〈庭で見つけた木の実〉
テレビに映るシチューを見て自分も作ってみようと思い立った。
作り方はすこぶる簡単、肉を入れて人参と玉ねぎとじゃがいもを入れ、
最後にルウを入れてグツグツやれば「はい出来上がり」、
の筈だったがどうせなら美味しいシチューを作ってやろうと
欲を出したのが間違いだった。
トマトやリンゴに冷蔵庫の余った野菜も序でに加えたので
出来上がったシチューは圧力鍋一杯になった。
最初は美味しかった。
我ながら上出来と思ったが、直ぐに作りすぎたシチューの始末に悩むことになった。
捨てるには量が多すぎるし、
まだ食べられるものを捨てるなんて我々戦中派には犯罪行為である、
それに下水に流せば下水管が詰まったりしたら大変だ。
考えた末、全てを自分の胃袋に入れることにした。
明くる日から食べ始めた。ざっと見積もって丼五杯は有りそうだったが
毎日食べれば直ぐだ、日持ちはするし腐らないし・・と
当初は楽観モードで食べ始めたが、
連続のシチュー漬けに食欲は次第に消えて、
挙げ句は呑み込むようにして食べた。やはり早く見切って捨てるべきだった。
それでも五日目、完食が見えた。
朝少し食べ、続けて最後の煮詰まって団子のような塊をレンジで「チン」したときホッとした。
鍋にこびりついたシチューを削ぎおとし、
連日のシチューで弱った胃腸を整腸して普通の生活に戻ろう。
午後、久し振りに買い物に出た。お腹に優しいあっさりしたものが食べたい気分である。
本日も平穏なり
今朝は6時前に寝床を出た。部屋の中は10℃、最近では一番の冷え込みだ。まだ暗いのにひよどりが一声鳴いた。きっと今日も晴れると私は思った。彼奴は雨の日は鳴かない筈だ。
明るくなるのを待って寒さが緩んでから徐に家を出る。昨日のゴルフの疲れを引きずっているので今日はゆっくりと歩く。10分程の所に銀杏の巨木が黄金色に彩づき私を待っている。オーストリアの画家クリムトの金色を彷彿とさせる美しさである。近頃はご近所さんも評判を聞いてか皆さんパチパチ撮っている。
今年は散歩の距離が去年の半分に減った。体が歩くのを自然に嫌がるから仕方がない。
もう軽トラも耕運機も散歩の常連さんもほとんど見かけない。田んぼも散歩道もすっかり晩秋の静寂の中にある。
帰り道でビニルハウスから出てきたTさんと顔があった。Tさんは更けて見えるが年は私より大分若いらしい。他の農家は農閑期に入ったようなのにTさんご夫婦はまだ農業中らしい。
「やア やア」と挨拶を交わしたあとは畔に向かって二人並んで立ち小便をした。周りに誰も見てないから良さそうな気がするものの私は落ちついて用が足せない。一方のTさんは坂本竜馬の胸像の如くその視線の先は遠くを眺めて堂々としている。新人とベテランの差である。積年の風雪に研かれた農業者の風格はさすがである。
以前に一度聞いてことがある。「たまには休んだらどうだね」すると彼の答えは「女房の奴が種や苗を蒔くから休めんよ、俺は養子だから」と軽くいなされた。なかなか手強い味のある人物である。
本日も平穏なり
今日は毛布を洗濯するためスーパーのコインランドリーに行く。
冬に向けての防寒対策の積もりである。
毛布2枚とタオルケット2枚、
合わせて4枚を全自動洗濯乾燥機に放り込み1300円を入れると動き出した。
洗濯物を放りこめば後は乾燥するのを待つだけ、安いような高いようなである。
洗濯が終わるまでスーパーで待つことにする。
入口に団子屋の屋台が出ていて
私と同じぐらいの年格好のお婆さんが
威勢のよい黄色い声で頻りに客を呼び込んでいる様子だ。
どうも芳しくないようだと見ていたら、突然
「今日は、お久し振りです」と私を見て微笑みかけて来た。
嬉しいお言葉だが初対面のはず、お久し振りは誤りだと思ったが、
行き掛かり上みたらしを買うことにした。
だが「みたらしを1本」はどうもケチ臭く思われそうなので2本注文した。
離れ際にお婆さんは「これから冷えるから体に気を付けて下さいね」
と真顔で言ってくれたので私も思わず「また来るよ」といった。
午後は銭湯へ。
本日はシルバーサービスデーと言うことで、
シルバーは何時もより100円値引きされる。
そのためか駐車場から満車で浴室も芋を洗うような賑わいだった。
本屋に立ち寄り、喫茶店に寄って、大相撲中継に間に合うように帰宅した。
あの団子屋のお婆さんとは本当に初対面かな、
部屋に戻っても気になって仕方がない。
