2018.06.22 『ワンダー 君は太陽』鑑賞@TOHOシネマズ錦糸町
見たいと思って試写会応募したけどハズレ💦 前評判も良かったので是非見たいと思って、ちょうど溜まっていたのでポイント鑑賞。18:05~と時間ギリギリだったけど、急いで見に行ってきた~
ネタバレありです! 結末にも触れています!
「人と違った見た目で生まれたオギー。今まで27回の手術を受け自宅学習してきた。10歳になったことをきっかけに、両親は私立の小学校へ編入を決める。好奇の目を向けられることを心配するオギーだったが・・・」という感じのあらすじは、ほんの導入部。これ良い意味で想像を裏切られる作品だった。特定のシーンで号泣するとかではなく、気づいたら泣いているという感じで、見ている間に何度も泣いてしまう。いわゆる難病ものだけど、決してそこだけに焦点を当てるのではなく、描いているのは普遍的なもの。誰にでも共感できる作品だと思う。
スティーヴン・チョボスキー監督作品。監督作品としては『ウォールフラワー』を見ていて、好きな作品だった。今作でも脚本も書いているけど、脚本としては『レント』と、昨年度マイベスト作品の『美女と野獣』(感想はコチラ)を見ている。『ウォールフラワー』でも脚本担当しているので、好きな脚本家であることは間違いないらしい。
作品について毎度のWikipediaから引用しておく。『ワンダー 君は太陽』(ワンダー きみはたいよう、Wonder)は2017年のアメリカ映画。監督はスティーブン・チョボスキー、主演はジュリア・ロバーツが務めた。本作はR・J・パラシオが2012年に発表した小説『ワンダー』を原作としている。
2012年11月27日、ライオンズゲートがマンデヴィル・フィルムズと共同でR・J・パラシオの小説『ワンダー Wonder』の映画化を進めており、ジョン・オーガストが脚色作業に起用される見込みだと報じられた。2013年5月8日、降板したオーガストの代わりにジャック・ソーンが脚色を行うことになったとの報道があった。2014年10月、ジョン・クロキダスが監督に起用されたと報じられた。2015年4月、クロキダスが降板したことを受けて、製作サイドは新たにポール・キングを監督に起用した。
2016年4月14日、ジェイコブ・トレンブレイの出演が決まった。5月5日、スティーブン・チョボスキーが監督に起用されたこととジュリア・ロバーツの出演が決まったことが報じられた。6月27日、オーウェン・ウィルソンが本作に出演するとの報道があった。7月11日、新人子役のノア・ジュペが主人公の親友役を演じることになったと報じられた。15日、ダヴィード・ディグスの出演が決まった。8月19日、ソニア・ブラガが本作に出演することになったと報じられた。
当初の予定では、本作は2017年4月7日に全米公開されることになっていた。2017年2月13日、試写会での反応が予想以上に良かったことを受けて、ライオンズゲートは本作の全米公開日を同年11月17日に延期すると発表した。第90回アカデミー賞をはじめとする賞レース参戦を念頭に置いた延期であった。
本作は『ジャスティス・リーグ』及び『The Star』と同じ週に公開され、公開初週末に900万ドル前後を稼ぎ出すと予想されているたが、実際の数字はその3倍のものになった。2017年11月17日、本作は全米3096館で封切られ、公開初週末に2754万ドルを稼ぎ出し、週末興行収入ランキング初登場2位となった。
本作は批評家から絶賛されている。映画批評集積サイトのRotten Tomatoesには157件のレビューがあり、批評家支持率は85%、平均点は10点満点で7点となっている。サイト側による批評家の見解の要約は「『ワンダー 君は太陽』は原作小説の感傷から距離を取った作品ではない。しかし、上質の演技と愛嬌に裏打ちされたドラマは観客の心の琴線に触れる。」となっている。また、Metacriticには33件のレビューがあり、加重平均値は66/100となっている。なお、本作のシネマスコアはA+となっている。このように観客・批評家の双方から高評価された本作だが、オーガストと同じような障害を抱える当事者からは「障害者が直面している過酷な現実を無視している」「感動ポルノだ」という批判の声が上がっている。本作は第90回アカデミー賞のメイクアップ&ヘアスタイリング賞にノミネートされている。
