午前の早い時間に娘が迎えに来た。今日からリハビリに行くことになって
いるが、私の気分はまだ冬籠もり中で些か気が重い。
先方の担当者と娘が話すのを横で聞く。どうやら打ち合わせた内容に食い
違いがあり、今日は打ち合わせだけに終わった。帰りがけに先方は健康器具を
動かしても構わないと言って呉れたが断った。
「逆らわず~従わず」というのが後期高齢者の健康の秘訣のような気がする。
相手の話は「ふんふん」と聞くだけ聞いて耳の痛いことや都合の悪いことは「忘れ
たふりボケたふり」でやり過ごすのである。これは昔から爺さん婆さんに許された
特技のようなものである。
ただし、余り名演が過ぎるとヒッチコックの映画の主人公のようにどちらが本当の
自分なのかわからなくなるかも。
今日の昼は宅配弁当を断ってあるので「やっさん」から頂いた切り餅を食べる。
〈やっさんお手製の切り餅〉
彼とは暫く会って居ないが時々野菜等も届けてくれる。いつもありがとう。
今日はヘルパーさんも来ないし他の予定もなし大相撲中継も終わったから
ながーい午後になりそうだ。
本日も平穏なり
今月から訪問看護師さんととヘルパーさんのお世話になっている。
他にも厳めしい肩書きの女性がおみえになるが
私は顔もお名前も覚えきれないでいる。
大勢の女性の中で特に嬉しいのがホームペルパーのN子さんだ。
彼女は私が風呂に入っている間に部屋やトイレ等の清掃をしながら時々
「和尚さん大丈夫ですか?」と何度も声を掛けてくる。
身障者の私が風呂の中で転倒しているのではと気遣っているのだ。
彼女としては出来れば私と一緒に風呂に入り安全を見届けていたいようだが
私はそれは恥ずかしいから風呂の中で「まだ大丈夫だよ」と返事をする。
それにしてもヘルパーさん達の掃除を進める早さ、手際の良さには目を見張るばかり、
まさにプロの技だ。
お陰さまで家の中はすっかり整頓が行き届いて
これ迄の薄汚れた部屋がまるで他人様のお宅に居るように綺麗になった。
彼女達は仕事を済ませると決まって日誌を付けるが、
この瞬間から私のお喋りのスイッチが入る。
私は女性を前にするとどういうわけかお喋りになる。
話に夢中になっている内に彼女の「もうこんな時間」の一言でお喋りタイムが終わる。
私は今日も少ししゃべり過ぎたかなと自嘲の思いを込めて
「どうもありがとう」を言い彼女を見送るのである。
明日は何方が来るのかな?!我が家の女性の出入りは暫く続きそうである。
お わ り
私は酸素ボンベの酸素を年中吸い付けていないと
「あんたはおわり」と宣告されてもおかしくないくらい呼吸器系が弱っている。
昨年までの「明日はゴルフかそれとも旅行にしようか」といった
遊び三昧に過ごし日々が懐かしい。
今や部屋の中では酸素発生機が作る人工酸素をチューブで鼻に運び
空気の酸素の不足分を補っている。
チューブの長さが私の行動範囲だから私が動くとチューブも足元にまとわりついて煩わしい。
就寝中は更に憂鬱である。寝返りをうってチューブを押さえたりすると、
酸素発生機が突然「チューブが折れているよ」警告音を出す。
それは大音量といって良く私は何時も飛び起きている。
私の寝相が悪いせいだろう、再三チューブを身体の下にして同じ失敗をする。
私は一度目が覚めるともう朝を待つしかない。
ここだけの話、人工酸素を吸うことを止めたからといって即死というわけではない。
私はこっそり鼻からチューブを外して、自分の力で空気を吸う。
呼吸は多少息苦しくはなるが長椅子に寝そべり安静にしていれば命に別状は
ない。束の間の解放感を味わうのだ。
しかし、娘やヘルパーさんなど、
私の介護に尽力して呉れる人の前ではチューブを外してはいけない・・・
筈が時々外れている処を見つかり、叱られもする。
酸素は無味無臭だしチューブは軽いから言われるまで自分では気が付きにくいのである。
おわり
〈私の常食 配達弁当〉
去年の暮れに新しい弁当屋に替わった。3軒目である。今度の店は昼と夜も
一日2食配達してくれるし、正月を除いて年中無休、しかも毎食味噌汁付きである。
病み上がりの私が無闇に台所に立たなくて済むようにと娘が選んでくれた店である。
そんなわけで私が台所に立つときはお茶を淹れるときか弁当の空箱を洗う時位で
ある。
ところが毎日昼も夜も弁当を食べていると私の好物を食べる暇が無いことに気が
付いた。お腹はいつも弁当が占有しているので寿司やハンバーグを入れる場所が
ないのである。
そこで考えた。弁当を摂らない日を作れば良いのだと。どうしてこんな単純な
名案を今まで思い付かなかったのか我ながら不可解であるが、遂に先日弁当屋に
通告した。『土曜日は弁当の配達はお断りします』と。
今日は待望の土曜日である。弁当の来ない日である。私は朝から何を食べようかと
少しワクワクしながら考えている。
お わ り
昨年暮れ 社会福祉協議会より「シクラメン」と「おせち料理」を小学生の書いた
年賀状に添えて贈られて来た。
子供さんの年賀状は微笑ましいし嬉しいが「おせち」には正直当惑している。
わが家の分は既に買い置いてあるので、テーブルの上は満艦飾になった。
夕飯は身内が集まり、すき焼きをつつきながら一年ぶりの再会と無事安寧を確かめ
合うのも長年の習わしだ。今年は孫の卒業・就職が一番の話題で息子達はお祝い
のお捻りを孫に手渡していた。私は娘から「布団乾燥機」を贈られた。
・・・という次第で私の2019年も先ずは順調な船出である。
皆さまにとっても良いお年でありますように。
白隠和尚