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【cinema】『トゥルー・グリット』(試写会)

2011-03-20 23:55:00 | cinema
'11.03.10 『トゥルー・グリット』(試写会)@一ツ橋ホール

yaplog!で当選。見たかったコレ! 試写状届いた瞬間ガッツポーズだった!

*ネタバレありです!

「父親を雇い人チェイニーに殺されたマティは、アル中保安官コグバーンを雇う。テキサス・レンジャーのラビーフも加わり彼を追う…」 という話。これは面白かった。王道な展開で、冒頭マティの父親が殺されたと伝えられるだけで、特に大きな出来事も起きないけれど、約2時間の長さも感じさせない。じんわりと感動できて見応えのある作品となっていた。

1968年に連載開始されたチャールズ・ボーティスの同名小説が原作。翌1969年にはジョン・ウェイン主演で映画化されているけど、これは未見。true gritとは"真の勇気"という意味。監督はコーエン兄弟。彼らの作品は『ファーゴ』『ビッグ・リボウスキ』『バーバー』『ノーカントリー』を見た。すごいファンという感じではないけれど、見た作品はみんな好きだった。1番好きなのは『ファーゴ』かなぁ… ブシェミ出てるからね(笑) 今回の主演はジェフ・ブリッジス。『ビッグ・リボウスキ』でも主演だった。オリジナルの主演ジョン・ウェインといえば往年の名優で、もちろん知っているけど、作品を見た覚えがあまりない。たぶん、見てはいると思うけれど… ということで、つらつら書いて何が言いたいかというと、原作・前作にあまり思い入れがないけど、コーエン兄弟作品には少しありますということ。だから何という感じですが(笑)

西部劇は別に嫌いじゃないけど、特に好んで見る方ではない。何となく男くさい気がして…(笑) ジョン・ウェインといえば"西部劇"というイメージ。よく知らないけど(笑)要するにさっきから書いているように"男くさい西部劇"ということ。だからオリジナルはもっと男くさかったのかなという気がする。オリジナルは未見なので、マティがどんな描かれ方なのか不明なのだけど、今作では彼女の視点で描かれる。それがとっても見やすかった気がする。主人公はマティということになるんだと思うけれど、おそらく真の主役はコグバーンなんだと思う。ジェフ・ブリッジスも、実は自分が主役であるというように演じていたと思う。上手く言えないけど…

マティは遠く離れた街から父の遺体を引き取りに1人でやって来た。弁護士からある程度の指示を受けていたとはいえ、ひとくせある男達とも対等あるいは、それ以上に渡り合う。度胸はスゴイけれど、その向こう見ずさは弁護士も呆れるほど。到着した日、ホテル代がないからと、父の他3体の遺体と一緒に葬儀社で寝るなんて、なんてタフ(笑) しかも彼女は14歳! 同じくチェイニーを追うテキサス・レンジャーのラビーフが、寝顔はかわいかったけど、殴りたいくらいムカつく的なことを言っていたけど、ホントにスゴイ。彼女の母は父親と一緒に帰って来るよう言い付けたらしいけれど、彼女はルースターを雇い自分もチェイニーを追うつもり。一度はコグバーンに出し抜かれてしまうけど、馬で駆け、川を渡り必死に追いつく。その必死さと、逞しさにコグバーンも彼女を受け入れる。このマティを演じたヘイリー・スタインフェルドがすごく良くて、生意気過ぎず、健気過ぎず、芯が強く、自分の意志をしっかり持った少女となっている。

コーエン兄弟の作品はまぁまぁ見ている方だと思うけど、これが"コーエン節"だとつかめているのか謎(笑) でも、淡々とした中に暴力やシュールな笑いを盛り込んでいるって感じなのかな… この作品もそう。全体的に結構暴力的だったり、痛いシーンも出てくるのだけど、どこかコミカルな感じ。それに救われている部分もある。居留地に逃げ込んだチェイニーの手がかりを得るために、雑貨店(?)に立ち寄るけれど、店のバルコニーに座る先住民の子供を何故か蹴落とすコグバーン。店を出る時も蹴落とす。実は人種差別的な要素があるのかもしれないけれど、何故かクスリと笑ってしまう。コグバーンなりのコミュニケーションなのかもしれない。3人が追うチェイニーが意外にヘタレでくだらない男なのも皮肉といえる。これは今ではコーエン兄弟作品の常連と言う感じのジョシュ・ブローリンのおかげで、極悪人というよりは無知で考えが足りない男になっていて、滑稽で少し切ない感じがする。その切なさは決してチェイニーに対しての同情ではないのだけど・・・