とのこと。うーん。感動ポルノという意見もあるのか~😣 確かに正直、一部を除いて登場人物たちは皆いい人で、最後もちょっとやり過ぎか?と思うくらいキレイに終わる。でも、描きたいのは無視していると言われている"障害者が直面している過酷な現実"ではないからなんじゃないかな? もちろん、そこも描きたいと思っているとは思うけれど、もっと普遍的な部分というか🤔
さて、今作の主人公であるオギーは、トリーチャーコリンズ症候群の少年。ということで、このトリーチャーコリンズ症候群についても、Wikipeidaから少し引用しておこうと思う。トリーチャー・コリンズ症候群(トリーチャー・コリンズしょうこうぐん、Treacher-Collins syndrome:TCS)は頬骨の欠如等:577の顎顔面形態の不調和が特徴的な症状として見られる疾患で、常染色体優性先天性疾患の中でも稀有な例の一つである。別名トリーチャー・コリンズ・フランチェスケッティ症候群(Treacher-Collins–Franceschetti syndrome)や下顎顔面異骨症ともいう。平均して10,000人あたり1人の新生児に見られ、多くのケースでは遺伝子疾患が指摘されている。この疾患により現れる症状の典型として、下に垂れ下がった目、下顎短小症、伝音難聴、頬骨の不形成、下眼瞼側面下垂、耳の奇形化または不形成が見られる。
トリーチャー・コリンズ症候群の原因は遺伝子の突然変異である。トリーチャー・コリンズ症候群と関連する遺伝子として現在TCOF1という遺伝子が唯一知られている。しかしながら幾つかの例では、同症状を持ちながらもTCOF1の遺伝子変異は確認されていない。だが90~95%の症例ではTCOF1の遺伝子変異が確認されている。 DNA検査ではTCOF1で見つかった変異の種類が特定されており、変異の種類の大多数は遺伝子欠失または遺伝子挿入のどちらかだが、スプライシングやミスセンス突然変異も確認されている。変異の分析により、TCOF1に関して、病気に関連する100種類以上の変異が明らかになり、多くが系統特異的変異であった。一つの反復突然変異だけで事例の約17%を占めている。
とのことで、オギーのジェイコブ・トレンブレイくんは特殊メイクで演じているのだけど、このメイクは27回の手術を経た姿。映画ではオギー誕生シーンも登場するけれど、顔は映されないので手術前がどんな状態なのかは分からない。遺伝子が原因であることについても言及があるけれど、症状等につてい詳しく語られることはない。でも、描きたいのは病気についてではないし、闘病についてでもないので、その辺りはサラリとした感じで良かったと思う。
今作の主人公はオギーで、当然ながら彼を中心に話は進むのだけど、彼を取り巻く人物たち目線で描かれるシークエンスがいくつか差し込まれる。その際には、それぞれの目線の人々が主役で、オギーの日常とは関係ない部分も描かれたりするし、独立していて一応の結論が出たりもするのだけど、全体的な流れの一部になっているので、混乱してしまうこともなかったし、それで興味が逸れてしまうこともなかった。どうやって記事書こうかと思ったのだけど、とりあえず映画の順番どおり書いていこうかなと思う。
それぞれのシークエンスは、【オギー】、【ヴィア】、【ミランダ】、【ジャック】。それぞれが、オギーの日常の大きな流れの中に入ってくるという感じ。【オギー】のシークエンスが始まったのは、オギーの初登校の日だったと思うのだけど、もしかしたら転入準備のために、登校した日からだったかもしれない。ちょっとよく分からなくなってしまったので、転入準備は別だったと仮定して書いておく。あと、またまた見てから時間が経ってしまったので、順番などがあいまいになってしまったし、便宜上順番を入れ替えて書いたりしていることを、断り書きとして書いておく。
