前作の山田周太郎に続けてこのドキュメンタリー番組を観た。
俳優・杉村春子が親しい友人と交わしたハガキや手紙から、
素顔の杉村春子に迫ろうという企画のようだったが、記憶に残るものは殆ど無かった。
ただ、大女優杉村春子と親しい女性達は著名人ではなくて
何処ででも見かけそうな人種だったのがやや意外だった。
私は若い頃から新劇フアンだった。
妻と初デートで観た映画もローレンス・オリビエのハムレットだった。
当時は新劇やクラシック音楽は高尚な趣味とされ、
女性の覚えも良かったので私は一生懸命教養の吸収に努めた。
その後、妻は私に「倒産する心配の無い会社に勤める人だから嫁になった」と言った。
杉村春子が所属する文学座公演もよく行った。彼女はその当時から高いソプラノだった。
一番自慢したい思い出はモスクワ芸術座公演を名古屋市公会堂で観たこと、
演目はチェーホフの「三人姉妹」だったと思う。
台詞は原語(ロシア語)だったから、
ロシア語の出来ない私は文庫本を持参して舞台の進行を照らしながら観劇した。
当時の月給は12000円、入場料は9000円位だった筈、ずーと遠い昔の思い出である。
最近観た舞台は数年前に奈良岡朋子と仲代達也の二枚看板が
専用バスで隣町の公民館で公演した時だ。
演目は[ドライビング・Missデイジー]
映画では名優モーガン・フリーマンが老いた運転手を演じた戯曲だ。
この舞台で仲代は老運転手を演じたのだが、
彼は疲れが溜まっていたのか精彩を欠き、台詞を追うのが精一杯という感じだった。
一方の奈良岡朋子は鍛え上げた演技で堂々として威厳があり、見事な舞台だった。
朝からパソコンは再び動かなくないから一日が長く感じる。
正月には息子が帰ってくから相談して見よう。
本日も平穏なり
今朝もパソコンは囲碁対局中にエンストした。
再接続を待っている間に持ち時間が過ぎて負けた。
パソコンに物を投げつけて壊してやりたい気分だ。
気を取り直して再戦、局面が中盤の難所にかかった頃、
玄関に人の気配がしたので出てみると、ゴルフ友達W氏の細君がわざわざ餅を持ってきて下さった。
撞きたての餅でまだほんのり温かい。
形は不揃いで可笑しいがこれが我が地元のおおらかさ、
味は美味しいので有り難く頂戴した。立ち話の間に囲碁の対局中であることを失念し、
又もや時間切れ負け。
午後外出。明かりを消してエアコン、膝掛け毛布にテレビとパソコン、
加湿器のスイッチを切り、灯油ストーブを消すと漸く出陣出来る。毎日の事だが煩わしい限りである。
スタバに入ると何時もの女性スタッフ連から何時もの笑顔で迎えられた。
この笑顔の歓迎を受けたくて何年も通い詰めているようなもの。
何時もの席に陣取って暫くしたらスタッフの一人、
M子さんからクッキーのプレゼントがあった。彼女はクッキーを焼くのが趣味みたいで
私は時々ご相伴に預かっている。
家に戻って陽が落ちた頃、弁当屋の伯母さんが集金に来た。
先月契約した新しい弁当屋である。惣菜の中身は以前の弁当屋と違わないが
新しい弁当屋の伯母さんが若くて美人だから弁当屋を変えることにした。
伯母さんがお釣りに手間取っている間に囲碁の方は又もや時間切れ負けした。三連敗である。
今日で年賀状も書き終わった。慌ただしく過ごした一日だった。
本日も平穏なり
某月某日 朝起きた時からパソコンが動かない。
前々からエンスト気味だったがとうとう壊れたか。息子も不在だしお手上げである。
パソコンが使えないので録画したテレビ番組を観て過ごすことにして、
先ずスタミナのいる「山田風太郎の日記」を再生。
山田風太郎と聞けば[くの一忍法帳]など
奇想天外なアイデアで人気を博した大衆小説家で私も若かりし頃週刊誌で愛読した。
彼の日記の存在はドナルドキーン氏が名著[日本人の戦争]で爼上に挙げていたので少し知っていたが、
私生活を覗くのは無論初めてだから
この大衆小説家が私生活において如何なる忍術を駆使してるか興味があった。
山田風太郎はテレビが普及し始めた数十年前に[日本人の軽薄化と無責任]を予見、
