白隠和尚のブログ

今日より明日が幸せでありますように。好奇心旺盛な70代のブログ。

暫しのお別れ

2017-02-25 16:51:01 | 日記
〈私の好物 エスプレッソ〉

スターバックスの店長さんはチャーミングで美しい若奥さんだ。年は私とは爺と孫程に離れているのに、彼女はいつも心安く誠実に接してくれる。私が勝手に友達同士と決めている間柄である。

その彼女がお母さんになることが決まりその準備の為、来月からから産休に入ると言う。欣快事である。孫は子より可愛い(他所の孫はさらに可愛い)と言うからご両親はさぞお慶びであろう。我が身内に孫の産まれそうな子供は居ないからなおもって羨ましい限りである。
その彼女が興味深い話をして呉れたので紹介しょう。

その一
彼女の会社では育児休暇を1年間取得出来るという。私の現役時代(20年以上も昔)産休は2週間有給で取得出来た。しかし、男子社員は誰も取ることは無かった。理由は「育児は女性の仕事、男子は表に出れば七人の敵有り」とうそぶく時代であった。また、長期休暇は周囲に仕事上の
迷惑をかけるとか、復職したときの職場やポストを失うことも心配したからだと思う。

その二
彼女はお腹の中の赤ちゃんだと言って写真を見せて呉れたのだが、この事には本当にたまげた。赤ちゃんの誕生までまだ3ヶ月あるというのに、お腹の中の赤ちゃんの顔と表情が鮮明に写っていた。驚くべき医学の進歩である。
因みに私の子供たちの場合は誕生まで性別は不明であった。


それでは店長さん暫しのお別れです。!!子育て 頑張って!!


[銭湯]にて 兄を想う

2017-02-17 13:15:51 | 日記
私は銭湯が好きだ。特に冬場は脱衣場の温かい銭湯に限る。ゆったりした気分で衣服を脱いでおもむろに湯舟に浸かる、寒い日の最高の贅沢である。内風呂ではこうはいかない。

かれこれ70年になるか、その頃、風呂と言えば銭湯の事だった。自宅に風呂があるのは御大尽と言われる人達だけで、普通の家庭は銭湯だった。
当時、銭湯は湯を提供するだけで湯加減は客の好みで自由だった。
開店直後の湯を一番風呂と言ったがこれがめっぽう熱かった。常連客が
水を足して湯加減を調節するのだが、それも熱目だった。時々は湯で
真っ赤になった赤入道が壁の向こうの三助に向かって「ぬるいぞー」と大声を掛けた。
私は隙を見ては蛇口を捻って水を入れてよく怒られた

私は頭を洗われることと、肩まで湯に浸かることが嫌だった。兄は湯冷めするからと私に首まで湯に浸かる事を命令してから数を数えさせた。
私は許しが出ると音を立てて湯舟を飛び出すのが常だった。こんな私を見て兄は「カラスの行水」と言って笑っていた。

帰りはいつも身体中が火照っていた。兄は片手に手拭いを容れた洗面具を持ち、空いた方で私を引き、下駄を鳴らして暗闇を家路に向かった。
私が穴ぼこに躓いて下駄の鼻緒が切れると兄はおぶってくれた。
時々はミカン水を買ってくれた。これは砂糖かサッカリンで甘味をつけただけの飲物で3円だった。この頃ラムネは10円したと思う。

兄は私より7歳年上だったが私には大きくて強い憧れだった。時々は意地悪されてよく泣かされたが、大体は上手に遊んでくれた。友達の中に兄と一緒に入っていくと、自分まで強くなった気がした。

この兄も鬼籍に入って久しい。私の兄はもう一人になってしまった。


お わ り

今 日から 社会復帰

2017-02-14 11:19:24 | 日記

〈早 春 の 夕 暮 れ〉

久し振りに心地よい良い目覚めだった。
何だか身体中から元気がみなぎる気分である。
お天気も良さそうなので気になっている洗濯物を洗うことにした。

ところがいきなりのトラブル、洗濯機が[洗い]で点滅めつしたまま止まってしまった。
何度か繰り返すものの[すすぎ]以降に全自動しないのだ。
諦めて下着を間引きしたら再び回りだした。
この洗濯機も新品のうちはよく動いたが
近頃は怠ける味を覚えたのかよくエンストする、だんだん人間臭くなってきた。