オーガスト・プルマン(ジェイコブ・トレンブレイ)はトリーチャーコリンズ症候群のため、27回の手術を受けた。そのため、学校には通わず母親のイザベル(ジュリア・ロバーツ)による自宅学習を受けてきた。父親のネート(オーウェン・ウィルソン)は心配しているが、イザベルはなるべく早く学校に通わせたいと考え、私立学校に転入を決める。この父親と母親の感じはとってもよく分かる。どちらも子供を愛していることは同じなのだけど、父親は"今"を見て母親は"未来"を見ている。その違い。
学校では転入準備ということで、3人の生徒がオギーに校内を案内する機会を設けてくれる。先生に選ばれたという3人は、ジュリアン(ブライス・ガイザー)、芸能活動をしているという少女(役名を失念😣💦)、そしてジャック・ウィル(ノア・ジュプ)。初対面の相手は靴を見れば分かるがオギーの持論。それによると、ジュリアンと少女は金持ち。ジャック・ウィルは貧乏。後に分かるけれどジャックは母子家庭で、奨学金を受けているのだった。
とにかく少女の個性がすごくて、ジュリアンだったかに少し黙ってくれと言われるくらい自分語りを繰り広げる。のだけど、この子の見せ場はここのみ。他のシーンにも登場していたかもしれないけれど、忘れてしまった。なので、この少女については割愛。映画を通じて重要なのはジャック・ウィルとジュリアン。ジュリアンは一見優等生という感じなのだけど、意識してそう振る舞っているのが分かるし、チクチクとオギーに嫌な質問をぶつけてくる。それが無邪気を装っているのでイヤらしい。ブライス・ガイザーくんが上手い。オギーに間違いを指摘されると、本性をのぞかせる。
一方のジャックは最初は面倒くさいという気持ちを必死で抑えているように見えたけれど、ジュリアンの嫌味な質問などにそういうことは止めろと言ってくれたりする。演じるノア・ジュプくんどこかで見たことあると思ったら『サバービコン』の子だった。きれいな瞳が印象的で、これが後にとっても生きてくる。
プルマン家は4人家族。両親と姉がいる。姉については後に本人目線のシークエンスがあるので、その時に詳しく。周囲の人の目線で描かれる部分があるというのは知っていたので、てっきり両親、少なくともジュリア・ロバーツの母親目線はあるのかと思った。具体的に何を目指していたのか提示があったか忘れたけれど、論文を書いたりして夢に向かって進んでいたところ、妊娠して中断ということだったし、オギーの27回の手術とか、自宅学習とか母親目線から感動的に語ることはできたと思うけれど、それはしていない。本人目線があったのは子供たちだけだった。個人的にはそれが良かったと思っている。
障害がある子がいると、その子中心に家庭が回っていくことになるとは思うのだけど、プルマン家の中心は母親イザベルだと思う。前述したとおり、いわゆる具体的な苦労部分は描かれていないけれど、常にオギーのことを気にかけている様子で、明るく強くいようと思っている感じ、とにかく頑張っている姿が嫌みなく描かれていた。このジュリア・ロバーツの演技はスゴイ。父のネートはそのイザベルをサポートして、子供たちに気を配る。でも、子供たちが求め、傷つくのは母親ゆえだったりするんだよね。どうしても、こういう作品の場合母親>父親になるのは仕方ない。
【オギー】
まずは、オギー目線から。なのだけど、オギーの場合は主人公なので、どこまでがオギーのシークエンスなのかわかりにくい。なので、ここまでかなという感じでまとめておく。出産シーンから始まったと思う。ネートも立ち会っての出産は新人医師が担当でドタバタ💦 そんな空気もオギーの産声が聞こえてきて一転する。医師が驚愕の表情を浮かべ、次にネートも。不安で泣きそうなイザベルをよそに、看護婦がオギーを抱いて連れて行ってしまう。オギーの姿は一切映らないけれど、スローモーションで映し出されるその映像で状況は分かる。これは辛い。
