海外で暮らす日本人達は、グループでまとまることがある。期間限定、企業の駐在員家庭などは、その暮らしの安全を保つために、日常生活の細部までもが、企業のお世話になることが多いからだ。例えば、病気になった時など、慣れないうちは通訳が必要だし、ニュースを聞いても理解できない間は、発砲事件がおきて、犯人が逃走中!という緊急性を持ったニュースは、電話網で連絡が廻ることになる。実際そういうこともあった。
他方、囲まれた生活の中で蔓延するのが、うわさ話。ありとあらゆる話が出回る。私のことを、アシアナ航空のスッチーだったと聞いたときには、空いた口がふさがらなかった。はああ!?????そりゃ、韓国ドラマは好きだし、それ以前から、2002年のワールドカップで通訳したいなどど、韓国語を習ったけど、喋れるわけでもないしねえ。これじゃあ、火の無いところからでもボヤがでるなあと思ったりもした。
ある友人が、噂話がいい加減に伝わることを体感しようと思って、伝言ゲームをやってみました。と、言っていた。その発想の面白さ。そして、それをやってしまうところに感心してしまった。案の定の結果だったらしい。
しかし、私は最近ちょっと見方が変わってきた。というのは、伝言という行為より以前に、物事に対する、感じ方、考え方が、ひとりひとり違うということ。同じ場に居合わせて、同じものを見ていたとしても、それをドウ捉えるかはまったく違っている。だから、それを他の人に話した場合、それぞれが違う伝え方をすることになってしまう。また、聞いたことを伝えるにしても、あらかじめインプットされている情報が違うと、その上にかぶさってくる新情報も、色が様々に混ざり合うように、違ったものになってしまうのではないか・・・・・と。
どうして、そんな風に伝わるのかしらね・・・・と言う前に、どう思った?と聞いてみる必要があるかなあ。でも、きっと風の流れは変わらない・・・・かも。
物事が伝わるのに言葉ってとっても大切ですが 受け取る側は 言葉以外の要素で物事理解してしまう事多いですよね。。話す人の表情とか 話題となっている人に対する先入観とか。。 自分の力の及ばないところで話が始まってしまうと お手上げです。人間は罪深いものです。あきらめて笑い飛ばしてしまいましょう!!