洗った洗濯物は全部で物干し竿に三本分あり、久し振りの満艦飾であるが、
これでも下着が1枚行方不明のままである。
きっと洗濯槽の何処かに残っているのだろう。

次は散歩。コンビニ迄お昼の「おにぎり」を買いに歩いた。
暫く歩いてなかったので不安もあったが、心拍数130.のペースで早足で歩いてみたが順調なり。

午後、少し昼寝をしてから銭湯へ。
全身の垢をタオルで削ぐようにして洗い流し、伸びた無精髭を剃ったら、
幾らか人前に出せる顔になった?ので、いつもの喫茶店に向かう。

スタッフの女性は一様に「お久しぶり」と言って温かく迎えてくれた。
中でも私が秘かに[法隆寺の釈迦三尊像]に似ていると思う娘さん(絶対に彼女は独身だと信じている)なぞは
「おみえにならないので本当に心配しました」とまで言ってくれた。

家に戻った頃には陽は傾いていた。
急いで洗濯物を取り込みにかかる。

見上げると見事な積乱雲を見つけたので急いでカメラを構えたときには残念、もう普通の雲になっていた。

夕方、名古屋の友人からゴルフの誘いがあったので快諾、
明日出かけることにした。

私の中にいつもの「年齢のことを忘れて行動したがる自分」が甦っているのを感じはじめている。


本日も平穏なり


風邪の為 旅行は中止

2017-02-11 15:26:49 | 日記

予定では今頃バンコクの街を歩いている筈なのに
実際は部屋の中で風邪の猛攻に悲鳴を上げている始末である。

前に書いたブログ「休養は風邪のはじまり」の中で風邪の事を軽く書いたのが
風邪の神様の逆鱗に触れたらしい。

最悪期は抜けたが、依然として喉は腫れたままだし咳も痰も出るが食欲
は戻ってきたから快方に向かっているかな。

何と言ってもキャンセル料が痛い。
出発日直前と言うことでツアー料金の50%を取られた。
旅行会社は後期高齢者からも容赦なくキャンセル料を取るのだ。

[LINE]を見て娘が早速翔んできてくれた。

「病院に行く?」「ああ、もう少し良くなったらね」と私は断った。
本当は体の方はダルくて動くのも大儀なのだが
旅行をキャンセルしたいま、急いで風邪を治すこともなし、
わざわざ病院に出掛けて何本も注射を打たれるのは敵わん、

特に近頃は注射針の刺し損ないも多いから、
やはり病院は行かず自室でゴロゴロして自然に直るのを待つことにしよう。

改めてカレンダーを見る。五月までの予定は無し、真っ白であるが、
その翌月の六月にはジャーン! ! 〇印が八つ並んだ週があるぞ、

これは何の印か 、次なる海外旅行の予約日である。娘が私のためにと早めに予約を取ってくれた印である。

この六月の海外旅行が最後になるだろう。もう風邪は御免だ、今度は何があろうと参加するのだ


お わ り


休養は 風邪のはじまり

2017-02-07 08:07:38 | 日記

〈林檎は宅配の伯母さん 葛餅はヤツさんから〉


先週のゴルフのあとはズーと寝ていた。
休養と言うよりもやることがないし(有るけど遣りたくない)、
外出の予定もないのでふて寝を通した。

体は出来るだけ動かさず、食べて、寝て、好きなテレビ番組を見ながら、
日長一日椅子に寝そべるべって過ごす、
いつもと同じ時間の空費暮らしである。

ところがバチが当たったのか
先週末からどうも喉に違和感がある。
持病の肺気腫が再発したのかと少し心配したがそうでもなさそうだ。

喉は次第にイガッラッポくなってくるし、
咳も痰も間断なく出るようになって、
さらに悪いことに掛け布団がずり落ちて寒くて目が覚めた晩もあったが、
この時が風邪を決定ずけたようだ。

昨日から声変わりも始まった。
それにしてもぬくぬくとストーブを抱えて
暮らしていても風邪を引くことだってあるのだ、と私は思い知った

取り敢えず市販の風邪薬を飲んだら喉の炎症と微熱は少し楽になった。


私は今週から旅に出るので早く風邪を直したいと焦り気味である。

先週は宅配弁当の伯母さんから林檎、
ヤツさんの奥さんから葛餅をそれぞれ頂いた。
ヤツさんの葛餅は見た目不器量だが自前の米を使っているので
とても美味しいのである。