オギーとしては、やはり初めて自分を見る人々が驚いていることはショックだと語る。でも、驚くのは仕方ないとも思っている。チューバッカが校庭に居たら、やっぱり自分も驚いて見てしまうから。そう語るとチューバッカが映像に現れる。この感じが重い話をちょっとポップな感じにしている。ただ、こういう感じが苦手な人もいるかもしれない。自分は好きだった😌 そうそう、オギーはスタウォーズが大好きでかなり詳しい。それが後のエピソードの伏線にもなっている。
クラスではオギーに話しかける子はおらず、ランチも誰も一緒に食べてくれない。口の悪い子たちはペストがうつるなどと言ったりする。子どもはストレートだから辛い。体育の授業では皆にボールをぶつけられる。酷い話だけど、コミカルとはいかないまでも、軽いタッチで描いているのでズッシリ重くなり過ぎずに見れる。オギー頑張れ!と応援しながら見ている。辛い1日を過ごしたオギーが、両親に学校は楽しかったと話すのが切ない😢 こうまでして行かなきゃダメなのかと思ったりもする。でも、いつまでも両親と一緒にいられるわけではないしね。
【ヴィア】
姉のヴィアの視点は割と早めに出てきた。オギーが学校に通い始めてから直ぐだったと思う。ヴィアは高校生だよね? オギーとは少し年が離れている印象。オギーをとても気遣ってかわいがっている。事実、このヴィア目線のシークエンスでも弟のことは大好きだというセリフがある。でも、やっぱり複雑な思いを抱えている。
幼い頃から手がかからない子だと言われてきたヴィアは、障害を持って生まれた弟に両親、特に母親がかかりきりになることを受け入れつつも、さびしい思いをしてきた。自分で"手のかからない子"を演じてきたことも自覚している。自分が長子だから分かるけれど、下の子が生まれた時点で、自分は"姉"になってしまうわけで、その瞬間から下の子の面倒を見るという役割が割り当てられてしまう。イヤ、面倒を見なくても親に手を掛けさせないという役割を暗黙の了解で強要される部分はある。子育てをしたことがないのでエラそうなことは言えないけれど、甥っ子1号2号の成長を見ていた身としては、下の子ばかりにかかりきりになっているわけではないことは、自分の目線でも確認したし、今現在手がかかる方に注意が向くのは当然だと分かったし、上の子には自分でできるようになって欲しいという思いも理解できた。でも、それは当の子供には辛い現実。昨日まで自分に向いていた視線が、急に別の対象に向いてしまうのだから。
それでも、"普通"の子であれば下の子が大きくなっていくにつれ、状況も変わってくるかもしれない。でも、ヴィアの場合は何度も繰り返される手術への付き添い、自宅学習などで母親を弟に独占されてきた。その度、我慢して自分を押し殺してきた経緯がある。もちろん、弟の状況も理解できているし、弟のことも愛しているのだけど。その感じはとても伝わってきた。ちょっと熱く語ってしまった😅
ヴィアには幼い頃から仲の良い親友ミランダがいた。そのミランダの様子が夏休み明けからおかしい。自分を避けている様子。ヴィアはかわいいけれど優等生タイプで、あまり目立つ方ではない。いつも行動を共にしている親友がいると、他の友達が出来にくい側面もあってか、1人きりになってしまう。ミランダの気持ちが分からず悲しい思いをしている時、何気なく演劇サークルのポスターを見ていると、ジャスティン(ナジ・ジーター)という黒人青年が話しかけてくる。
ジャスティンはとっても前向きでノリのよいところはあるけれど、基本は真面目で良い青年。彼の後押しでヴィアは演劇サークルに加わることにする。そこにはミランダもいた。ミランダは相変わらずヴィアを無視していて辛いけれど、ヴィアは逃げないことにした。それはジャスティンの存在が大きい。屈託なく話しかけてくるジャスティンについ一人っ子だと言ってしまったけれど、彼との仲が深まるにつれ、ヴィアはオギーのことを打ち明け、そしてオギーに会せる決心をする。