でも、彼が小者である分、スカッとさせる部分はチェイニーをかくまっていたお尋ね者のネッドとコグバーンの対決シーンとなっている。数としては4対1なので派手さはないけれど、でもやっぱり不利ではある(笑) このネッドが割りと敵ながらカッコイイ。悪漢ながら約束は守るみたいな。まぁ、大好きな池波正太郎先生の「鬼平犯科帖」の”本物”の大盗賊のかっこよさにはかなわないけれど(笑) でも多分、連邦保安官コグバーンの狙いは、このネッドだったのでしょう。まぁ、最終的にはラビーフも加勢するけど、このシーンはかっこよかった。西部劇というと、背中合わせにお互い決められた歩数を歩き、振り返って撃つ1対1の決闘とか、大勢の騎馬隊というイメージだけど、そういう派手さはなかったものの、緊迫感も迫力もあって見応えがあった。

おそらくコーエン兄弟が本当に見せたかったのは、この後なんだと思う。毒ヘビに噛まれて瀕死の状態のマティを救うため、コグバーンはマティの愛馬リトル・ブラッキーを全速力で駆けさせる。馬が限界だと思えばその体にナイフを突き立てて走らせる。とうとう馬が倒れると、自らマティを抱えて走る! ここで生きてくるのが、前半部分でマティが彼を初めて見た裁判シーン。犯罪者とはいえ殺し過ぎるのではないかと裁かれていた。コグバーンは正当防衛を主張していたけれど、見ている側にも印象は悪い。でも彼は今、救うべき命を必死で救おうとしている。それは彼が正しかったということではなくて、おそらく彼の中で何かが変わったという事なんだと思う。そして、その彼の必死さによって、リトル・ブラッキーを心配するマティと、同じ気持ちで見ていた側の甘さを思い知らされる。”生きる”ということ”生き抜く”ということは、そういう事なのだということ。リトル・ブラッキーの犠牲の上にマティは生きることになる。もちろんそれは誰かを犠牲にしてまで生きろということではない。それだけ命は重いということ。この事実自体は重いのに、映し出される映像は美しい星空の下、何もない砂漠を走り抜ける2人と1頭の姿。説明過多じゃなくてもしっかり伝わる。だからこそ伝わる。ちなみにこのシーンでナイフを刺されたのは、アニマトロニクス用のロボット馬とのこと。よかった!

全体としてマティ目線で描かれている。だから最初のヤマ場である、チェイニーを含むネッド一味の待ち伏せ作戦や、意見相違によって別行動をとっていたラビーフが巻き込まれてしまう様も、遠景で映される。でも、これもよかった気がする。本来はそんな視点なわけだし。その直前に指切断とかさんざん痛い場面を見せられたので、銃撃シーンなどはそんなに見たくないかも。でも、迫力がないわけではない。馬に引きずられたラビーフの舌のエピソードは痛かった・・・(涙) そいいう、正統派じゃない痛いシーン。そこ? って感覚も好きかも(笑) そして、このシーンを遠景でしか見せなかったことが、ネッド対コグバーンの対決シーンを引き立てる形になっている。

