〈五重の塔〉
法隆寺の次は何処に回るのがお勧めだろうか。私の子供達が案内して呉れたのが
「安部の文殊院」だった。法隆寺の隣の桜井市に有るミニ古墳だったが、息子に
考古学の興味が有るとは思えんから、ここは夕食までの時間稼ぎをする作戦だと
思った。
〈古墳の入り口〉
古墳の中は三畳ほどの広さで古い石仏が祀られていた。
陽がだいぶん傾いた頃、長谷寺に寄った。奈良に向かう道で途中下車したような
参詣だった。
〈長谷寺の本堂〉
長谷寺の噂は少しは聞いていたが今日が初めての来観である。麓の山門とおぼしき
辺りから中腹の本堂まで真っ直ぐに石段が400段ある。途中に息継ぎをするところ
がないから、四国の金比羅さんに負けないくらいの険しさである。が不信心者には
麓から本堂まで軽自動車で昇降してくれるのが嬉しい。本堂には「西国三十三所」
の幟も読めた。
境内からの眺め
本堂には「本尊大観音像」という重要文化財が祀られている。
此方のご本尊は少し運動不足気味だと思う。朝から仏さんを沢山見すぎたせいか!!。
奈良市内のホテルにチェックインしたのは6時過ぎ。中心地から少し離れたホテル。
車から荷物と酸素ボンベを卸す段になって、自分が身障者であることを思い出した。
拝観料の時、駐車料金の支払いをするとき「身体障害者」という言葉が自分の事を
いっているのだと下車する時に思い出したのである。
翌日は、春日神社→東大寺→宇治の平等院と順に立ち寄り、明るい内に帰宅した。
〈春日神社〉
〈東大寺〉
〈平等院〉
お わ り
〈薬師如来座像〉耳の病を直してくれる仏
〈薬師三尊像〉
〈行信僧都座像(ぎょうしんそうずざぞう)〉
〈道栓律師座像〉
〈救世観音〉
〈釈迦三尊像〉
〈伝橘夫人念持仏(でんたちばなぶじんぶつ)〉
〈伝法堂の仏たち〉
おわり、今度法隆寺見学するときは予め宝物の収納先を調べて
無駄足しないようにする積もりです。疲れました。
〈聖徳太子座像〉
〈百済観音像〉
〈九面観音像〉
〈夢違観音像〉祈れば悪い夢も良い夢に変えてくれると信心された
〈地蔵菩薩像〉
〈五重塔の宝物(塔本塑像)〉塔の東西南北それぞれの入り口から見ることの出来る宝物
涅槃像土〈北の入り口〉
釈迦の入滅を嘆く弟子達
写実性を重んじた天平時代に作られた
阿弥陀像土〈南の入り口〉
分舎利仏土〈西の入り口〉
維摩詰像土(ゆいまきつぞうど)〈東の入り口〉
今回掲載した写真のその殆どはNHKの番組から引用しております
続きは「その2」で・・・
子供達が誘ってくれたので出掛けた。1泊では正直物足りないないが何分にも
障害者の身分だから贅沢は言えない。車に二日分?の酸素ボンベとして7本
積んだ。途中で酸素が不足したら自分で酸素ボンベのバルブを加減して生き
延びる積もりだ。
〈酸素ボンベ〉
昼少し前に法隆寺に着く。法隆寺は603年に聖徳太子が仏教研鑽の場として
発願された寺という。世界最古の木造建築物として、1993年に我が国最初の
世界文化遺産に登録された、
〈南大門〉
〈五重塔と金堂〉
〈西円堂〉
〈大講堂〉
〈食堂〉
〈綱封蔵〉
〈東院鐘楼〉
〈夢殿〉
〈東院伽藍〉
お断り : 此処に載せた写真の多くはNHKの制作番組から
引用しております。
つづく
年の初めに中国・福建省に旅行した。「温暖な気候です避寒におすすめ」という
キャッチフレーズに誘われ出かけたものの、ずーと雨で底冷えが続いて肺炎を土産に
持ち帰り入院した。2週間くらい過ぎて熱が下がると「不治の病」と追い出される
ように退院、その後は自宅療養して小康状態が続いた。
5月は旅行ずくめだった。始めは広島、「お好み焼き横丁」で食べたお好み焼きの
美味さが忘れられない。宮島、呉にも行った。
中旬は東京方面へ。国技館、上野公園、葛飾柴又、東京国立演芸場、横須賀港へ。
湾内クルーズで米国空母「エンタープライズ」の偉容を見た。
移動中初めて杖を使って歩いた。この頃肺気腫が進行したのか呼吸は苦しく重症の
予感がした。
下旬はギリシャへ。旅友・ミーコさんと一緒に参加した。
〈 ギリシャ四景 〉
メテイオラ修道院の入口の急坂で今まで経験したことのないような呼吸困難に
陥り立ち往生した。ミーコさんに励まされ支えられて危機を脱した。今も当事
の苦しさと風景の絶景が忘れられない。
8月末まで体調はまずまずだった。9月に入りさあゴルフと思える日に再び
肺炎が再発、春に続く入院にはいよいよ「お迎えが来たなと」と思った。
ところが私は医師も驚く驚異的な回復で冥土行きを踏みとどまった。
「ボンベを常時携行すべし」という条件がついて退院、現在に至っている。
今年も年を越せる目処がついた。嬉しく有り難いことである。
お わ り