ジャスティンに説明する形でオギーの病気のことがサラリと語られる。トリーチャーコリンズ症候群という病名は出てこなかったと思うけれど、2つの遺伝子が悪さをすること、両親がそれぞれを持っていること、もしかしたら自分もオギーと同じ症状で生まれたかもしれないこと。病気そのものや闘病を描きたいわけではないので、このくらいの情報量で見ている側としてはOK。
ジャスティンはオギーを見て少し驚いたようではあるけれど、大人の対応を見せる。驚かれることに慣れているオギーはジャスティンに普通に接する。2人は打ち解ける。例えば、ジャスティンがオギーの兄のような存在として描くこともできるかもしれないけれど、そうはなっていず、あくまでヴィアの恋人という描き方だった。まぁ複雑になるからそれでOK。
さて、オギーに話は戻る。ある日理科のテスト中、オギーは隣の席のジャックが苦戦していることに気づく。そこで、こっそり自分の解答を見せてあげることにする。ジャックはお礼を言いながら1人でランチしているオギーの向かいの席に座る。その日から2人は仲良くなる。友達になるきっかけはオギーがほんの少し勇気を出したからだけど、それはやっぱり学校を案内してくれたあの時、ジャックが自分をからかうジュリアンに意見してくれたことが大きかったんだと思う。2人が並んで校門で待つイザベルのもとに来た時、思わず涙ぐむイザベルにもらい泣き😢
2人はそれから毎日ランチを一緒にして、放課後もオギーの家に遊びに来たりと仲良くなっていく。2人がスターウォーズやゲームが好きであることも大きかった。2人の少年が屈託なく、"普通"の友達どうしとして遊ぶ姿は微笑ましい。でも、悲劇が訪れる。学校でハロウィンパーティーが開かれた際、ジャックを驚かせようとしたオギーは、事前に伝えていたスターウォーズのキャラではない仮装をしていた。これ『スクリーム』だったっけ? ジャックのいる教室に向かったオギーは、ジャックがジュリアンたちに自分がオギーの顔だったら自殺していると語っているのを聞いてしまう。これはショックだ。ジュリアンが言っていたなら嫌な思いはしても、ショックではないはず。でも、ジャックに言われてしまうと、それは自分に対する裏切りなので。
見ている側はジャックはジュリアンたちに話を合わせたのではないかと思ったりもするのだけど、本当のところは分からない。まして、オギーには分かるはずもない。意地悪でクラスのリーダー格のジュリアンが、あえてショックを与えるために、ジャックに仲良くする振りをしろと言っているのかもしれない。変に勘ぐってしまう。ショックのあまり家に帰って来てしまったオギーを、自分もミランダのことで辛い思いをしているヴィアが、仮装して出かけようと誘うのは泣けた😢
翌日、普通に接して来るジャックを避けるオギー。ランチも同席しようとするジャックを拒絶する。ジャックはショックを受けた表情をしていて、見ている側にはそれは嘘がないように思える。ジャックはつい話を合わせてしまっただけなのかもしれない。だとしたら切ない。でも、一度発してしまった言葉は取り消せない。
サマーが登場してくるのはもう少し後だったっけ? ちょっと順番が分からなくなってしまったのでここで書いてしまう。ジャックを遠ざけたことにより、再び1人になってしまったオギー。そんな彼に注目している黒人の女子生徒がいた。数人の女子生徒たちとランチしていたサマーは、他の子たちが口々に(アジア系の子が特に)オギーに対して辛辣な言葉を言う中、彼女は加わらなかった。そして、突如として席を立ち、オギーの向かいに移動する。同情ならばいらないというオギーに、同情ではないとカラリと言う。強い女の子。
後にオギーがいじめを受けているのではないかと気付いたアフリカ系のブラウン先生(ダヴィード・ディグス)が、大丈夫かとオギーに声を掛けてくる。何かあったら力になると。今作の中で、オギーやヴィラに自分の方から声を掛けてくれるのは非白人系の人ばかりだったのだけど、これは何か意図があったのかな? 同じマイノリティーってことなのかしら? 深読みか?