洞察を日記に書き留めている。驚くべき慧眼である。
しかし、彼はその憤りを提起せずに逝った。
山田風太郎は大衆小説家としての人気とはうらはらに
私生活は地味で慎ましく普通に暮らしたらしい。2001年歿 享年79才
番組は名優 三國連太郎による日記の朗読とナレーションで進められたが、
この名優の起用がこの番組の質を高め見応えのある番組にした。
この番組に出演した時三国連太郎は82才だった。
三國連太郎は私の好きな役者の一人である。
彼が演じる悪党は程よいインテリ臭さが底知れぬ企みと生理的な嫌らしさを漂わせ、
観るものの恐怖や怒り、憎しみを掻き立てずにはおかない。
特に印象に残る映画は小林正樹監督の[切腹]だ。
浪人仲代達也は果てても、家老三国連太郎は関係者を全て病死と片付けてお家騒動を切り抜けるラストが、
原作の良さも有って素晴らしい一語に尽きる。
夕方、何気なくパソコンのスイッチを入れたら正常に動いた。
しかし、動きがのろいのでまたエンストするような気がする。
本日も平穏なり
O君
昨日はゴルフの打ち納めに出掛けたよ。
随分寒い日で朝方表に出た途端に思わず震え上がった。相方は君も知っているW氏だ。
クラブハウスに着いたのが8時少し前。
当然のように先客は疎らだった。上手な人は冬眠に入ったのかな。
コースはご覧のように霜で真っ白、見事な冬景色に仕上がっている。
ボールを曲げてラフに入れたらロストボールを覚悟という状況だった。
私はしっかり重ね着をしてポケットにはカイロを詰め込んでスタートしたが、
指先の凍えは耐えがたく、靴底には霜がこびりつき不快この上ない。
途中、茶店の伯母さんに今日の気温を尋ねたら「道端でー5℃」
と聞かされて質問したことを後悔したよ。
君も知ってのとおり、
私は春先から肺炎その他の重病に取りつかれて
生死の境をさ迷った(大げさ過ぎるかな)という気持ちがあって、
今日のゴルフは謂わば、病み上がりの体力快復の程度を知りたいと言うのが目的だった。
結果はパーオンは望めないしバンカーからの脱出も思うに任せず大叩きしたが、
それでも18ホールを回れたことに満足している。
私の場合、体力は年々目に見えて落ちている。
最近はその衰えに加速度がついたか、特に膝の力が弱ってきたと感じている。
月並みだが、どうか君も体調に留意してこの冬を乗り越えられますように、
また暖かくなったらゴルフ場で再会しましょう。
それではよいお年を。
帰宅して暫くした頃、W氏の奥さんが「蒸かした芋」をわざわざ届けて下さった
素朴な心優しい気遣いが嬉しい。W氏と言う善き友に巡りあえて私は幸せである。
本日も平穏なり
先週も娘は来て呉れた。
来て欲しいと頼む訳でないが私はいつも娘の来るのを心待ちにしている。
息子にはそう思わないが・・・
娘は玄関を開けたときから私の部屋に来るまで殆んど音を立てずに歩いてくる。
ひょっとしたら私が「冷たくなって居るのでは」と
案じている為かと思ったこともあったが、そうではないらしい。
どうやら私自身がパソコンのネット囲碁対局に夢中になっていて
娘の来るのに気づかない事が多いのだ。
何故、娘が忍者のように音を立てずに歩くのかとの疑問は先日、
一緒に旅行した時に解けた。
娘の歩き方、後ろ姿は亡妻なのを見つけたのである。
踵からドンと着地せず、和服を着ている時のように歩を進めるから
廊下を歩く時の音がしないのだと納得した。
娘は顔立ちも性格も母親に似て反射神経も抜群だ。
少しは私の癖を受け継いで居ないものかと思うのだが見当たらない。
嬉しいような少し残念な気もする。
親子というのは不思議だ。
息子はの立ち居振舞いは益々父親の私に似てきたし、
逆に女の子娘は母親にそっくりになっていく。遺伝的優性が有るのだろうか。
翻って私の場合はどうか。
母親には似ていないようだから父系の顔に違いないと思いつつ父の80年前の写真を眺める。
若くて凛としてなかなか男前である。年の差を割り引いても私は大分見劣りする。
きっと私は鬼子なのだ。
本日も平穏なり