父が一時期ひどく衰弱していたことを知らされた。
義姉が献身的に看護してくれたこと、医者を変えたこと・・・周りの人に支えられて助けられた。本当にありがたい。遠く離れた娘はほとんど何もしてあげられないね。
『男親はね、娘を待っているんだよ』と、知人に諭され、滞在を二日ほど延ばした。そんな私の気持ちが通じたのか・・ゆっくり二人で話した。
兄の家族がいるときにはにぎやかに父を真ん中におしゃべりをしたり、食事をしたりした。兄を見送った後は、とたんに空気が静かになったように感じた。残ってよかった・・と心から思った。
父は若い頃から、つまり私が幼い頃から、家族に演説をしていた。私たち家族はいつも父の話の聞き役だった。もちろん幼い頃は、聞き役だと思っていたわけではない。ありがたい訓示を聞くといった感じだったろうか。幸いなことに??毎日ではなかったから、よかった。そう、父は家に毎日帰っては来なかった。
母が長く入院していたときもたまに帰ってきたが、毎日ではなかった。罪滅ぼしのように・・・?・・・ありえないような大きなチョコレートがお土産だった。だから、私はいつもクラスで一番虫歯が多かった。
遠足で靴を買ってきて欲しいと頼むと・・・運動靴でといわれているのに・・・見事な黒いビロードの靴を買ってきた。真っ赤なリボンがついていた。私はそれを見たとたん、がっくりきた。どうしよう・・。泣きそうだった。それを見ていた父が、がっかりしていたのを思い出す。
ピアノを買ってあげてください と、私のピアノを聞いていた小学校の先生から、父に直談判があったらしい。(兄から聞いた。本人には言わないと家族で決めたらしい。理由は・・本人がいい気になっては困るから・・)いきなりグランドピアノを注文してきた。母がアップライトに変更したらしい。私は何も知らなかった。ある日突然ピアノがあった。あの嬉しさは忘れられない。
一時が万事こんな父。ずーっと話を聞きながら、体脂肪と筋肉の関係を思い出していた。バランスが大事。筋肉が多いと脂肪が減り、脂肪が増えると筋肉が減るらしい。合いの手を入れる娘に、お前はどう?と聞くこともない。
ただただ、一方的に自分の事を話す。限界に達して、席をはずす。外にでて、星を見る。ワインを持って、星を見ていた。
二回目に限界が来たときには、兄が電話をくれた。ちょうど今、耐えれなくなって、席を外したというと・・・父もその親から演説を聞いて大きくなったのだろう・・と、いう。そうかもしれないと思った。祖父も間違いなくそういう人だったのだろう。
何度目かの演説で、私の話が初めて出た。お前が生まれてから自分は変わったという父。父親が放蕩者でも、極道でも、息子は生きていく。でも、おなごの子はそうはいかん。○○が生まれてから、自分は変わった と。
ふーん。そうなんだ。娘ってそういうものなんだ。
色々な複雑な思いも感じないではなかったが、それでも、父といてほのぼのと温かい気持ちになれたのも、事実だ。私にとって、父の存在に変われる人はいない。
いつまでも私のために、元気でいて欲しいと願っている。
また、演説を聴くからね。一人きりの聴衆だもんね。でも、ワインくらいは必要かな・・・。
娘が一番自分に似ていることにまだ気付かないの?
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます