門は確かに討入り後も生き残っていて、瑤泉院や広島の浅野内匠頭の弟 浅野長広を訪ねた記録があるらしい。ただ、そもそも足軽の身分であったため、本来は仇討ちには加われなかったけれど、懇願し裏門隊として討ち入りが認められたという経緯があった。一説には、身分の低い足軽が加わっていた事を隠すため、大石内蔵助が吉衛門を逐電させたのではないかと言われてるらしい。その後、自ら出頭したという説もあるらしいけど、彼に対する追っ手も詮議もなかったようで、83歳まで生きている。

一方の瀬尾孫左衛門は、映画でも描かれているとおり大石内蔵助の家臣。なので、そもそもは浅野内匠頭の仇討ちに加わる立場にはなかったけど、懇願して盟約に参加した。大石内蔵助の信頼が厚かったようで、江戸下りの際、百姓 軽部五兵衛の離れに"瀬尾孫左衛門"名義で滞在しているとのこと。討ち入り直前の12月12日、足軽の矢野伊助とともに逃亡した後の消息は不明だけど、一説には赤穂に戻り剃髪し休真と名乗ったのではないかとのことで、討ち入り後間もない元禄16年2月26日、大石理玖から休真に送った手紙の写しが『赤穂義人纂書』に載っているそうで、ただの逐電ではないかもしれないと言われてるのだそう。

『十三人の刺客』と同じく池宮彰一郎原作。2004年11月5日~12月10日までNHK「金曜時代劇」として、寺坂:上川隆也、瀬尾:香川照之でドラマ化されている。討ち入りから16年後が舞台なので、年齢的にはドラマ版の2人の方が近いかも。と、Wikipediaからの知識や原作の情報をつらつら書いているのは、原作未読でドラマ版も未見、あらすじ意外の予備知識なしで見たので、瀬尾孫左衛門が大石の密命を受けたという説があるのか分からなかったので。ということで、つらつら書いたとおり、寺坂だけでなく瀬尾についても、原作その他がまったくの創作というわけでもないことが分かった。分かったからどうということもないように思うけど、やっぱり思い入れが違ってくる。

チラシなどにだいたいのあらすじが書かれているけど、もうそのまま。要するに、大石の命を受けて、自らの意志に反して生き残った2人の姿を描いているわけだけど、討ち入った後に遺族達を訪ねる役目の寺坂と、討ち入り前に姿を消し人知れず任務を遂行していた瀬尾では、人々の感情が違うわけで、2人の心情は同じであっても、見ている側の切なさが増してくる。それは決して寺坂をズルイと思ってしまうということではない。寺坂が生かされてしまった苦悩や切なさを抱えているからこそ、瀬尾の苦悩が分かる。寺坂が理解してくれたことが、より瀬尾の切なさを増すことになっている。

瀬尾の使命は大石が世間を欺くために京都で遊蕩三昧していた際に、側女との間に生まれた娘 可音を育てて欲しいというもの。いくら切羽詰まったとはいえ、独身男性にビックリ任務だなと思うけれど、たしか大石が依頼した時にはまだ可音の母親が生きていたような気がするので、まさか瀬尾が乳飲み子を引き取ることになるとは思っていなかったのかもしれないけれど… 瀬尾が結婚したことがあったのか分からないけど、どうやったって母乳は出ないわけで、今みたいに粉ミルクがあるわけでもないしどうしたのかといえば、回想シーンによると雪に足を取られながら、赤ん坊の可音を抱きさまよううち民家にたどり着く。そこにたまたま出産直後の下女がいて、乳をわけてもらったらしい。この家の主が島原で大夫だったゆうという女性。可音は瀬尾だけでなく、女性としてのたしなみをこのゆうから仕込まれ、美しく非の打ち所のない娘に成長する。と、書くととってもご都合主義だけど、真に迫った映像や役者の演技のおかげで、全然気にならない。

意外にベタなシーンが多くて、例えば大石(だったかな?)の墓を掃除してると、元赤穂藩士達が墓参りにやってくる。瀬尾だと分かると何故逃げたとなじり殴る蹴る。でも、wikiのとおりなのだとすれば、そもそも瀬尾は討ち入る立場ではなかったのだし、それぞれの立場や事情はあると思うけれど、あなたも討ち入ってないじゃないか思うけれど、あえて汚名を着て殴られても罵られても耐える姿は感動してしまう。そしてこのシーンは後の感動シーンの伏線になっている。

瀬尾の使命は可音を育てて、しかるべき家に嫁がせること。美しく成長した可音は、ある日出かけた文楽 曽根崎心中を鑑賞し、幕間もきちんと座ったまま、感動で動けなくなっている姿を、京都の豪商 茶屋四郎次郎の息子 修一郎に見初められる。彼女のその清楚でありながら凛とした佇まいは、息子だけでなく目利きである茶屋四郎次郎も魅了する。生活のため骨董品を探して売っていた縁で、瀬尾は茶屋からこの娘を探して欲しいと頼まれ、気持ちが揺れる。可音は主人の娘であって、仕えるべき主人でもある、でも同時に娘でもある。しかるべき相手に嫁がせたいと願うあまり慎重になる。この辺りに瀬尾という人物の魅力が感じられる。



原作も未読でドラマも見ていないので、寺坂についてどのような描かれ方をしているのか不明だけど、映画ではあくまでも瀬尾のサポート役という感じ。少しもったいない気もするけれど、2時間の映画にまとめることを考えると、瀬尾と可音に特化したのは良かったと思う。きちんと討ち入りし、大石の命を受けて役目を果たしていると認識されている寺坂と違い、裏切り者の汚名を着て耐えている瀬尾の切なさや虚しさ、そして大石から託された"生きる"ことの重さを理解できるのは寺坂なので、サポート役に回ったことで、見ている側の理解の度合いや、感情移入の仕方も深まった気がする。

可音は山奥で孫左衛門に見守られて育った。孫左衛門は次第に家臣として接するようになるけれど、父親のように思っていた。でも、年頃になった彼女には違う気持ちが芽生えていた。それは思春期の少女が抱く異性への憧れ。身近に孫左衛門しかいないのだから、必然的に彼に向かうのは仕方がない。自分を守ってくれる存在に好意を持つのは自然なことだと思うし、孫左衛門は魅力的な人物だから好意を持つのも納得。孫左衛門がやっと茶屋家に嫁がせることを決めた頃、可音は孫左衛門への思いを募らせる。

可音は修一郎との結婚を決めるけれど、それは単純に言ってしまえば失恋なのだけど、やっぱり自分の立場とをわきまえて、相手の立場を思いやったということなんだと思う。孫左衛門の中に可音への恋心は皆無ではなかったと思うけれど、主人の娘である彼女にそんな感情を持つことなどあってはらならいことだと思っているはず。可音は自分の気持ちをなんとか孫左衛門に分かってもらおうと、女子特有のかまかけをするけれど、可音の気持ちが自分にあるとは思いもよらない孫左衛門には通じない。すごく気持ちは分かるんだけど、女子のかまかけはたいていの場合、男性には理解されないで、ただイライラしてるだけに思われてしまうんだよね(笑) で、女性が大人になるか、子供のまま怒って平行線。可音は大人になって自分と相手の立場を考えたんだと思う。孫左衛門の中にたとえ自分への恋心があったとしても、彼の立場や大石への忠誠を思えば、自分を受け入れることはできないことを悟った。だったら主人として彼のためにしてあげられることは、彼が見込んだ男性と結婚し、彼を解放してあげること。可音や可音を演じた桜庭ななみちゃんがどこまで意識していたのかは分からないけれど、脚本や演出は間違いなくそう描いていたと思う。