【ミランダ】
突然、ミランダがオギーを訪ねて来る。オギーに会いに来たと言うけれど、ヴィラがどんな様子か尋ねる。ミランダは美人だけど、ヴィラと一緒に写っている写真などでは、派手な印象はなかったのに、サマーキャンプ明けでは、髪にピンクのメッシュを入れたり、化粧も派手になっていた。他の友達と一緒にヴィラを見下しているような態度を取っているように見えたけれど、何故ヴィラを気にしているのか、そしてどこか寂しそうなのか。
たしかオギーに対して語るような一人語りだったと思うけれど、ミランダはサマーキャンプで何があったのか語る。ミランダの両親は離婚しており、母親はミランダを顧みる余裕がなかった。一人っ子のミランダはいつもさびしい思いをしていた。そんな時参加したサマーキャンプで、つい障害のある弟がいると嘘をついてしまった。明らかにプルマン家を想定して語った様子。その反応を期待したわけではないだろうけれど、これが思いの外話題となり、人気者になってしまったらしい。人気者になりたかったわけでも、チヤホヤされて気持ち良かったわけでもないようだけれど、別人になったことが楽しかったらしい。
ヴィラを避けた理由はハッキリと語られなかったけれど、要するに罪悪感ということなのかな? この心理は分からなくはないけど、あんな態度を取ることはないんじゃないかというくらい、好戦的だったし見下した感じだったのは、ミスリードを狙ってのことなのかな? とにかく、実際はお互いを思いやっているプルマン家が、自分にとっても居心地のよい場所であったということを再認識したということらしい。
ミランダのエピソードは必要なのか?という気がしなくもないけど、彼女がオギーに語ったことが、友達関係をオギーに考えさせることにつながっているのかなと思う。そう考えると、よく考えられているなと思う。
さて、オギーとジャックは相変わらずの状態。そんな中、2人1組になって自由研究をすることになる。これってオギーがジャックを避けている時だったよね? 確か、オギーが先生に1人でやりたいと言うけれど、ジャックが2人でやると主張したような。実際の研究発表の時点では仲直りしていたような気もするけれど、イヤ2人のカメラオブスキュラが好評を得た反面、ジュリアンたちが大失敗してしまった腹いせに、ジュリアンのオギーに対する嫌がらせが激化したからケンカ中か?
とにかく、ジュリアンのプライドをいたく傷つけてしまった為、それ以来オギーに対する嫌がらせが激化する。オギーを揶揄した絵を通りすがりに置いて行ったりする。前述の先生が心配してくれるくだりはこの頃。そして、事件が起きる。クラス全員が写った写真を加工して、オギーだけ消したものをオギーのロッカーに貼ったのだった。ヒドイ。これに激しく反応した人物がいた。ジャックがジュリアンに殴りかかったのだった。
【ジャック】
ジャックは母子家庭で、オギーが靴を見て判断したように決して裕福でない。なので、私立である学校には奨学金を得て通っているらしい。そういうこともあり、ジャックは優等生でいる必要があるのかもしれないけれど、ジャックの母親は正しい人になって欲しいと思っている様子。校長に選ばれたオギーの校内案内を面倒がっているジャックに、あることを思い出させる。それは、アイスクリームショップにいたオギーを見かけた時のこと。
このエピソードって詳しく語られたっけ? ちょっと忘れてしまったのだけど、このエピソードこそ原作者が今作を書くきっかけ。アイスクリームショップに、顔に障害のある女の子が母親と来ていて、原作者の3歳の娘は、その姿を見て泣き出してしまったのだそう。原作者は少しパニックになったのかもしれない、慌てて娘を少女から引き離した。女の子の母親は静かに少女を連れて出て行ってしまったのだそう。その後、原作者はあの時どういう行動を取るべきだったのか考え、女の子のお母さんに話しかけるべきだったと思ったのだそう。そして、この物語を書いた。なるほど考えさせられる。
初めは母親に言われてオギーに優しく接しようとしていたジャックだけれど、オギーと友達になって、彼を知るにつれ、オギーが大好きになった。ずっとオギーと一緒に居たいと思っていた。そんな時、オギーの態度が急に変わってしまって、悲しく思っていた。これは切ない。
