白隠和尚のブログ

今日より明日が幸せでありますように。好奇心旺盛な70代のブログ。

パキスタンの映画 『 娘 よ 』

2017-05-27 17:59:09 | 映画の感想


その若い母親は夫が敵対する部族長との和解策として10才になった自分の娘を妻として差し出すことに決めた事を知り、娘を連れて家を出るところから映画は始まる。

母と子は面子を汚されたと猛り狂う山岳部族の厳しい追及を逃れて宛てもなくカラコルム山系の原野をさ迷う。映画は粗野で人を人とも思わぬ男達と追われる母子の恐怖の表情の対比によって、部族の掟の緊迫感を観客に伝わる。

途中で母と子は長距離トラックの荷台に身を隠すものの直ぐに運転手に見つかってしまうが、母親の命を賭けて娘を守ろうとする決意に運転手は次第に心を打たれ母子を祖母の住む都会まで乗せて行くと約束。
トラックの運転席という密室に二人になったイスラム教徒の人妻の戸惑いと安堵の表情がまた見事な演出だった。
目的の地に着き母親と娘は祖母と落ち合うことが出来たものの、その後に悲しい結末が待っていた。・・・

映画は殆どがロケ地で撮影されたようである。8000m級の山々を背景に厳しい自然環境の中で暮らす山岳部族の人々の生活(携帯電話は使われている)がパキスタン独特の高地の風景と溶け合い美しく、場面が変わる度に風景画を見ているように感じた。

演出も押さえたもの、シナリオも社会的テーマを扱っている割にはセリフが強調されたり大声で叫んだりがなく、それが却ってリアリティーを出すのに成功していると思った。私は些か褒めすぎを自戒しつつも、最後まで時間を忘れて映画に見いった次第である。
監督はパキスタンの女性でアメリカの大学で映画の勉強しながらこの映画の構想を10年間温めていたという。

私はパキスタンと聞くとイスラム教の戒律の厳しい国、タリバンの国、
そしてノーベル平和賞を受賞した少女マララさんの母国といった程度であったが、この映画を見てマララさんが銃撃された背景が少し理解出来た。

エンディングで監督は「国民に宜しく、国家に宜しく」と字幕を流した。パキスタンの女性の未来を誰に託そうとしたのだろうか。


お わ り


昨日は大吉 今日は中吉

2017-05-22 09:28:49 | 日記




昨日の燕の雛達は巣の外にはみ出していたので、もしや思っていたら案の定、
昼には四羽共に巣だった。
親が抱卵に入ったのが三月の半ばだったから雛は僅か7.80日で一人立ちしたことになる。
人間が自分で食べられるようになるまでの長さに比べて
燕の成長の早さに驚くばかりであるが、それだけに彼等の一生は短いのだ。

待望の保険金が口座に振り込まれた。
しかも予想より高額だったので早速友人を誘って鰻を食べた。
鰻を口にしたのは何ヵ月振りか、兎に角美味かった。
友は礼の言葉に付けて私の生えたての髭が似合っていると言った。
世辞と分かっていても誉められると悪い気はしない。




今朝は真面目に散歩するつもりで家を出たのに結果は20分でギブアップ。
息が切れて苦しい、おまけに歩く歩幅も狭くなっているし、
姿勢も前屈み勝ちだ。病み上がりのせいか年のせいと考えたくないが
ゴルフが次第に遠ざかっていくようで少し寂しい。

娘が来たのでガスコンロを卓上型の電気コンロに買い替える相談をした。
現在は電気コンロのことをIH調理器と言うらしい。
家電店を見て回ったが私の希望するスイッチをON・OFFするだけで
煮炊きの出来る簡単操作の電気コンロは見当たらない。

どのコンロも「取り扱い説明書」を片手に使う多機能タイプばかり、
それに使い方を誤ると結構危ないらしい。
ついでに鍋釜もIH対応型でないと使えないという。
我が家の台所には使わない鍋が沢山あるというのに。
勢いに任せて電気コンロを1台買っては見たものの、
なにやら新しい難問を自らしょい込んだみたいな気がする。

ともあれ保険金のお陰でちょっとした贅沢と買い物が出来た。これで
肺炎の厄落としをしたつもりである。

車中、まだ正午だというのに気温は既に29℃、
車窓から吹き込む生暖かい風に夏を感じた。
娘は別れ際に「暑いときは早めにクーラーを付けてね」と言って帰っていった。


お わ り


"真央ちゃん" が好き

2017-05-18 16:40:33 | 日記

浅田真央さん(以下親愛の情を込めてあの娘)が引退をしたので私は少し寂しい。
私はスケートは出来ないし、あの娘の艶姿をスケートリンクの上で実際に見たこともないが、
あの娘がテレビに映るようになってからズーっと長い間応援してきたファンの一人である。

あの娘がリンク上で失敗して転んでも「次があるよ」と慰め、
レポーターに執拗に食い下がられて困惑している場面では
「弱いものいじめするな」とテレビの前で吠えて一緒になって悲しんだ。

彼女の表情はいつも明るく天真爛漫、屈託がないのが魅力で
全国のアイドルになったが、それがあだで悪い連中に利用されたり、
騙されるのではないかと心配だ。
案の定というか、既に一部にあの娘の妊娠説を流布して人気を貶めようとする連中もいるようだ。

彼女の魅力は何と言ってもあの黒い瞳の美しさにあると思う。
リンク上であの娘が祈るように天を仰ぎつつ両の手を差しのべる時、
睫毛に何故か光の小さな粒が光り眸の美しさを際立たせるのだ。