本日も平穏なり
〈アスファルト〉のチラシ
今日は映画を観るので8時30分に家を出て、
9時45分の上映開始に間に合わせた。
映画のタイトルはアスファルト、フランス映画である。
舞台はフランスの郊外のおんぼろアパート、
バルザックの小説[ゴリオ爺さん]で語られる下宿屋のような
暗く薄汚れた部屋に暮らす人々が主人公である。
主な登場人物は六人、お互いに金が無くてピーピーなのに
困った人をほおっておけない、
下町の誇り高きフランス人気質が様々なエピソードを通して描かれる。
スター俳優は登場しないが、皆さん名演で
特に劇中劇[ジュリアス・シーザー]のセリフを話す女優の上手さには感動した。
フランス映画には俗に媚びず、
自らが作りたい映画を創りましたと言ってるような主張を時々感じるが、
この映画もその伝統を引き継いだ見事な佳作だと思う。
フランス映画大好き派の私はこの映画に◎を上げる。
昼にデパートの隣のラーメン屋に入る。
「ラーメン」と注文すると親父は
「中華そばだね」と言い返してくる。
どこが違うのか頑固親父めと内心笑ったが、
出てきたラーメンはさっぱりした昔懐かしい味で
頑固おやじのこだわりが汁に籠っていて美味しかった。
表に常連さんらしき顔が2人、席の空くのを待っていた。
次は美術館に向かうことにする。
美人画の特別展を観る。
明治から昭和にかけて活躍した作家による和服の美人画ばかり、
普段、西洋絵画に見慣れている目には和服の美人画は中々新鮮に写る。
美人の傍には櫛とか団扇も描かれていて
それらの姿、形から明治から大正以降の社会風俗の一端を知ることが出来てまた良かった。
美術館を出て、ゴルフショップに寄って、
本日最後の予定である温泉に向かう。
温泉を銭湯代わりに利用出来る我が町はやはり住みよい所だ。
気持ちよく汗を流し、心身を解して夕方帰宅。
映画に日本画とミケランジェロ、締め括りは温泉で遊び疲れを流し去る
なんと幸せな人生であろうことか。明日も平穏でありますように
お わ り
私は新制中学を卒業した後16才の誕生日をまってオート三輪の免許証を、
18才になった時に普通車免許証を取った。
当時、免許証は特殊技能資格と扱われ、会社から5円/日の運転手当てが付いた。
もう60年経った訳だが今日まで無事故・無違反でハンドルを回し続けてきた。
この間、自損・他損すれすれのピンチもあった。幸運に恵まれて今日に至っている。
近頃は運転が儘ならないと感じる時が多い。
例えば車庫入れ、仕切り線に対してタイヤの向きが斜めになっていることが多いし、
酷い時はタイヤが線からはみ出している。
もう一つの憂鬱は枝道から本線に出るときだ。
スムースに本線の流れに入って行けない、
飛び込んでいくタイミングに躊躇する。
子供の頃の縄跳びで輪ツかに飛び込む前の緊張に重なる。
友人に運転の話を向けると彼はさほど悩んでいない様子で、
彼曰く
「ゆっくり走れば良い、俺なんか名古屋から当地(ゴルフ場)に来るのに50km/h以下のスピードで走ってくる」と、
あっけらかんと言う。
スピードを落としてマイペースでゆっくり走れば
後方に渋滞が出来ようが安全には代えられないと言うのだが、
私には真似出来ない。
そんな運転をすれば追い越しざまの迷惑そうな目、
冷たい視線に私は耐えられない。
私は小心者だからいつも「前を空けるな、流れを乱すな」とゴルフプレーに準じている。
高齢者の運転技能の退化は止めようがないが、
目前の心配は運転中に意識を失うか、
ポックリ逝くことであろう。
これは文字通り車が制御を失って凶器となるわけだから
大惨事を惹き起こす事は必定。
本人は寝ているので分からないが、残されたものは後始末が大変だ。
我が娘はいつも私のそれを心配しており、高速道道路を走らないでと変な理屈で懇請する。
一昨日も後期高齢者の事故があったようだが、
こんなに事故を連続して聞かされると理由もなく不安になってくる。
私は毎日運転しているし車無しでは暮らせないから。
高齢者が加害者にならない唯一の方法は
自動車から自動運転車に乗り替えるしかないだろう。
近い未来「〇〇才以上の高齢者の自動車の運転は禁止、乗りたい人は自動運転車に乗るべし」
という時代になるかも。
いいアイデアのようだが課題は二つ
その1 高価だから金のない私は買えない。
その2 実用化はずーと先、私はもうこの世にいないと思う。
おしまい