ジャックはサマーに何故オギーが冷たくするのか聞いてみる。するとサマーは、ハロウィンの日のことだとヒントをくれる。これあのキャラクターの名前を言っていた気がするけど失念💦 これ以上は言えないと、詳細を避けるサマーは本当にいい子。そしてジャックはあの日、自分がジュリアンたちに言ったこと、そしてそれをオギーが聞いてしまったことを悟る。
ジャックの部分はここまでで、この回想シーンからジュリアンを殴ったシーンに戻る。その後、詳しくは描かれないけれど、どうやらジャックは自宅謹慎になったらしい。ゲームの名前が分からないのだけど、オンラインゲームらしきものにログインし、オギーと思われるアイコンンに話しかけるジャック。ごめんねと謝る。オギーはそれを受け入れる。何故、ジャックがあの時あんなことを言ってしまったのかは、語られないし、前後の会話も描かれていないので分からない。でも、とにかく本心で言ったわけではなかったということ。それについてはオギーに本当に自殺するの?って聞かれていたような気もする。でも、お互いそれを責めているのではないことは分かっている感じ。2人は再び友達になる。
一方のジュリアンは、両親とともに校長室に呼び出されていた。両親に証拠として例の写真を提示するも、2人は一切非を認めない。そもそも、あんな子を入学させているのが悪いのだという論調。父親もそうだけれど、特に母親が酷い。ウチは多額の寄付をしているのだからと半ば脅迫めいたことも言う。でも、トゥシュマン校長先生(マンディ・パティンキン)は屈しない。オギーは見た目を変えることは出来ない、だから自分たちの見る目を変えるしかない。この言葉はジャックの心に響いたらしい。彼は何かを感じ始めている。でも、両親には響かない。彼を退学させると言って、嫌がるジュリアンを連れて出て行ってしまう。ヤレヤレ😫 ジュリアンの不幸はこの毒親か。ジュリアンの視点もあるかと思ったけれどなし。どうやら原作にはジュリアン目線の続編があるらしい。ちょっと気になる。
えーと。ヴィアの演劇とオギーのサマーキャンプはどっちが先だったっけ? ホントに覚えてない。とりあえず、ヴィアのエピソードから書いておく。ヴィアは演劇クラブで裏方に徹するつもりだったけれど、ジャスティンの後押しで主役に立候補する。結果、主役はミランダでヴィアは代役ということになる。代役なので当然セリフは入っている。公演当日、プルマン家がそろって見に来ているのを見かけたミランダは、仮病を使ってヴィアに主役を譲ってくれる。ヴィアあ見事に演じ切り喝采を浴びる。まさかのヴィア登場に驚いていた両親も大喜び。イザベルは涙を流して娘を讃えた。ミランダとも仲直り。
オギーの物語と考えれば、このヴィアのエピソードはいらないわけだけど、これはヴィアとミランダのシークエンスのオチなわけだから必要。そしてこれは群像劇なんだということが分かる。
一方、オギーはサマーキャンプに出かける。これは学校の行事だったのかな? よく分からない🤔 ジャックたちとともに楽しく過ごす。皆で映画を見る時間、ジャックがオギーを抜け出そうと誘う。それを見ていたジュリアンの友人たちが後を追う。また嫌がらせをするのか? すると、上級生3人が現れてオギーをからかい始める。ジュリアンが必死に守る。そこにジュリアンの友達たちが現れて、上級生たちに立ち向かう。そして、皆で逃げる。上級生たちがオギーたちの後をつけて行くのを見て、助けに来てくれたのだった。ヤダ急にいい子😲
学年末、学校の講堂には生徒と保護者達。もちろんオギーの両親もいる。毎年、優秀な生徒を表彰しているようだけれど、今回選ばれたのはオギー。勇気をもって一歩を踏み出し、皆に受け入れられたということが評価されたらしい。確かにオギーの勇気と忍耐はすごいと思う。でも、ジャックの勇気や優しさも讃えて欲しかったなと思ったりする。ジャックと友達になれたこともオギーの魅力ということだと思うけど、あの日ジュリアンたちが見つめる中、オギーとランチした勇気と正しさは讃えてあげたい。映画は、オギーが壇上に登り、皆がそれを讃えているシーンで終わる。その中にはジュリアンの姿もあった。完璧なハッピーエンド。
そうそう、オギーの手が離れたイザベルは、論文を完成させる。これどこかに提出して評価を得たんだっけ?忘れてしまった。オギーのために心身ともに捧げてきたイザベル。難病がテーマだったりすると、どうしても母親がクローズアップされがちではあって、今作のイザベルはとても魅力的な人だった。確かに、オギーに比重を置きすぎて、ヴィアにさびしい思いをさせてしまっている部分はあるけれど、完璧でない部分も含めて魅力的。
