2019.02.02 『ヴィクトリア女王 最期の秘密』@シネマイクスピアリ
これ1年前くらいにインスタで知って絶対見たいと思ってた。試写会応募した覚えがないので、なかったのかな? 上映館数少なくて、近場だとル・シネマかシネマイクスピアリくらい。母親も見たいというので、休みの日にシネマイクスピアリで見て来た~
ネタバレありです! 結末にも触れています!
「背が高いという理由で、ヴィクトリア女王に記念の品を献上するため渡英することになったアブドゥル。女王はアブドゥルに興味を持つ。持ち前の機転で女王の"教師"になったアブドゥルは、女王の側近たちの様々な思惑と対峙することになる」というあらすじはあまり上手くない。これはなかなか面白かった。思っていたよりコミカルでビックリしたけど、最後にはホロリとさせられた。実話だけれどつい最近まで隠されていたらしい。映画のとおりだとすると、分かる気がしなくもないかな😅
スティーヴン・フリアーズ監督作品。作品は『ハイ・フィデリテイ』『クィーン』(感想はコチラ)『わたしの可愛い人 シェリ』(感想はコチラ)『あなたを抱きしめる日まで』を見た。見た作品はどれも好きだけど特別ファンというわけではないかな。作品について毎度のWikipediaから引用。『ヴィクトリア女王 最期の秘密』(ヴィクトリアじょおう さいごのひみつ、原題:Victoria & Abdul)は、2017年に公開されたイギリス・アメリカ合衆国の合作映画。シャラバニ・バスの『Victoria & Abdul』を原作としており、ヴィクトリア女王と彼女の従僕アブドゥル・カリムの交流を描いている。スティーヴン・フリアーズが監督を務め、ジュディ・デンチ、アリ・ファザル、マイケル・ガンボン、エディー・イザード、ティム・ピゴット=スミス、アディール・アクタルが出演している。第74回ヴェネツィア国際映画祭で上映された後、2017年9月15日にイギリスで公開された。
2016年6月17日、ジュディ・デンチがシャラバニ・バス原作の『Victoria & Abdul』でヴィクトリア女王を演じることが発表され、同時にスティーヴン・フリアーズが監督を務めることも発表された。デンチがヴィクトリア女王を演じるのは1997年公開の『Queen Victoria 至上の恋』以来2度目となる。8月5日にはアリ・ファザルがヴィクトリア女王の従僕アブドゥル・カリムを演じること、ワーキング・タイトル・フィルムズとBBCフィルムズが共同製作、BBCとフォーカス・フィーチャーズが共同出資することが発表された。アメリカの配給はフォーカス・フィーチャーズが担当し、それ以外の地域ではユニバーサル・ピクチャーズ・インターナショナルが担当する。脚本はリー・ホールが担当し、プロデューサーはビーバン・キドロン、トレイシー・シーウォード、ティム・ビーヴァン、エリック・フェルナーが務め、主要キャストとしてマイケル・ガンボン、エディー・イザード、ティム・ピゴット=スミス、アディール・アクタルが出演している。
2016年9月15日からワイト島のオズボーン・ハウスで主要撮影が開始された。オズボーン・ハウスでは2017年7月24日から9月30日まで映画で使用された衣装が展示された。同島の観光協会は本作と『女王ヴィクトリア 愛に生きる』でヴィクトリア女王への関心が高まったことを受け、ヴィクトリア女王所縁の場所を巡るための道「ヴィクトリア・アイランド・トレイル」を作った。撮影はワイト島の他にケントのチャタム・ヒストリック・ドッグヤードでも行われた。
Rotten Tomatoesでは175件のレビューが寄せられ支持率66%、平均評価6.2/10となっており、Metacriticでは34件のレビューに基づき58/100のスコアを与えている。「Women's Voices for Change」のアレクサンドラ・マクアロンは8/10の評価を与え、「ジュディ・デンチのオスカーに値する2度目のヴィクトリア女王役は、色あせた権力と人の関わりの哀れな肖像です」と批評している。ただし、第75回ゴールデングローブ賞では主演女優賞にノミネートされているものの、第90回アカデミー賞ではメイクアップ&ヘアスタイル賞と衣装デザイン賞のノミネートのみとなっている。
