ヘルパーさんが週に2回私の身の回りの世話をしてくれるようになっった。
娘から「ヘルパーさんはお手伝いさんでは無いので思い付きで色々用事を
頼んではいけないよ」と注意されている。
初めてヘルパーさんと面談した時のこと
Q「今日は何曜日でしょうか?!」
といきなり爆弾質問をされた。
そう運転免許証更新の講習の際に問われたあの認知度テストの質問だと咄嗟にひらめいたから
「日曜日ですよ、私には毎日が日曜日ですわ」とはぐらかしたら
「まあー羨ましい」と相手も笑顔になって
テストは合格。
ヘルパーさんは私の入浴の手伝い、部屋の中の掃除、洗い物を手際よく片付けると少しお座りになる。
この休息の短い時間が私の楽しみ、親交を深めるチャンスである。
私は冠婚葬祭に類する話や、お金儲けの話には縁がないので
専ら食べる話と小旅行を話題にするのだが、
殆どの女性、おばさんもこの方面の知識は豊富だから話が盛り上がる。
時々熱が入りすぎてヘルパーさんが慌ててお帰りになることもあるが、
私にとっては一日の中で初めて人とお話しする貴重な時間である。
もうすぐ2時だヘルパーさんが来るぞ。今日はどの人かな 楽しみー
正月はヘルパーさんがお休みだから私もブログを休みます。皆様よいお年を・・・
お わ り
年の初めに中国・福建省に旅行した。「温暖な気候です避寒におすすめ」という
キャッチフレーズに誘われ出かけたものの、ずーと雨で底冷えが続いて肺炎を土産に
持ち帰り入院した。2週間くらい過ぎて熱が下がると「不治の病」と追い出される
ように退院、その後は自宅療養して小康状態が続いた。
5月は旅行ずくめだった。始めは広島、「お好み焼き横丁」で食べたお好み焼きの
美味さが忘れられない。宮島、呉にも行った。
中旬は東京方面へ。国技館、上野公園、葛飾柴又、東京国立演芸場、横須賀港へ。
湾内クルーズで米国空母「エンタープライズ」の偉容を見た。
移動中初めて杖を使って歩いた。この頃肺気腫が進行したのか呼吸は苦しく重症の
予感がした。
下旬はギリシャへ。旅友・ミーコさんと一緒に参加した。
〈 ギリシャ四景 〉
メテイオラ修道院の入口の急坂で今まで経験したことのないような呼吸困難に
陥り立ち往生した。ミーコさんに励まされ支えられて危機を脱した。今も当事
の苦しさと風景の絶景が忘れられない。
8月末まで体調はまずまずだった。9月に入りさあゴルフと思える日に再び
肺炎が再発、春に続く入院にはいよいよ「お迎えが来たなと」と思った。
ところが私は医師も驚く驚異的な回復で冥土行きを踏みとどまった。
「ボンベを常時携行すべし」という条件がついて退院、現在に至っている。
今年も年を越せる目処がついた。嬉しく有り難いことである。
お わ り
〈娘とお茶を〉
娘が買い物に誘ってくれたので一緒に出掛けた。
先ずスタバへ。久し振りにエスプレッソが飲みたいし、
入院中から励ましてくれた多くのスタッフの皆さんに元気な顔を見せたかった。
店の入口の列に並びひょいと後ろを見ると滅多に珈琲を飲まない娘も並んでいる。
此所に入るのは初めてのはず。
どうやら私がスタバの噂をするので自分でも覗いてみる気になったらしい。
女性スタッフは相変わらず美人揃い。
お嬢さんスタッフ、若奥さん風スタッフ、おばさんスタッフとそれぞれ目が合うと
「あら和尚さんお元気そうで・・・」と祝ってくれた。
お目当ての「笑顔のお母さん」とも再会出来た。
彼女は最初少し微笑んだがすぐ真顔になった。
3ヶ月前、普通だった私が今、酸素ボンベを曳き、
鼻チューブで呼吸する姿を目の当たりにして言葉を失っているように私にはみえた。
スタバを出てショッピングモールの中を歩く。
ボンベを載せた台車が邪魔で歩き難い。娘が店を変えようと言ってくれてほっとした。
私は自分が身体障害者であることを改めて実感した。
お わ り
今日は街へ、約2ヶ月ぶりに自分で運転して出掛けた。
さかのぼって、明日は退院という日、
娘は私に「危ないから車の運転をしないで」と言いだし、
居合わせた看護師さんも娘に加勢したものである。
察するに「お父さんはもう80才だし、そろそろ」と言われているのだ。
女性陣の勢いに私が挫けそうになっているとき応援してくれたのが主治医で
「近くに行くだけなら構わないでしょう」と
助け船を出してくれて私の運転寿命が伸びた。
そういった経緯があっての今日のドライブである。
真っ先に床屋に向かった。
退院以来ずっと髪は伸びほうだいのボサボサ頭だったからさっぱりしたかった。
正月も近いしねー
地元の床屋に入る。
通いなれた店だと椅子に座るだけで「何時もどおり?」と聞かれ、
私がうんと頷くだけで通じるのだが初めての店ではそうはいかない。
髪の少ない頭に「分けますか?」「カットは何れくらい」「ビンの長さは?」と聞いてくる。
床屋も商売だから客の注文を聞くのは当然とはいえ、
一々答えるのが面倒くさい 。
それに初老のおやじさんの手が微かに震えているのも心配だったが無難に済んだ。
次回は別の床屋にしよう。
本日も平穏なり
原始仏典の一節であり、仏陀の慈悲の心として広く知られるようになった。
『いつくしみ』
一切の生きとし生けるものは幸福であれ 安穏であれ
一切の生きとし生けるものは幸せであれ
何びとも他人を欺いてはならない
たといどこにあっても 他人を軽んじてはならない
互いに苦痛を与えることを望んではならない
この慈しみのこころずかいをしっかりと保て・・・
今から2500年昔のゴータマ・ブッタ(しゃか)の教えであり、仏陀の慈悲
の心として知られるようになった。仏教が戦う事なく世界中に広まった
理由が分かる気がする。
教えは判りやすく明解であるが、行うことの最も難しい難問である
お わ り