でも、その陰に隠れて父親のネートもしっかり子供たちをサポートしている。今回一番泣いたセリフは、ネートからオギーに発せられた一言だった。オギーは以前、人目を嫌ってヘルメットをかぶって外出していたのだけど、オギーに克服して欲しいネートは、ヘルメットを会社に持って行ってしまっていたのだった。そのことをオギーに話すと、何故そんなことをしたのかと聞かれる。そして、息子の顔を見ていたいからだと答える。泣いたーーー!。・゚・(ノД`)・゚・。 オギーをどんなに大切に思っているか、全てを受け入れて愛していることが伝わって来る。前述の校長先生の自分たちの見る目を変えなくてはというセリフもそうだけれど、とても大切なことを、押し付けがましくなく感動的なセリフとして見せていて、とても良かった。
キャストはみな良かった。ヴィアのイザベラ・ヴィドヴィッチやミランダのダニエル・ローズ・ラッセルなども思春期女子特有の悩みを的確に表現していたと思う。ジャックのノラ・ジュプくんも良かった。とにかく瞳がキレイで、その瞳が雄弁。オギーをとても傷つけてしまったと知った時の表情が良かった。ジャックがオギーの支えという描き方はしていないこともあるけど、お互いが好きだから一緒にいるという対等の友達という感じが伝わってきた。
大人たちの演技も良かった。校長先生のマンディ・パティンキンは登場シーンは決して多くはないけれど、とても正しい目で子供たちを見ていることが伝わってきた。自分たちの見る目を変えるのだとう一言はしみた。ネートのオーウェン・ウィルソンも良かった! あえて明るく軽めに振る舞おうとしているというか、明るくいようと思っている感じ。前述したとおり、こういった作品の場合、どうしても母親>父親という比重になりがちで、今作もその傾向にある。その辺りを踏まえての演技になっていたと思う。決して出しゃばらないけど、しっかりと支えているというような。
イザベルのジュリア・ロバーツが素晴らしい。ジュリア・ロバーツが母親を演じる場合、きれいでカッコイイお母さんでもいいわけだけど、本当に普通のお母さんになっていた。自分の夢をあきらめて子供たち、特にオギーのために生きてきたわけだけど、それを犠牲とは思っていない。いつも一生懸命。失敗もするけれど、それすら魅力的。化粧っ気のない姿が美しい。
そして、オギーのジェイコブ・トレンブレイくんがスゴイ! 『ルーム』の時も上手いと思ったけれど、今回は特殊メイクを施しての演技で表情がつけにくい。でも、小さな体全体で不安、悲しみ、そして喜びを表現していた。
顔に障害のある少年の話だというのは知っていたので、てっきり闘病や学校生活の困難さなどが描かれるのかと思っていた。確かに、オギーにはハッキリと分かる障害があるし、事実手術によって就学が遅れたわけだから、難病モノではあるけれど、学校に通い出してからのオギーの悩みは、特別障害が原因というわけではなく普遍的なもの。友人に裏切られることは姉のヴィラにも起こっている。決して特別ではない。そういうことが押し付けがましくなく伝わってきた。感動ポルノと感じる人もいるようだけれど、個人的にはこれでもかというくらいハッピーエンドなのにあざとさは感じなかった。とにかく、泣きっぱなし。どこかのシーンで号泣してしまうのではなく、ある一言とか、ある行動とかがじんわりしみて来て、気づくと泣いているという感じ。
自分の好みかは別として、プルマン家の内装とか、カントリー調というか、どこかポップな感じで良かった。プルマン家の温かさが感じられる。これはミランダの家のスタイリッシュだけど無機質な感じと対比となっている。その感じが、作品全体にどこかポップさを与えていて、本当は重いテーマなのに、重さを感じずに見ることができる。
見てから時間が経ってしまったけど、まだ上映している劇場はあるかな? これは是非是非見て欲しい! 特に、オギーやヴィラの世代の子供たちと、その親世代が見ると、いろいろ感じる部分があるんじゃないかなと思う。まぁ、出木過ぎだったりもするのだけれど。オーウェン・ウィルソン好きな方オススメ。ジュリア・ロバーツ、ジェイコブ・トレンブレイくん好きな方必見です!