朝から体が軽く感じられる。偏頭痛の気にならない気持ちのよい朝のスタートである。
朝食を食べ終わると暫くすると午前の点滴だ。近頃は私も点滴慣れして点滴液の落ちるのが遅い時は勝手にチューブに挟まったバルブを開いて調整することを覚えた。
点滴が済むと暇をもて余す。今日はタブレットに取り込んだCDから美空ひばりを聴いている。
「哀愁波止場」が特に私のお気に入りである。「よーるの波止場にヤー」で始まるこの名曲の歌い出しは何度聴いても心に滲み入るね。高音部から低音に歌い下がりながらも美空ひばりは何処かで裏声を使い分けているはずなのに聴き手にそれを感じさせない歌唱力は凄いの一語に尽きる。彼女は声量にはいつも余裕が有るし、声の艶を失わず情感豊かに歌い上げる力はやはり凄い。歌詞の一語一句を丁寧に発音するところなぞ、クラシックオペラの歌唱法そのものだ。きっと彼女は完璧主義で妥協しない性格でもって、美空ひばり節を完成させたと想像する。プロの歌手に上手い人声は大勢いるけど彼女はやはり別格である。
60年位昔、私は京都の鞍馬山の山中で、チャンバラ映画の撮影中の美空ひばりの一行に出会った。その時の美空ひばりは編み笠脚絆姿で太陽が顔を出すのを待っているところだったが、スタッフの「お嬢お嬢」と追従笑いされているのを目の当たりにして私の嫌いな大スターの一人になった。
私のひばり嫌いは彼女の晩年まで続き、彼女の天才ぶりに気づいたのは
恥ずかしながら最近である。
美空ひばりはあれ程の成功を収め、大スターの名を欲しいままにしながら、何時の時代にも不評を買うゴシップがついて回る、言ってみれば不遇な人だったように思う。
あの最後?の名曲「川のながれのように」を出した頃になって、彼女の表情が穏やかになったように私は思う。
私は6回目の検査を受けます。先生は何とおっしゃるだろうか、入院の継続か、退院許可か、連休を前にして私は今から気もそぞろである。
お わ り
昨日の午前中に4度目の検査があったが残念・・・退院は再び延期された。
[入院治療継続の理由]
先生の説明によると
「これまでの治療の効果によって主要肺炎菌は殲滅したが、
別種の菌が退治出来ておらず
これがゲリラ的に活性化して発熱や全身倦怠を引き起こすから、
引続き入院治療を続けましょう」、
要旨このような説明だった。付け加えるように先生は
私の肺炎がスッパリ治りきらないのは加齢からくる免疫力の低下や、
肺気腫の既往症が回復を鈍らせているのだと婉曲な言い回しで話された。
[治療は第三ラウンドに]
今日から新しい点滴液が使われるらしい。
先生の話ぶりから察するにこの新しい点滴液で多分治癒できるでしょうということであるが
そう願いたいものだ。
私の現在の心境を野球に例えるなら、先発中継ぎ投手が打たれて、
ストッパーを投入して必死に防戦に努めるた弱小チームの監督の気分である。
しかし、楽観的でもある。現在発熱や咳痰も少ないし食欲もあるので
自身の免疫力がやがて肺炎に克つと信じている。
さらに親から授かった強運も私に見方してくれるはずだ。
ともあれ入院して2週間が過ぎた。髭も相当伸びた。
ダウンジャケットを着て入院したのに、外はもう20℃を越える陽気らしい。
隣の患者さんが頻繁に入れ替わる気配を感じるたびに足元から鳥が飛び立つ思いである。
突然、隣の住まいのご主人からお見舞いのブログが飛び込んできた。
どこで調べたのだろう。
文章の結びが「和尚さんのお宅をしっかり見張っています」に思わず顔が綻んだ。
来週には5回目の検査がある。神よ我に強運を与えたまえ。
お わ り
[病室からの眺め]
内心では昨日退院出来ると思っていた。
先生から順調にいけばという条件付きながらそんなニュアンスを感じていたので、
今朝の採血も胸部レントゲン撮影も、
退院するためのセレモニー位に思っていた。
体拭きも断り、退院してからゆっくり温泉にでも浸かってアカを流そうと、
心は既に退院していたのに。
午後、先生は難しい顔で現れて現在の病状は回復の途中です。
これからの治療のすすめ方として
* プラン1 今日退院して、自宅で処方薬で治療する
* プラン2 今の状態で入院を続けて点滴と治療薬で治療する法。
さて、どうするか貴方が決めましょうと言われたのである。
私は肺炎が自分が思っているほど回復していないことを告げられ、
ガッカリし一瞬迷ったが結局プラン2を選択した。
[戒め]
和尚、今、退院を話題に出来る程に元気でいられるのは誰のお陰かね、
まさかお前さん自分の力だとは思ってやしまいね。
皆主治医の先生の医学的知見に基ずく的確な施療の上にあることをわすれなさるなよ。