えーと。諸事情に感想書き始めるのに2週間以上経ってしまった。間にミュージカルを見てしまったため、ちょっと印象が薄れがち💦 なので全てのシーンについて詳細を記載することは出来ないので、思い出したシーンのみの記載となる。一応、順番通りになっていると思うけれど、記憶違いで入り繰りがあるかもしれない。毎度どうでもいいかと思うけれど、一応断り書きとして入れておく😌
冒頭、狭くごちゃごちゃと人通りの多い道をアブドゥル・カリム(アリ・ファザル)が元気よく走って来るシーンから始まる。このシーンは後のシーンと呼応している。アブドゥルは刑務所?の名簿作成係で、連行されてくる囚人たちの名前を聞き、名簿に書き込む仕事をしている。ただ、機転が利く部分があるのかな? イギリス人の上司から呼び出され、前回女王に献上した品がたいそうお気に召したようだとホメられたりする。どうやらアブドゥルがアドバイスをしたらしい。そんなアブドゥルだからという理由もあるのでしょう、新たに女王に献上する品を運ぶ係に任命される。背が高く見栄えのする人物を探すようにという依頼があったようで、上司はアブドゥルに目を付けたようなのだけど、2人組で行うというその儀式の相方は背の低い人物モハメド(アディール・アクタル)。どうやら、選出された人物が病気になってしまい、急遽代役ということらしいけど、背が低くてもOKならばアブドゥルでなくてもよかったのでは? と、ここは笑うところ。このモハメドには後に悲劇が起きるけれど、2人のコンビはとてもコミカルで楽しく、そして感動の友情物語があったりする。
宮殿に着いた2人は"インド人らしく見える"衣装に着替えさせられる。アブドゥルが献上品(確か小さな金のメダル)を乗せたクッションを持ち、モハメドは何も持っていないが何かを捧げている手の形で続く。女王にメダルを差し出す際には、女王と目を合わせてはいけない。女王の方を向いたまま背中を向けずに下がって来ることという指示を受ける。こういう儀式的なことは厳かで憧れもあるけれど、見方を変えると奇妙ではある。緊張するモハメドをよそに、ワクワクするアブドゥル。実際の2人がどんな感じだったのかは不明だけれど、映画としてこの対比は良かったと思う。かといってモハメドもキッチリ真面目な人物というわけでもない。彼はイヤイヤこの仕事をこなしているわけで、早くインドに帰りたいと常に思っているのだけど、アブドゥルが女王に気に入られてしまったために、大きく運命を変えられることになる。
この日は確かヴィクトリア女王(ジュディ・デンチ)の在位50年を祝う式典だったと思う。高齢の女王は運動不足からか肥満となっている。女王の目覚めの様子が映されるけれど、これがなかなか興味深い。ベッドでイビキをかく女王を女官が起こしに来る。赤ん坊のようにされるがままの女王。その後、女官たちがドレスを着せたり、髪を整えたりしていく。女王は何もしない。これでは肥満になってしまうよね。日々の公務はびっしり詰まっているけれど、おそらくルーティン化していて変化はあまりないのかも。挨拶に来る相手が変わるだけで、儀式の中身自体はたいして変わらないのだろうし。実際のヴィクトリア女王がどうだったのかは分からないけれど、とりあえず今作での女王は日々の公務に飽きてウンザリしているという印象。
式典では豪華な料理が振る舞われるけれど、これにも対して興味があるわけでもなさそう。マナーとして女王が手をつけなければ食べられないし、女王が食べ終わったら食べ終わらなければならない。招待客たちは女王の本能のおもむくままといった食べ方に振り回されることになる。このジュディ・デンチの食べ方が汚い。汚いけど下品ではない。このさじ加減はさすが! この食べ方だけでも女王が式典に飽き飽きしていることが分かる。