家臣は仕えるべき相手がいないと成り立たない職業。そして、武士が死に場所を逃すというのは、かなり不名誉なことなのだと思う。といっても江戸の人だっていろんな性格の人はいただろうし、それぞれ生活があるので、実際そんなにきちきちしていたのかは分からないけれど、映画で見る分には不器用なくらい誠実で、切ないければ切ないほどいい。見所はいろいろあると思うけれど、やっぱり孫左衛門の"主"に対する思いだと思う。なので、その部分を彼が貫く姿と、周りがそれを尊重し、受け入れるのは切ないけれど、潔くそれしかないと思わせる。

可音は主人として孫左衛門と自分の幸せを考えて決断するけれど、輿入れの日にちを伸ばして孫左衛門に着物を縫う。それは娘として、そして初恋の相手に対して。これベタかもしれないけれど、可音の女の子らしい思いが伝わって感動。そして、それを着た孫左衛門のみに付き添われた花嫁行列が… ここからはわざわざ書くまでもないベタな展開なのだけど、とにかくそれぞれの思いが切なくて涙が止まらない。そして、その思いを受けて"主"になっていく可音が美しい。



そしてラスト。壮絶ではあるけれど、それまでの孫左衛門の生き様を見ていれば、納得のラスト。なるほどだから『最後の忠臣蔵』なのねという感じ。可音との爽やかな別れがあって、このラストに向かうわけだから、ちょっとゆう様のエピソードは余計だったかなという気がしないでもないけど、男が仕事や義につき動かされるのに対して、女性は愛に生きるんだということや、それぞれの切なさを描いているのだと思うし、瀬尾孫左衛門という人物の生真面目さや、生かされることの辛さを表しているのかなとは思うけれど、少し弱かったかな…

役者達はみな良かったと思う。桜庭ななみちゃんは、セリフはそんなに上手いと思わなかったけど、とにかく清楚な美しさが良かった。得に茶屋親子に見初められるシーンでは凛とした美しさにこちらも見とれてしまう。茶屋修一郎の山本耕史は時代劇顔。丁髷がとっても似合う。ゆう様の安田成美も美しくて、さりげなく孫左衛門をサポートする姿が良かっただけに、最後のシーンがちょっと残念だったかな… 下手ではなかったんだけど、感動するまでに至らず。寺坂吉衛門のイメージはなんとなく寺尾聡みたいな人だったので、佐藤浩市はどうなんだろうと思ったのだけど、サポート的な役回りだったので、それは良かったかなと思った。若干、熱すぎる気がしないでもないけど(笑)やっぱり瀬尾の役所広司がいい。ちょっと『十三人の刺客』と役が被るけど、切なさはこちらの方が断然切ない。こういう、慎重過ぎる程慎重で、耐えに耐えて最後に思いきった行動に出る役がとっても上手い。あんまり武士らしいイメージもなかったのだけど、2作とも浪人のような役なので、とっても合ってたと思う。

ちょっとベタだなと思うシーンもたくさんあったけれど、そもそも忠臣蔵が大好きという時点で、ベタ好きなので(笑) 京都の山奥の自然もきれい。とっても美しい時代劇だと思う。少しだけど討ち入りシーンもあり!

時代劇ファンも納得だと思う。朝一の回だったので、平均年齢70歳くらいだったけど、おじいちゃん達も泣いてらしたので、間違いなし(笑)


『最後の忠臣蔵』Official site

コメント (2)
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【Googleのロゴ】成人の日

2011-01-10 02:54:23 | Google's logo
毎度のGoogleのロゴがこんなことに!



成人の日!

もちろん知ってるけど、毎度のWikipediaで調べてみた!

成人の日(せいじんのひ)は、日本の国民の祝日の一つである。

1月の第2月曜日があてられている。
1999年(平成11年)までは1月15日だった。

とのことで、詳しくはWikipediaで!

新成人のみなさま、おめでとうございます!


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【cinema】『白いリボン』

2011-01-07 01:12:39 | cinema
'10.12.22 『白いリボン』@銀座テアトルシネマ

rose_chocolatさんのお誘いで見に行く! 共通のお友達migちゃんが大好きなハネケ作品。気になってたのでもちろん行く!