ほとんどのシーンが居留区の中で展開されるため、森の中とか自然の中のシーンが多い。なので”西部劇”という感じがあまりしない。前半の街並みとかもそんな感じではなかったかな・・・。これはマティ目線で描かれているので、いわゆるスウィング・ドアをバーンと開けて酒場に入るなんてシーンもなかったし(笑) 意外に街並み自体もゆったりとしたスケール感だったのは、自分の中で比較対象になっているマカロニ・ウエスタン映画が撮影された撮影場のスケール感だったりするのかな・・・。イヤ別にそれがダメと言っているわけではなく、あくまで好みの問題。何度も書くけど、あんまり男くさい映画が苦手というだけ。男くさいというのは荒っぽくて、お風呂も入らないような・・・(笑) コグバーンはちょっそんなタイプだったけど、比較的キレイなイメージなのはジェフ・ブリッジスのおかげかな。居留地の自然の映像がすごく良かった。シーンによってトーンや色を変えたりして、映像は全部キレイだった。

キャストについてはチラチラ書いて来たけど、マティ役のヘイリー・スタインフェルドが良かった! 一歩間違えば生意気で鼻持ちならくなりがちな役を、意志の強いしっかりした少女にしていた。適度に健気なのがいい。美少女過ぎないところも役に合っていたと思う。ラビーフ役のマット・デイモンも地味ながら好演。ラビーフも一歩間違えば足手まといな人物になりがち。でも、彼は彼なりの立場があるのだと思わせるのはさすが。コメディー担当でもあるけど、その辺りも良かったと思う。ファンの方にはラスト活躍の場がちゃんとあります(笑) ジョシュ・ブローリンの登場シーンは少ない。ネッドに持って行かれちゃった感もあるけど、ヘタレっぷりが良かった。必死に追ってきたのはこんなくだらないヤツなのかという皮肉がきいている。そして、やっぱりジェフ・ブリッジスが上手い。こういう映画の常として、コグバーンは初めはうさん臭くないとおもしろくない。敵か味方かっていう感じ。でありながら、さりげなくマティを守ってる感じや、スゴ腕であることを感じさせ過ぎずに、感じさせないとかっこよくない。見たことないので分からないけど、ジョン・ウエインだとこの辺り、うさん臭くてもカッコイイんじゃないだろうか。もちろんそれは全然OKだし、むしろそれが正統なんだと思う。だからこそジェフ・ブリッジスはあえてかっこよくなく演じたのかなと思う。意外に弱音吐いたり(笑) それが人間っぽくて良かった。そして、その感じがコーエン兄弟なのかと思う。

男くさい、いわゆるマカロニ・ウエスタンのような西部劇好きな方には、少し物足りないかもしれないけれど、"真の勇気"がしっかりと描かれている。それは正しいと思ったことをするということ。そして、その責任は取るということ。マティはこの復讐の旅で大きな代償を払った。それは自分で引き受けるしかない。

役者がいいとホントに見応えがある。約2時間あっという間だった。オススメ!

『トゥルー・グリット』Official site

*この試写会の翌日に東北関東大地震が起こった。自分も帰宅難民になった。余震が続く中、次々伝えられる被害の大きさに愕然とし、原発事故で恐怖を感じた。被災者の方に比べたら、ホントに甘いけれど、なかなか西部の世界に戻れなかった。10日が経ち、この2日天気もよく、少し気持ちが落ち着いたので、やっとレビュー書けました。遅くなってすみません


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【Googleのロゴ】ひな祭り

2011-03-03 00:21:02 | Google's logo
毎度のGoogleのロゴがこんなことに!



ひな祭り

もちろん知ってるけど、毎度のWikipediaで調べてみた!

雛祭り(ひなまつり)は女子のすこやかな成長を祈る節句の年中行事。
ひいなあそびともいう。

ひな人形(「男雛」と「女雛」を中心とする人形)を飾り、
桃の花を飾って、白酒や寿司などの飲食を楽しむ節句祭り。
雛あられや菱餅を供える。

とのことで、詳細はWikipediaで!