さて、いよいよアブドゥルとモハメドの出番。2人はおぼつかないながらも任務をまっとうする。が、好奇心旺盛なアブドゥルはついヴィクトリア女王と目を合わせてしまう。女王の表情は柔らかいものではなかったけれど、どうやらこのインド人たちに興味を引かれた印象。翌日、庭でのお茶会に彼らの出席を求める。女王に呼ばれたアブドゥルは、余計なことをするなという忠告を無視して、女王の足にキスをしてしまう。この時、他にも女王の琴線に触れる話をしていたように思うけれど、内容を覚えていない。当時のインドは大英帝国の植民地だったため、女王はインドの統治者だったわけで、その辺りの話をしていたように思う。女王としては自身が統治しているのにも関わらず、その土地のことを全く知らないので、とても興味を持ったのだということが伝わってくる。この辺り過剰に説明するわけではないのに伝わるの上手い。
すっかりアブドゥルを気に入った女王は、自らの執務室に罰を呼び入れる。最終的には2人きりになりたいと言い出して側近たちを慌てさせる。女王に仕える人々はトータルでは何百人といるのでしょうけれど、映画に主に出てくるのはヘンリー・ポンソンビー(ティム・ピゴット=スミス)ら男性3人(名前を失念💦 Wikipediaでもどの役名だか分からない😣)と、ジェーン・スペンサー(オリヴィア・ウィリアムズ)とハリエット・フィップス(フェネラ・ウーネガー)の女性2人。このうちハリエットは女王の味方というか、割とフラットな考え方をする人で、インド人など認めない!という感じの他の人々とは違っていた。違っているのに、とても損な役回りをさせられることになったりする。まぁ、女王などになったことがないので分からないけれど、常に人にかこまれてプライバシーがなく、さらにこの5人から自分のやることを反対されていたらウンザリもしてくるかも。そんな中で見つけたインド人青年がとても新鮮に映ったんだと思う。
アブドゥルは悪気はないようだけれど、インド人気質なのか自分の生い立ちなどをちょっと盛ってしまう。まぁでも父親は教師だとか、自分の職業をちょっと盛ってしまう程度なので、このくらいのことはしてしまうかも。ただ、彼が言っていることが全く間違っているわけではなくて、インド人は全てヒンドゥ教徒だと思っていた英国側だが、実はアブドゥルはイスラム教徒。そして、彼は女王にインドの言葉や風習などを話して聞かせる。インドは宗教や言語がたくさんある。アブドゥルは最も高貴な言語だというウルドゥー語(Wikipedia)を教える。インドの言語を初めて聞く女王にしてみれば、どの言語でも同じだろうけれど、例えば同じ言語でも階層によって話す言葉遣いなども違ってくるだろうから、この辺りのこもとも興味深い。アブドゥルは高貴な生まれというわけではなさそうだけど、何故ウルドゥー語を知ってたんだろう? チラリと調べた感じだと、イスラム教徒が使う言語ということなのかな?🤔
アブドゥルは物おじしない態度で側近たちにも屈託なく接してしまうため、彼らを戸惑わせる。またヴィクトリア女王の息子であるバーティ皇太子(エディー・イザード)もアブドゥルの重用を苦々しく思っている。でも、女王のアブドゥルに対する信頼は増すばかりで、彼をムンシと呼び常にそばに置くようになる。ムンシというのは師というような意味らしい。アブドゥルは女王の求めに応じてインドについて教える。その中でマンゴーについて言及し、女王が取り寄せさせるも、美しい箱に入れられたそれは腐ってしまっていたエピソードは笑ったけど、本当にあったのかな?🤔