*ネタバレありです

「第一次世界大戦直前のドイツの小さな村。ある朝、村でただ1人の医者が何者かによって張られた針金にかかり落馬、重傷を負う。この事件を皮切りに、村では不審な事件が次々と起こる。疑心暗鬼になる村人達。やがて、村の統治者である男爵の息子が誘拐され…」という話。うーん。これは辛い(笑) 辛いって言ってもいろんな要素が含まれているので、単純に話が重くて辛いとか、つまらなくて見てるのが辛いとかではない。上手く言えないけど、なんとなくイライラする。うーん。イライラするのともまた違うのだけど…

でも、この感じはあえてやってるんだろうなと思っていたら、やっぱりそうらしい。何かの記事で、"ハネケらしい人を不快にさせる演出"と紹介されていたので(笑) 監督自身の言葉ではないのであえて不快にしているのか、撮りたいものを撮ったらこんな感じになるのかは不明。ハネケ作品は『ピアニスト』しか見ていないので、全く詳しくないし… あの映画も確かに見ていて気分のいい作品ではなかったし、やっぱり感じは似ているけれど、今回の方がイヤかも。そして、どちらも嫌いではない。でも、どちらかというと、こっちの方が好き。と、つらつら書いているのは、スッキリ結論が出ないから。それは単に犯人が分からないというモヤモヤ感だけではない。

村は領主である男爵を頂点とした封建社会。家令と牧師が村人達の指針となっている。男爵は40代くらいの人物で、できる限り寛大な態度を取ろうとしているようだけど、実際は短気で人を見下したところがある。多分、自分では意識していないと思うけど… そもそも、統治者というのは好意的に見られにくい気がするけれど、不慮の事故で母を亡くした小作人の息子が、事故は故意だと主張するのは、単純に彼の被害妄想だけではない感じは、男爵の態度からも分かる。家令の役割が今ひとつ分からなかったのだけど、要するに男爵に代わって監督するらしい。悪い人物ではなさそうだけど、尊敬を集めるタイプでもなさそう。牧師は文字通り宗教で皆を導く。この村はプロテスタントの教えで厳しく押さえ付けられている。実質的な統治者は牧師なのかも。

映画は村の教師の回想という形で進む。何十年も昔のことだし、全てを見聞きしたわけではないから、憶測も含まれていると初めに断っている。主な事件は医師の落馬事故、小作人の妻の転落死、男爵の畑が荒らされる、男爵の息子が暴行を受ける、そして助産婦の息子の目が潰される事件。これらの中でこちらに犯人がはっきりと示されるのは、畑荒らしのみ。2人の子供の暴行事件以外は、初めのうちはハッキリ事件かどうかも分からない。ただ、教師のみがその日いつもと違う何かに違和感を感じている。教師もその時は謎解きをするつもりもなかったので、見ている側はじわじわと広がって行く感じを、淡々と見ていくことになる。

少しずつ紹介される登場人物達は、ストイックで個を殺して生きているかに見えて、実はエゴや業を抱えている。誰でもそうなので、別に悪いことではない。だから個々のエピソード自体は特別問題がある訳ではない。でも、それらが積み重なって、誰かの中に蓄積された毒が吐き出されたらってことを描きたいのかなと思うのだけど… 途中までは、犯人探しもしていないし、そもそも事件なのか事故なのかすら分からない。だから淡々と映し出される人々の姿は、映画というよりドキュメンタリーを見ているようでもある。ドキュメンタリーって主題に興味が持てないと見ていて辛い。前半は入り込めなくて辛かった。