ともあれ今週からやり直し「肺炎との闘い」第2ラウンドがはじまった。
嬉しい事に酸素吸入チューブが外れたし、
心電図計測器機器(モニターと皆さん呼んでいる)も外してくれたので、
病室から出歩くことが出来るようになった。
久し振りに足の裏に元気な頃の感触を楽しみながら廊下をゆっくり歩き回った。
依然として辛いのが朝夕二回の点滴である。
左腕は内出血で黒く変色したり、皮膚が硬化して注射針を刺すことが出来ないとかで、
今日から右腕に替わった。
看護師さんは高齢者の血管は細くて壊れやすいとか、
和尚さんの血管は弾力があってまだお若いと誉められた。
夕方弁当屋の伯母さんから電話が有った。
懐かしい声で「元気?」「元気だよ、だけど病気が移るから来ては行けないよ」と私
「行く、私は丈夫だから平気」
どうやら本気らしい。伯母さんは私の顔がみたいのか、
或は単なる弁当の配達継続の依頼なのか、どちらでも構わない、
暇をもて余している私にちょっと楽しみが出来た。
お わ り
[毎日、点滴を2本投与している]
6日目、今日から加入保険の入院保険金の支払請求が出来るらしい。
前回入院した時は4日目からだったのに・・・
自宅付近では一人暮らしの我が家のガレージに車がないので
ご近所さんが心配しているだろうな。
ゴル友のやツさんも私からの誘いをさぞや気を揉んで待っているだろうし、
弁当屋の伯母さんも冗談を言い合う相手が留守では退屈していることだろう。
それもこれもみな肺炎のせいだ。肺炎が悪い。
肺炎の病状は余り芳しくない。入院したときの激しい疲労や息苦しさは減って随分楽になったが、
退院の目処とされる血中酸素の値が入院しときと余り変わらないのだ。
目下のところ一進一退、微速前進といった感じだ。
依然として病室から出して貰えない、シャワーもダメだから
だんだん自分の体から異臭がするようで憂鬱、
病室の壁を見、天井も、窓枠で四角に仕切られた青空も見飽きた。
あと何日この闘病生活に耐えねばならないのかと思うと気分も塞ぎ勝ちである。
戯れに看護師さんに「他にも肺炎患者はいるの?皆さん元気になって退院して行きますか?」と聞いてみれば
「和尚さんはまだ若い方だから大丈夫ですよ」と
大丈夫でない人も居るみたいな意味深長な答えが返ってきた。
市内のセレモニーホールを名乗る会社から電話もきた。
「和尚さんですか」と私を知っているような口ぶりに思わずガチャンと電話を切る。
どうして葬儀社が私を知り、入院中の私を知っているのだろう。
ヤミルートで重病人のリストが出回っているのかと思わずテレビドラマを想像してニャリ。
娘が顔を見せてくれたとき始めて笑顔になれる。
娘は毎日来る。私は毎日来なくてもいいよと口では言うものの、
顔には別のことが書かれているようだ。
娘は病室に入ると「どう調子は」と声を掛けた後は親娘に格別の話題もない。
娘は私がうたた寝を始めるとゴミと洗濯物下げてこっそり帰って行く。
女の子ががいて本当に良かったと思うひとときである。
帰りたし住み慣れし我が陋屋へ 。 帰心矢の如し、三食付きだよ、どなたか替わってくれませんか。
お わ り
[最初に食べた病院食]
病室に入ると早速患者衣に着替えさせられたが
私はすぐ退院するつもりだから気楽なもの。
そうこうするうちに看護師は私の体に心電図計測機器を下げたり、
腕に点滴用の針を埋め込み、更に酸素吸入用のチューブを鼻に差し込んだりして、
私は見事に肺炎治療中の患者に変身した。
この格好で毎日、午前と午後に抗生剤の点滴を投与されるのである。
先生は私の検査数値が良くなるまで病室から出さない、
風呂もダメと周知したので、
私は廊下に一歩も踏み出せない重病人の扱いを受けることになった。
例えば隣の洗髪場に行くにも
酸素ボンベの付いた車椅子を使うと言われて私はだんだん不安になっていった。
部屋から出られないと決まれば病人の楽しみは食事とテレビしかない。
病院食はご飯は美味しいけど、
お惣菜は野菜が中心の献立で貧弱な物。
私はカボチャやさつま芋では元気が出ない、
もっと体に良くないものを食わせろと心中吠えた。
幸い、娘が気を利かせて[梅とフリカケ]を差し入れてくれたからいいが兎に角不味い。
テレビがまた怪しからん。私の好きなBS系が全く写らないのだ。
食事が済んだら見るものがないのである。
肝心の肺炎の方は回復傾向に向かっているらしいが、
先生も退院の目処は立たないらしい。
肺炎はそれくらい先の読めない難病と言うことだろう
早く退院して太陽の下を歩きたい。今、それが最も切実な願いである。
お わ り