女王はアブドゥルをイタリア旅行にも同行する。寝台列車の個室にもアブドゥルを入れ、隣室のバーティ皇太子をあきれさせる。女王はバーティ皇太子を無能であると思っているし、バーティは女王を目の上のたん瘤と思っているらしい。旅先のフィレンツェではなんとジャコモ・プッチーニ(サイモン・キャロウ)がピアノの弾き語りで新作を披露する場にも女王の横で立ち会い、感動して誰よりも率先して称賛したりする。周りの戸惑いぶりからすると、おそらく上流階級のたしなみとして、もっと上品にホメるのでしょうかね。よく分からないけれど。これは本当にあったことなのかな? まぁ英国女王が旅行に来たのであれば、プッチーニが呼ばれて御前演奏することはあるかもしれない。この辺りまではコミカルに進む。
女王のアブドゥル贔屓はとどまることを知らない。彼に妻がいることが分かると女王は気分を害するけれど、そういうことならば話は違ってくると言い、アブドゥルに妻と義母を呼び寄せさせる。やってきた2人は全身をブルガで覆っていた。2人を迎えるにあたり、女王はアブドゥルに屋敷を与える。この寵愛ぶりには側近たちやバーティ皇太子もあきれるばかり。また、この妻に数年経っても妊娠の気配がないからと、主治医に妻の診察を命じたりもする。ここでも宗教の違いでひと騒動ある。さらに主治医はアブドゥルも検査し、彼が性病であることが判明。これでアブドゥルを追い返せると側近たちと喜ぶも、なんと女王はアブドゥルの治療をするように命じる。アブドゥルの下半身を診察しつつ、なぜ自分がこんな目にと嘆く主治医の姿は笑えるものの、見ている側としてもこの贔屓ぶりはやり過ぎではないかと考えたりもする。
ちょっと順番が分からなくなってしまったのだけど、女王はアブドゥルに役職を与えて、さらにその部下としてモハメドをつける。これがモハメドの悲劇を招く。好奇心旺盛で女王に敬意を持つアブドゥルと違い、モハメドはインドの家族の元に帰りたかった。ちょっとコミカルに見せていたけど、これは彼の本心だったと思う。でも、アブドゥルの従者となってしまったため、彼がインドに帰らない限り、自分も帰れなくなってしまった。実際のモハメドがどう思っていたのか、また彼がインドに来たの理由も本当に代役に選ばれただけなのか不明だけれど、映画のとおりだとするとアブドゥルの友達だったわけでもないのに、彼に巻き込まれて帰れなくなるなんてかわいそう😢
側近たちはなんとかアブドゥルの粗探しをしようとモハメドを誘惑しようとする。この頃モハメドはかなり体調が悪く、もしかしたら死を覚悟したのか、アブドゥルを決して裏切ることはなかった。アブドゥルに野心などないと言うのではなく、あなたたち同様に野心があると言う。こう言われるとぐうの音も出ない。このアディール・アクタルの演技は鬼気迫るものがあった。結局モハメドはインドに帰ることなく亡くなってしまう。英国に埋葬されたそうで、ラストでお墓が映っていたと思う。かわいそう😢
女王のインド贔屓も増すばかりで、宮殿内にもインド部屋を作らせたり、アブドゥル主演でインドの芝居を上演させたりもする。もちろん広間で簡単なセットでの芝居だけれど、逆にそのプライベートさが側近やバーティ皇太子に危機感を募らせることとなる。たしかこの芝居の途中で、アブドゥルが出自について嘘をついていたことを側近が暴露したと思う。父親は教師であると話していたが、それは嘘で実際は身分が低いことが分かる。実際のアブドゥルが女王のムンシとなった経緯が分からないのだけど、、映画のとおりだとすると、まさかアブドゥルとしてもこんな展開になるとは思わなかっただろうから、あの場では自分の出自について盛ってしまっても仕方がないかも。もちろんいいことだとは思わないし、きちんと話す人もいるだろうけれど、アブドゥルがそういうノリの人だから女王の心を掴んでしまったとも言えるのかも。それが良いか悪いかは別として😌
