恩師が亡くなっていた。Education の インストラクター。
厳しくて、要求することは多く、そして質の高さも要求され、いつも頭を抱えていた。でも、私は放り出さなかった。何かなあ、その魅力は。授業での彼の情熱に引っ張られていったような感じだろうか。
授業中に突然パフォーマンスを要求されるころがあった。え?とほとんど気持ちはアウトだった。英語でアメリカ人のようなパフォーマンスが日本人に、それも私にできるわけがないと思った。でも、強面の彼に、にっこりされると、やらざるを得なかった。
アメリカ人もやめていく中で、私はやっとBをもらい単位を取った。その後で、また彼のインターンシップの授業をとったのだから、ほんと自分でもよほど惹かれるものがあったのだろう。生徒二人。信じられなかった。
ほとんどがマンツーマンで内容の濃い授業になった。インターンシップのレジュメを書いたときは、児童文学の先生の特別のアドバイスで、魅力的な自分をアピールするレジュメ作りにトライした。出来上がったレジュメを彼はとても評価してくれた。その後も、ほかの学生のレジュメ作りのアイディアを聞かれたりした。日本に帰ってからもお願いされたので、よほど私のレジュメを好んでくれたのだろう。
思い出がたくさん去来する。
英語でメールを書きたくない・・・それだけで、コンタクトを取らなかった。後悔してもしきれない。
大学の名簿に先生の名前がないので、問い合わせてわかった。私のUSヒストリーの先生にメールを書いた。彼女が知らせてくれた。
彼のoffice があった A building がSeverin Building となり、彼の名前を冠した奨学金が、成績上位者に与えられることになったという、情報も彼女からもらった。
今日は悲しくてどうしようもない。彼が、私にくれたDREAM CATCHER が我が家の窓から私を見下ろしている。
Kellogg Community College loses long-time instructor
Bruin Staff
Steve Severin, long time sociology and education instructor at KCC, passed away at his home on Friday, September 19.
Mr. Severin taught at KCC for thirty years, founding a teacher mentoring program and
SEAL-E, a student leadership program. He served as Faculty Association President and was a Kellogg Fellow.
Mr. Severin held degrees from Central Michigan University and Western Michigan University. He is survived by his fiancé, Patricia Tomasik; his son, Mityah Severin; his daughter, Sion (Steve) Curtis; his mother, Dorothy Severin; his sister, Lee (Fernando) Severin; his grandchildren, Terek and Brayden Curtis; and his niece, Analee (Matt) Fry.
A memorial and celebration of Mr. Severin’s life will be held on Friday, October 10, at 6 pm, in the Kellogg Community College Student Center. In lieu of flowers, contributions can be made to the Kellogg Faculty Association Scholarship Fund.
More extensive coverage of the life and career of Steve
Severin is planned for the
November issue of the Bruin.
たしか先住民の飾りでしたよね。
師がmarimaさんに残してくれたもの
いっぱいありそうですね。
師のご冥福をお祈りします。
本当にたくさんの話をしてyou are supecial と言われました。生徒冥利につきますね。先生になりなさい、君の資質はとても先生に向いているとも言われました。
今まで本当にたくさんのことを話したかったし、何か問題があると彼ともうひとりの先生シャロンに心のなかで話しかけていました。
どうして、こんなに悲しいことばかりがあるのか、自分でも理解できません。日本へ遊びに来る、我が家へ、私に会いに来ると言ったのに。
いつでもメールできると思っていたのに、それができないとわかって、自分のあほさ加減にいつも気づきます。
でも、冗談抜きで、そういう年頃になってきましたね。人生のアンラッキーが早まるかどうかは、神様しか知らないからね。
でも、彼のお陰で、彼の命日近くに毎年毎年高校時代の仲間が集まります。彼がみんなの接着剤になってくれています。
今年7月、あれから30年になります。今年は野沢温泉「さかや」旅館です。いやと言うほど飲めそうな旅館名です。
去年は雨でしたか? なんか、長いお付き合いですよね。
でも、それでもやはり、やっぱり会いたいなあと思うときがあるでしょう?
触れられない、そこにいないという感じが本当に悲しいと思うときがあります。