よいひな祭りを~


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【cinema】『アレクサンドリア』(試写会)

2011-03-03 00:04:00 | cinema
'11.02.23 『アレクサンドリア』(試写会)@よみうりホール

yaplog!で当選。いつもありがとうございます!アレハンドロ・アメナーバル監督作品は『オープン・ユア・アイズ』と『アザーズ』しか見ていないけれど、『アザーズ』は好き。かなりテイストが違うので、そんなに期待はしていなかったけれど・・・

*ネタバレありです! ごめんなさい辛口です…

「4世紀アレクサンドリア。女性ながら優れた天文学者であるヒュパティアは、多くの弟子に慕われていた。中でもオレステスと奴隷のダオスは彼女に特別な想いを寄せていた。一方、アレクサンドリアではキリスト教が勢力を広げ…」という話。ヒュパティアは実在の人物だそうで、これも『英国王のスピーチ』同様、実話ベースってことになるけど、ずいぶん違う。時代も背景も違うのだから、当たり前ではあるけれど(笑) あちらが文芸作品のような趣ならば、こちらは歴史スペクタクルという感じかな…

彼女が主役ではあるけど、邦題も『アレクサンドリア』だし、原題は『AGORA』で、これは劇中の字幕によると"広場"という意味らしい。なので、ヒュパティアを主役として、あの時代のことをやりたいのかなと… それにしてもどこまでホントなのか気になったので、毎度のWikipediaで調べてみたところによると、ヒュパティア(370-415年3月)は、古代エジプトの著名な数学者、天文学者、新プラトン主義哲学者。キリスト教徒により異教徒として殺害された。アレクサンドリアの新プラトン主義哲学校の校長。プラトンやアリストテレスについて講義を行う。知的な才能と雄弁さ謙虚さと美しさは、多数の生徒を魅了した。キュレネのシュネシオス(その後プトレマイオス(410年頃)の司教となる)との間で交わされた書簡が残っており、アストロラーベ(天体観測儀)とハイドロスコープの発明については、彼女に意見を聞いたシュネシオスの手紙により知られている。「真実として迷信を教えることは、とても恐ろしいことです」などと、キリスト教徒から見て神への冒涜とも取れる発言を繰り越す。四旬節のある日、総司教キュリロスの部下である修道士達は、馬車で学校に向かう彼女を引きずり下ろし、教会に連れ込んで裸にし、牡蠣の貝殻で生きたまま肉を削ぎ落として殺害した。キュリロスは異教徒を追放したと讃えられ、13世紀、教会の博士として聖人の列に加えられた。

ということで、ほぼ史実どおりらしい。内容的に難しくて、日本語の文章でも「?」となってしまう感じなので、彼女の功績自体は相変わらず理解出来ないのだけど… 映画では分かりにくかったのだけど、ヒュパティアは校長だったんだね… そう考えると当時の考え方はだいぶ進歩していたのかなと思う。ヒュパティアが優れていたとは言え、女性を校長にするのは、なかなか大変なことなんじゃないかと思う。冒頭の講義でヒュパティアは、万有引力のようなことを説明しているけれど、万有引力といえばニュートンで、だいぶ後輩(笑) もちろんニュートンもりんごが落ちたから急に閃いたのではなく、常に考えていたから気づいたわけで、それは何もニュートンだけに限ったことでなく、それこそ気の遠くなるくらい以前から、沢山の人が試行錯誤してきた結果だとは思うけれど、彼女自身が解明した事実がないので、結局悩みっぱなしで終わってしまう。っていうか、ヒュパティアは欧米人の間では説明の必要がないくらい有名な人なのかな。彼女が校長であるどころか、学校なのかってこともよく分からない。まぁ、分からなくても大丈夫なんだけど、どうにも彼女の位置づけとか評価みたいなものが伝わってこない。そもそも、ヒュパティア以外の女性キャラが一切出てこないので、比較対象がいなくて、彼女が特別であることが分かりにくい。

Wikipediaの記事にも美貌であり、生徒を魅了したとあるので、その辺りも事実ではあるのでしょう。映画の中では後にアレクサンドリア長官となるオレステスと、奴隷のダオスが想いを寄せる。オレステスはちょっとナルシストっぽいタイプで、学園モノなどによくいる悪ぶったお坊ちゃんタイプ。でも、意外と友情に熱いみたいな(笑) 一方ダオスは、ヒュパティアの助手というか、雑用をするために彼女の講義を聞くうち、天体模型を作るまで理解してしまうような聡明な青年。奴隷であるがゆえに、彼女への想いは胸に秘めているけれど、見つめる目線は誰よりも熱い。しかし、いくら奴隷だからって入浴に立ち会わせて、全裸の体を拭かせるなんてヒドイぞ(笑) 2人を対比させているのは分かるんだけど、ちょっと小澤征悦似が気掛かりなダオスのマックス・ミンゲラはまだしも、オレステスのオスカー・アイザックのルックスが好みではなかったので酔いきれずという、個人的な理由は、言ってはいけないと思いつつ(笑) でもやっぱり乗り切れず。

そもそも、4世紀エジプトの知識が全くないので、この時代の情勢がよく分からないのだけど、キリスト教もしくはユダヤ教の人達には、常識的な問題なのかな? 冒頭にけっこう長めの説明文章が出たから、そんなに誰もがすんなり分かる感じでもないんだよねきっと。冒頭の説明内容はほとんど覚えてないので、最初にサラリとヒュパティアの講義シーンと、とってつけたように父親とそのお客さんの会話から結婚問題が語られ、父親が学問に生きたいという彼女の意志を代弁、そして先にも書いた2人から想いを寄せられている描写があって、すぐに宗教戦争に突入してしまうので、ヒュパティアの学問に対する熱意とか、気持ちとかがあまり伝わってこないままに、戦闘シーンばかりになってしまう。

4世紀アレクサンドリアではキリスト教が急速に勢力を拡大していた。火の上を歩く大道芸的なことを奇跡だと言って布教する様は、現代の私達からすれば、奇跡でもなんでもなく科学的(?)に説明できるわけで、そう考えれば"真実として迷信を教えること"ではあるけれど、当時の人には分からなかっただろうし… アレクサンドリアの元々の宗教がよく分からなかったので、お友達のブロガーさんに伺ったところ、多神教とのこと。公式サイトによると、古代七不思議の1つ大灯台と図書館を誇り、古代の神々を信仰していたらしい。一応、Wikipediaで調べてみたけれど、出典が曖昧であるとの記載があったので割愛(笑)

映画によると、勢いを増し傍若無人に振る舞うキリスト教徒に対し、多神教徒が襲撃をかけるも反撃を受け図書館に篭城。ローマ政府の裁きにより、お咎めなしとなるが、図書館を明け渡すこととなる。キリスト教徒がこれを徹底的に破壊する。ヒュパティアの生徒の中には多神教徒もキリスト教徒もいたが、オレステスを初めとして、キリスト教へ改宗するものも多かった。しばらくはキリスト教徒とユダヤ教徒は牽制し合ながらも、平和に過ごしていたが、キリスト教徒が観劇中のユダヤ教徒たちに投石、多数の死者を出す。アレクサンドリア長官となったオレステスら議会がこれをおさめようとするも、ユダヤ教徒が反撃。全面対決へと発展する。結局、キリスト教徒が勝利し、ユダヤ教徒はアレクサンドリアを追われることになる。完全にアレクサンドリアを制圧したキリスト教徒は、高官達にも改宗を迫る。既にキリスト教徒になっていたオレステスではあるが、女性は社会的に抹殺すべきであるという、聖書の解釈にヒュパティアへの弾圧を感じ、これにひざまずくことを拒否。これにより、キュリロスは彼女を魔女だと糾弾する。