しかし、女王もこれには激怒。女王としては出自が賤しいかどうかということよりも、信頼を裏切られたということの方が腹立たしかったのではないかと思う。直ぐにインドに帰るようにアブドゥルに告げる。しかし、アブドゥルが心から謝罪し、女王はこれを受け入れる。そして、バーティ皇太子たちの行動に怒り、アブドゥルにナイトの称号を与えると言い出してしまう。うーん。確かに側近たちやバーティの野心や保身が丸見えで、まったく信用できないということもあるのでしょうけれど、さすがにこれはやり過ぎなんじゃ。まぁ、ナイトの称号が大英帝国において何を意味して、どんな影響力があるのかよく分かっていないのだけどサーと呼ばれる身分になるということだからね。現在では人種などに差別はないのでしょうけれど、当時としてはスキャンダルだったかもしれない。見ている側としては、その辺りもし実現していたらスゴイことだとも思うけれど、実際のアブドゥルの働きが映画のとおりだとすると、やっぱりこれはやり過ぎと思う。それによってインドの統治が上手く行ったというわけでもなく、女王の視野が広がったというだけでは、女王の身勝手に思えてしまう。その辺りはあえてそう描いているのかなとも思う。
ソールズベリー首相 (マイケル・ガンボン)の要請などもあり、側近たちはなんとか思いとどまらせようと話し合う。女王の近くに仕える2人の女性がいるけれども、ジェーン・スペンサーは側近たちよりでハリエット・フィップスは女王よりな考え方。女王よりというよりも進歩的といえるのかもしれない。ナイトの称号授与に関しても女王の意向だからと1人だけ積極的ではないものの、受け入れる姿勢を取っている。なのに、誰が進言するのだと押し問答になった挙句、ハリエットが押し付けられてるの笑った。彼女はとっても怯えていたので、とってもストレートに伝えてしまい、女王を激怒させてしまうけれど、女王自身もさすがにまずいと思ったのか、勲章を与えるだけにとどめることにする。ハリエットは頑張ったけど、主張が強いくせに矢面に立たない人ってどこの国でもいるんだね。ところで、ジェーン・スペンサーはダイアナ妃の実家のスペンサー家の方?
さて、アブドゥルがイギリスに来てから時が経った。チラリと在位60年という言葉が出ていたと思うので、10年は経ったということなのかな。この辺りの時間経過はちょっと分かりにくかった気もする。女王は死の床についていた。側近たちが寄り添う中、アブドゥルと2人きりになりたいと言う女王。セリフ自体は忘れてしまったけれど、2人の会話からは同志というようなつながりを感じた。実際の女王がアブドゥルにどういう感情を持っていたのかは不明だけれど、"友情"とかそいう単純な一言で表せるものではないのだろうなと思ったりする。師でもあり、守るべき臣下でもあり、友人であり、息子であり、そして恋人でもあったのかもしれない。生臭い意味ではなく。そんなことを考えていたら泣いていた😭 ジュディ・デンチの演技が素晴らしく、人が死んでいくってこういうことなのだなと思ったりもしていた。
女王崩御によりバーティ皇太子が英国王となった。バーティ皇太子は直ちにアブドゥルを追い出す。男たちが家に乗り込んできて彼らを追い出し、家の中を破壊していく。実際にこんな風だったのかは不明だけど、長年女王と確執のあったバーティ王の様々な負の感情が全てアブドゥルに向けられた形なのかなと思ったりした。バーティ王をいい人とは言い難く思ってしまうけれど、でも頭に来たからやった的な単純なものでもないのかなとも思ったり。しかし、ここまでやる必要があるのかなとも思った😒
映画を見ながらずっと思っていたことがある。アブドゥルの妻や義母はこの全ての状況をどう思っていたのだろう。当時の移動手段などを考えても数ヶ月で戻って来ると思っていたアブドゥルは何年経っても帰ってこない。その間、連絡を取っていたのかもしれないけれど、アブドゥルとしては妻よりも女王のそばにいることを選んだわけだからね。もちろん、生臭い意味ではないし、簡単に辞退できるものでもないのは分かるけれど。そして、今度は突然イギリスに呼ばれ、大きな屋敷に住むことになる。彼女たちが屋敷でどういう生活をしていたのかは分からないけれど、ブルガをまとった彼女たちにとって不都合もいろいろあったと思う。まぁ、生活習慣はそのうち慣れるだろうし、好みの問題はあるけど大きくて豪華な家に暮らしているわけだから、不満はないのかもしれないけれど。でも、たまに描かれる彼女たちは常に受け身。そして、文化の違いで笑いを取る場面に出てくる感じ。バカにしている感じはしないから、別にそれはいいし、メインはアブドゥルと女王についてなので、こちらを掘り下げる必要はないのだけど、誰も彼女たちの気持ちを気遣っている様子がないのが気になった。そして、当時の時代背景やイスラム教徒であることを考えると、おそらく彼女たちの扱いはこんな感じなんだろうなとドンヨリした気持ちになったことは記しておく😌