タイトルでもある白いリボンは、"純真で無垢な心"の象徴。純真無垢でない子供達は腕に白いリボンを巻かれ、純真な子供になったと判断されれば、はずしてもらえるというシステム。チラシなどで涙を流した少年が、腕に白いリボンを巻かれているのがそれ。この姿は印象的だけど、この少年は重要人物の1人で、牧師の息子。彼が姉と共に白いリボンを巻かれたのは、夕食に遅れたというささいな理由。2人は謝るけれど、理由を言わない。だから、牧師は許さず、全員夕食抜き、2人を翌日鞭で打つと言う。しかも、用意された食事を目の前にして。これを躾と取るかどうかというところだと思うけど、個人的にはやり過ぎな気がした。1918年が舞台なので、今よりずっと保守的だっただろうし、宗教的な考え方もあるとは思うけれど、家族全員食事抜きっていうのは、自分のストイックさに酔ってないかな? こうあるべきに酔い過ぎっていうか…

子供は確かに純真無垢だと思うけれど、それは知識や経験が不足しているからそうでいられるわけで、大人になっても純真無垢ではいられないのだし。それはいろんな事を知ってしまったからだけではなく、純真無垢でいたら生きていくのは大変なんじゃないかな… そもそも純真無垢じゃない者=汚れた者ではないと思うし。だから思春期に差し掛かっているチラシの少年と姉は息苦しさを感じているんだと思う。個の意識や意思が強ければ強いほど、従順ではいられなくなるし、それが自立ってことなんだと思うのだけど、違うのかな? まぁ、子供育てたことないので偉そうなことは言えないけれど(笑)

とにかく、何か不穏な事が起きていて、それらがジワジワ広がっていく感じはすごく伝わって来るんだけど、いわゆる探偵役みたいな率先して事件を解決しようという人がいない。狂言回しとして教師がいるけど、違和感を覚えているに留まっている。何か見聞きしたり、自分なりの見解を持ったとしても、迂闊に口にしてはいけない雰囲気がある。小作人の妻は体が弱かったため畑に出れず、男爵の納屋で働いていた時、腐った床が抜けて転落死した。悲劇的な事故だと思うけれど、小作人の息子はそうは思わない。何者かの作為によって事故死させられたと考える。父親はそんな彼の怒りをなんとか鎮めようとする。男爵の怒りを買えば職を失い、一家は暮らしていけないから… そして悲しい決断をする。彼なりの抗議なのかもしれない。

彼ら一家だけでなく、村の人々はみな抑圧されて、そのはけ口をより弱い者に向けて吐き出しているように見える。一見、子煩悩で紳士で献身的な人物に見える医者も、実の娘に性的虐待をし、長年の愛人だった助産婦に罵声を浴びせる。後の村人の噂が正しいとすれば、見せられた助産婦とのそれはプレイのような気もするけれど… じゃなければ最悪の男(笑) 抑圧のはけ口はジワジワとより弱い者に向かっていく。そして男爵の息子が誘拐されて暴行を受け、助産婦の息子の目が潰されることになったのだと思う。男爵の息子ジギは美少年だけど少し反応が鈍く、人をイライラさせるタイプ。家庭教師のフルートとピアノの合奏を楽しむ母に、遅いから寝ろと言われても無反応。ならば譜面をめくるのを手伝えと言われても無反応。でも、反抗的なわけではない。助産婦の息子は知的障害者。彼らは最も弱い者だけど、それゆえ無垢なのかもしれない。

映画はこれらの不穏な事件と、教師と男爵家の子守との恋愛と同時進行で進む。この2人の恋愛は今では考えられないくらい、ゆっくりと段階を踏んでいく。初めて言葉を交わした時から教師が彼女に心奪われたのは明らか。この村よりさらに田舎の村から出稼ぎに来ている17歳の彼女には、頼る人がなく次第に教師に心開いていく。とにかく、何をぐずぐずしているんだというくらい、おずおずと話し掛ける教師、戸惑いと恥じらいでなかなか答えない子守… ちょっとイライラする(笑) でも、それは2人が慎み深いのであって、お互いを意識しているから。教師は彼女より先に父親に結婚を申し込むけど、それも昔の習慣をきちんと守っているから。2人の恋愛はとても純粋。ただ、2人が純粋な恋愛を出来たのは、お互いこの村の出身ではなく、よそ者だったからかもしれない。上手く言えないけど、村人も教師側も壁があるというか…