と、気づけば全部書いちゃたけど(笑) この一連の戦闘シーンの迫力はスゴイ! 怖くて見れないということはないけど、個人的にはあまり残虐シーンは見たくはない。ただ、その戦いが例えば主人公達が、圧倒的不利を跳ね退けて、勝利を掴むならドキドキしながらもスカッとするし、仮に悲劇的な最期であっても、そこに切なさを感じて感動したりできる。でも、宗教戦争ってホント虚しい。それは多分、自分が無宗教だから余計に感じるんだと思う。宗教のことは難しいことは分からないし、いろいろあると思うので、個人的な判断でいろいろ言うのは避けるけれど、貴重な書物や文化遺産が破壊されるだけでなく、子供まで皆殺しにしろと命令するような人が聖人になれるんだね… 製作側の視点がどこなのか謎だけど、ここに矛盾を感じているんじゃないかと思う。自分達以外は認めないという考え方があるから、今も戦争はなくなっていない。自分のことを信じない人間は殺して構わないなんて言う神は神じゃないと思うんだけどな… まぁ、戦争になってしまえば、個人レベルで考えれば、殺さなくては殺されてしまうから、大義名分は関係なくなってしまうのかもしれないけれど… とにかく、迫力はスゴイけれど、虚しさばかり感じる戦闘シーンの連続に、ややゲンナリ。

図書館明け渡しに際し、少しでも書物を持ち出そうとするヒュパティア。彼女の身を案じるダオスに厳しい言葉を浴びせてしまう。ダオスを異性として見ていない以上、主人と奴隷という立場上、彼に求めるものが書物を運び出す手伝いだとしても、間違ってはいないけれど、彼女の見ている世界や、求めているものに、自分の望んだ世界がないことに、傷ついてしまう気持ちは分かる。自分を受け入れてくれたキリスト教に、自由を感じ救いを求めたとしても、それはダオスの人生。そして、聡明で純粋な彼が、どんどん暴走するキュリロスや修道士達に違和感を覚え始めるのは、見ている側にとって少し救いになったりする。何故、彼が奴隷なのかがよく分からなかったのだけど、身分違いゆえの純愛は切なくて良かった。ラストの彼の行動が切ない(涙) ダオス役のマックス・ミンゲラは好みのタイプではなかったけれど、ダオスが男になって行く感じを好演していたと思う。ただ、その分ヒュパティアの影が薄くなってしまった気も…

ヒュパティアの意志の強さや、高潔な感じは伝わってくるけど、伝説の天文学者、科学者である面が伝わりにくい。先述のWikipediaによると天体観測儀を発明したとあるけど、映画では触れていない。この当時主流であった天動説に疑問を感じ、アリストテレスの地動説を支持し始めるのはいいとして、では何故、落とした物は真下に落下するのかという疑問に対し、動く船の上で、物を落下させる実験をする。真下に落下するところを見せられたオレステスが「だから?」と問うけど、正にそれ(笑)イヤ、現代の私達は専門知識がなくても、地球が自転しながら太陽の回りを回っていることも、その軌道が楕円であることも知っているけど、この時代の人々は知らなかったわけで、ヒュパティアのような人が抱いた疑問が伝わっていき、後世の解明に繋がっているんだと思うんだけど、如何せん彼女の功績が何もないのは辛い。凡人OLちゃんが常識として知ってることが、伝説の天文学者にも解明できないってことが、切なくなってしまったのはコチラの勝手だけど、公転の軌道が楕円だと気づいただけで終わってしまうので… どうやら公式サイトによると、彼女の美貌や人となりについての記録は多いけれど、学者としての彼女についての資料がほとんどないのだそう。うーん…(笑) 映画としては、何事にも動じない当時の哲学者の資質を描いたとのことで、その辺りはレイチェル・ワイズの頑張りもあって良かったと思う。でも、オレステスの求愛に対して、経血つきのハンカチを渡したというのは実話らしいけれど、女子としてはちょっと…

キャストはレイチェル・ワイズとマックス・ミンゲラは良かったと思う。他の人達は普通かな(笑) ただ、レイチェル・ワイズの頑張りも生かされていないのが残念(涙) 全体的に人間の愚かさにやるせなさや切なさを感じて辛かったけど、ラストのレイチェル・ワイズとマックス・ミンゲラのシーンは衝撃的。切なくも美しくてここが唯一好き。ものすごくやるせないけど(笑)

戦闘シーンの比重が大き過ぎて、肝心のヒュパティアがとってつけたようになってしまった印象。歴史スペクタクル好きの方にはいいかも。4世紀アレクサンドリアを再現したセットや美術はスゴイ!


コメント (2)
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