シーン変わって冒頭と同じインドの狭い路地。冒頭では走り抜けたアブドゥルの足取りは重い。彼はタージ・マハルへやって来る。そういえば女王にタージ・マハルのことを話していたことを思い出す。どうやらここには女王の像があるらしい。かなり大きい。アブドゥルはそっと女王の足にキスをする。
映画はここで終わり。アブドゥルが1905年に亡くなったこと、21世紀になって初めてアブドゥルの日記の存在が公開されたことなどがクレジットされる。日記の存在を知らなかったのか、知っていて伏せていたのか? なんとなく後者に受け取ったのだけどどうなんだろう🤔
思っていたよりコミカルだったけれど、決して軽いタッチというわけではなかったと思う。全体をとおして感じたことは、女王というのは大変だなということ。そして、ヴィクトリア女王であっても、ままならぬこともあるし、もてあます感情もあるのだなということ。そいう部分をアブドゥルのおおらかな感じが救ったのかなと思ったりもする。
キャスとは皆良かったけれど、側近などでも知っている俳優が少なかった。ジュディ・デンチ以外ではマイケル・ガンボンくらいしか知らないかも。そんなマイケル・ガンボンも数シーンしか出演していないし。医師を含めた側近3人組は良かったし、女性2人も良かった。特に特徴的な顔立ちのフェネラ・ウーネガーが良かった。バーティ皇太子のエディー・イザードも良かったと思う。無能な皇太子というだけではない感じが受け取れた。モハメドのアディール・アクタルが良かった。最初は家に帰りたいと愚痴るのがコミカルな感じだったのに、最終的には悲壮感が漂った。アブドゥルを裏切らなかったシーンの演技が良かった。ティム・ピゴット=スミスは亡くなってしまったようで、エンドクレジットで献辞がされていた。
アブドゥルのアリ・ファザルが良かった。イギリスの特に王室では非常識とされていることも、彼の純粋で真っ直ぐな行動が女王の心を動かしてしまう感じ。でも、ちゃっかりと出自を盛っちゃう感じ。日本人の自分としては、大丈夫なのかとドキドキしてしまうような行動も、イライラすることなくカワイイと思えたのはアリ・ファザルのおかげ。そしてさすがのジュディ・デンチの存在感。ヴィクトリア女王を演じるのは2度目とのこと。実際のヴィクトリア女王がどうだったのかは知らないけれど、食べ方などかなり豪快。でも下品な感じはしない。アブドゥルのことに関しては、女王のわがままである部分はやっぱり大きいと思う。もちろん、統治者としてインドを知ろうと思った部分もあるだろうけれど。でも、そのわがままさを時にそのままわがままに見せつつ、でもそこには女王の孤独や寂しさを感じさせ、最終的に強さを感じさせる。さすが!
アカデミー賞ノミネートの衣装が素敵。若い女性が出てこなかったので、ドレスで美を競うということがなく、実際のヴィクトリア女王も夫であるアルバート公を亡くしてから喪服しか着なかったので、常に黒いドレス。なので華やかな衣装というわけではないのだけど、やはり全体的に品があった。バッキンガム宮殿が舞台という設定ではなかったようだけれど、室内の装飾が豪華。でもゴチャゴチャした感じがなく落ち着いているのは英国ならではなのかな。
現在、ヒューマントラストシネマ有楽町でも上映中。コスチュームプレイ好きな方、宮廷もの好きな方オススメ。ジュディ・デンチ好きな方是非!
『ヴィクトリア女王 最期の秘密』公式サイト