そして、よそ者だからこそ冷静に村人を見ることができたし、教師という職業柄生徒達の行動は自然に観察してしまっていたのだと思う。以前から気にかかっていた牧師の長女と長男を中心としたグループの不審行動。表面上は従順な態度を装っているので、その時には気づかなかったけれど、家と逆の方向へ帰って行く姿、危険な橋の欄干を歩く牧師の息子、家令の娘の悪夢、そして助産婦の家を覗く姿を見るに至り、教師はある結論に達し、牧師に打ち明ける。馬鹿な憶測だとはねつけるけれど、牧師が長男をベッドに縛りつけて眠らせるのも、神学の授業の前に生徒達がはしゃいでいた責任を長女に負わせ、必要以上に責め立てて失神させてしまうのも、何かを感じていたからなのではないか…

結局、結論は語られないまま映画は終わる。でも、答え自体は出ているので、その事で後味が悪いということはない。教師が借りた自転車を強引に借りて走り去った助産婦と、夜逃げのように出て行った医者一家と、行方不明になった助産婦の息子が裏付けている。後味が悪いのはずっと感じていた、抑圧された閉塞感と、あの子供達の行く末。チラシによると後のナチスの中心となる人物達が少年時代を過ごしたのがこの時代だそうで、確かにそういう要素は感じる。抑圧されたイライラのはけ口が弱い者へ向かう感じ、それがどんどんエスカレートして行く感じ。人間のそういう面があることは承知しているし、その原因を知って早い内にその芽を摘めるのであれば、そうするべきだと思う。だから、それを世に問う作品は必要だとは思うけれど、やっぱり辛いかな…

全編モノクロの映像が美しく、美しい少女が黒いドレスに身を包む姿が、逆にエロティック。医者の娘がスープを飲むシーンが何だかエロい(笑) 季節は夏から冬へと移るけれど不思議と暑さも寒さも感じないのはモノクロ映像のせいなのか… でも、雪景色の村は美しい。役者達はほとんど知らなかったけれど、白黒映像のせいか昔の映画を見ているような雰囲気。特に子守の控えめな美しさは、その時代の女性を見ているよう。彼女よりも年下であるはずの牧師の長女にそれを感じないのが象徴的。登場人物達があまり多くを語らない分、映像や余白で見せるのが上手いけれど、イライラするように作られているので、見ていて気持ち良くはない。例えば、牧師の長女と長男が鞭打たれるシーン自体は映らない、見たいわけではないのでそれはOK。でも、2人が呼ばれそれぞれの部屋から出てきて、牧師の待つ部屋に入りドアが閉められる。見ている側の視点は廊下にあり閉ざされたドアを見つめて、鞭打つ音を待つことになる。するとドアが開き長男が出てくる。カメ
ラを通り過ぎて、別の部屋から鞭を持ってきて再び牧師の待つ部屋へ。2人も見ている側も鞭打たれる覚悟はしているわけだから、早くしてくれた方がありがたい(笑)でもしない。そこに陰湿さを感じる。でも逆に、川辺でジギと2人の少年が寝そべっているシーンでは、プープーと笛を吹き続けるジギにイラ立った家令の息子がジギを殴ってしまうけれど、自分もイライラしていたので、この少年の気持ちが分かってしまった。そういう要素が誰にでもあるということなのか…

うーん。つらつら書いてる割に全くまとまらないけど、言いたいことは言ったので、後は勝手に解釈してくださいという映画なので、いろいろ考えなくちゃいけないので結構大変だった。なのでこれが精一杯(笑)

事件は起こるけど謎解きでもないし、コスチュームプレイではあるけれど、いわゆるそういうタイプの作品とも違う。まあ、カンヌ映画祭のパルム・ドール受賞作品なので、一筋縄ではいかないってことで(笑) 好き嫌いが分かれるというよりも、全然分からないって人はいるかも。個人的には嫌いではありませんでしたということで(笑)


『白いリボン』Official site


コメント (8)
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