また、演技に入る前にリンクの上でカーリングの選手のようにキツと
正面を見つめるときの凛々しい眼差しも素敵だった。

黒い瞳は東洋系を祖先に人達であろうか。西洋の名画に描かれる女性は
大体が茶か碧か灰色で黒い瞳の白人女性の肖像画を見たことがない。

もし、西欧の例えばダービットとかラファエロといった巨匠達が真央ちゃんを描いたら
どんな名画を残したであろうかと想像するだけで楽しくなる。

あの娘が我が身内であったら、あの娘が「アイスが食べたい」言えば
私は良いよと言い「可愛いお人形が欲しい」というなら躊躇なく買って上げるよ。

県知事は県民栄誉賞を創設してあの娘に贈呈すると言った。
悪くはないが、あの引退会見の超加熱振りは今年の十大ニュースものである。

もっと大きな賞を、官房長官殿、なんとか地元の夢を叶えて頂けませんか。


お わ り


闘病の証し

2017-05-14 14:20:02 | 日記

朝靄が薄暗く立ち込める内からもうカエルが鳴き出した。
今年は去年より喧しく聞こえる。ストーブで暖房用の灯油の残りを燃やす。
これが最近の日課になった。何だか部屋の中で焚き火をしている気分だ。

今朝は退院以来久し振りに散歩に出る。
腰の足の付け根辺りに違和感があり、膝に弛んだ感じがして不快だ。
いつもの道を行くと「地元車両優先道路」の看板が新しく立っている。
稲田にも水が入り早苗の植え終わった田も見える。季節は初夏に入ったか、
少し疲れてきたので早々に帰宅。ゴルフの再開はまだ先だと思い知った。

数日前から寝椅子に横になると尻に痛みを感じるところが出来た。
指で触ると腫れ物が出来ているのが分かる。
此所が何かに触れると痛むのだ。原因は思い当たらないが、
娘に話したら「床擦れ」と一笑された。そうかも、何もせず一日過ごしているから
床擦れが出来ても不思議でないか、取り敢えず痒み止め軟膏を塗って様子を見る事にする。

退院したら闘病の記憶として髭を生やそうときめていた。
年々顔の老化も進むのでこの機会に髭で顔も隠しておこうと言う計算も入っている。

髭の似合った俳優で思い出すのは口髭のクラーク・ゲーブルが筆頭だろう。
日本人では「赤髭」の三船敏郎が格好良かった。
今は米国俳優のジョージ・クルーニー かベッカムかな。
この二人の髭が私の憧れなのだが、彼等の豊かさに比べて私の髭の何と貧弱なことか。
まるで公園の片隅の雑草の如く、肖像画に描かれた豊臣秀吉なみに質量共に貧弱だ。

己の髭に文句を言いつつも買い置いたバリカンを当てる。
鏡を見つめ、もし刈り損じでもしたらといつになく真剣になった。
時間はかかったが顎の下に「ぼた餅」程の髭の塊を3mmの長さで 仕上げた。
この3mmは目立ちすぎず且つ少しだけ髭だよと自己主張するための私の苦心の長さである。

今日から私も髭男の仲間入りだ。
この髭を見て喫茶店の女の子は何と言ってくれるかな。
「和尚さん素敵」はいかにも嘘っぽいし「和尚さん今日は剃り残しがありますね」何て言われては惨めすぎる。

午後の喫茶店行きが楽しみだ。

お わ り


"肺炎との闘い" 思わぬ告知 (最終章)

2017-05-10 07:54:19 | 病気の話

主治医は私を退院させるにあたって私の肺炎を次のように説明した。
「和尚の肺炎はまだ直っていない。大方の菌は死滅したが抗生剤の効かない菌が少し居残っている。
この残存菌を完全に叩いておかないと何かのきっかけで再び炎症を引き起こす恐れがあるので、
ここは自宅で体を休め連休明けから治療を再開しよう」と、
ここまではぼんやり聞いていたが次の一言が私を驚かせた。

主治医は私の肺に「何か」が見える、それは小さいのでまだ識別出来ないとさらりといった。
「何か」とはそう、日本人の死亡原因の第一に挙げられる癌の疑いがあると言うことだった。
もし、癌であれば和尚の肺はボロボロだから手術は出来ないとも言われた。
このような告知をされて平静でいられようか、
癌はお金持ちか賢い人の患う病気であると常々信じている私には青天の霹靂、
癌と決まったわけでもないのに狼狽えた。果たしてCTスキャンに映る肺の異物の正体は何物だろう?
来月の再検査でそれの成長が認められれば万事休すである。

さらにもう一つ、今度は肝臓の出口の胆菅の辺りに不鮮明な有るらしいと画像を見せられた。
どうも石でないらしいが、石でないとすると正体は何か、
これも放置して置けないというので今週末に再検査を受けることになった。
私の心配は三つに増えた。

娘曰く、「検査を受ける度に種々見つかって退屈しないね」同感である。
長年使い込んできた老人の体を探せば誰でも病気の一つや二つは見付かるような気がする。

私は心に決めていることがある。
どんな病を患っても入院治療だけはごめん被りたい。
酸素チューブを付けて点滴チューブを終日繋がれて無機質な病室に押し込められて、
そして終末は・・・私は最後の時は畳の上がいい。
まだ重病と決まったわけでもないのに、私は再検査の結果が心配である。

ブロガーの皆さん「我が闘病記」はこの稿をもって終ります。有形無形のご声援に感謝します。

白隠和尚