下着を着替える積もりで押し入れの引き出しを開けて、
洗濯機からまだ昨日の洗濯物を取り出していないことに気がつく。
昼過ぎに干しに掛かったので近所のおじさんが私を見て笑った。
夕方、取り込めるように籠をテーブルの上に載せて目印にした。
私は物忘れが多い。家の中に入るときにもよく物が無くなる。
ハサミ、財布、車のキーなど・・・
自分しか居ないのに見失う。思い込みが多いからなかなか見つけられない。
見つからないと一人で大騒ぎ、トイレ風呂、それでも見つからないと誰も居ないのに他人を疑ったりする。
探し物は当然のようにみつかり、
ホッと一息つくのだ。こうした自作自演を週に一度はやらかす。
一番の心配はガスの空焚きだったが娘の尽力で電化して解決した。
当たり前だが、電気はタイマーが使えるのでガスのように消し忘れがない。
娘の心配はガスの不始末で私が火事の火元になる事だった。
洗濯物を干して出遅れたがスタバに出発。顔を出したら若いスタッフの女性達に
「和尚さん誕生日おめでとうございます」と祝福を受けた。
私も素直にありがとうと言えた。ああ今日もスタバを覗いて良かった。
誰かが私の事を覚えていてくれたことが嬉しいのである。
本日も平穏なり
夜半の11時半を過ぎてスポーツ番組の放送が終わるともう見るものがない。
眠くないけど寝るしかないとベッドで横になる。
ひょっとしたらこのまま眠れることを期待して・・・
玄関で虫が鳴いている。おかしいな戸締りはしてあるし虫の出入りできる所はない筈だ。
そっと近づくと虫の鳴き声はピタリと止んだ。
きっと玄関の何処かにいるな、コオロギだろうか。こんな夜更けに「ピー!」「ピー!」と賑かな事だ。
この頃は11時を過ぎても全く眠くない。
きっと昼寝が長いせいだ、夜寝る分を昼間に寝尽くしてしまうからだと思うが
私は昼寝が減らせない。
時計は12時を回った。いつの間にか虫も鳴き止んだ。
いよいよ我が家で起きているのは私だけになった。何となく薄気味悪い。
頭が冴えてきたので起き出してパソコンの前に座り他人の囲碁対局を観戦する。
無意識に手が動いて駄菓子・ジュースを口に運ぶ。
昼も夜も変わらぬ生活スタイルである。
誰もみている訳ではないから相当にだらしない姿だと思うが、
ひとは他人が見ていないところでは大胆になれるもの。
文豪ドストエフスキーは「人間は一人になると発狂する」と言った。
文豪は知的に発狂し、目下の私は食い気に夢中である。
小腹が空いてきたのでポットで湯を沸かす。
「こんなものばかり食べていると体に良くないぞ」と自戒しつつ完食。
明日はもう少し昼寝を減らそうかな等とボンヤリ考えているうちに少し眠気を催してきた。
もうすぐ2時だ、もう一度寝直すとしよう。
本日も平穏なり
私のカレンダーはずっと先まで何も書き込みが無い。
来月もその次も白紙だ。病院の検診日だけに丸が付いている。
今や外出と言えばイオンの往復だけである。
スタバに入りエスプレッソを飲み、その後は食品コーナーを冷やかして歩く。
単調極まりないが出費の少ない慎ましい毎日である。
そのスタバのスタッフの中に私に良くして呉れるお母さんがいる。
年は娘より少し年若くモデルのような華奢な体でキビキビ動く、
明るくて庶民的な微笑みを絶やさないお母さんである。
私とはどういうわけか最初からウマがあった。
美女と老獣という不似合いな距離感にも関わらず彼女は親しげで、
遠くに私を見つけた時は手を振り合図を送ってくるのである。
私は彼女の好意に応えるため多少の事は都合をつけて毎日馳せ参じている。
我々の間にヒビが入りかけたことがある。
ある時彼女が私に年齢を聞いた。私は「もうすぐ100才になるよ」ととぼけて答えた。
するとどう聞き違えたのか「おわかーい、私は85歳に見えました」と
楽しそうに言葉を返すではないか。
85歳と云われ私は絶句した。
あんまりだ、私の思惑では精々75と予想していたのに・・・
帰り道、「あのおかさん何処みているんだ、目が悪い、正直すぎる、御世辞で相手を喜ばすことを知らないな、」
等と腹のなかで悪態をついた。
しかし、明くる日、私はもう立ち直っていた。
お母さんは元々私にダメージを与えたと思っていないから相変わらずの笑顔だったし、
私は私で他愛の無い馬鹿話をして挨拶した。
我々はすぐ修復した
今日また私は誕生日を迎えた。
もう数えきれない程年を取った。誕生日の欲しいひとはどうぞの心境である。
あの「箸が転けても笑える」お母さんにも内緒だ。
お母さんにとっては85歳のままの私の方が楽しい筈だからである。
本日も平穏なり
昨日は定期検診を受けた。私は年来、心筋梗塞と肺の病の経過を2ヶ月毎に追跡している。
診察は予約制だが実質早い者勝ちだ。
朝8時半に受け付けに行ったら受付孃と一悶着あって出遅れた。
診察前に胸部レントゲン撮影と採血だ。私は採血が嫌で堪らない。
私の山芋状の皮膚は看護師泣かせらしく、
どの看護師も「少し痛いけど我慢して」と注射針を立てる前に予告する。
失敗した時は騒がず我慢してと言うわけである。今日も可なり痛かった。
盆明けの余韻か待合室はかなり待たされた。
私の番がきて診察室へ。医師は「お元気そうで」と言い「お陰さまで」と私。
医師はレントゲンと血液検査の数値をみて低空飛行だと言った。
つまり、病気は良くならないが安定しているからまだ大丈夫だという意味に解した。
医師の「まだ大丈夫だ」の一言で診察は実質終わったがまだ1分も経っていない。
椅子も温まっていないので立ちづらい。
そこで咄嗟に血液検査データに懸念すべき事はないかを時間稼ぎの軽い気持ちで尋ねた。
我ながら老獪である。
真面目な医師はデータの解説を丁寧にしてくれたが私はほとんど上の空、
それが顔に出るのだろう、医師も心得たもので解説は娘に向かっている。
私の無責任な質問が効を奏して診察は10分になった。
再び待合室に座り二人目の医師の呼び出しを待った。
今度は常用薬を出して貰うための診察である。毎夕食後に9種類の薬を飲むことになっている。
量は多いが一気に飲めるようになった。
薬の薬効は知らないし知りたいとも思わないが、今日の健康は常用薬のお陰だと思うことにしている。
本日も平穏なり
お盆が過ぎて子供たちはそれぞれ自分の巣に帰って行った。
私が気を揉んでいた蛍光灯の取り替えもしてくれた。
私はもう脚立には怖くて立てないので最初に頼んだ。
息子は新しいタブレットを買ってきた。
今使っているのが遅いし、突然画面が固まる事が有ることを息子は覚えていて呉れたのだ。
新しいタブレットに慣れるまで少し頭が痛いが・・・。
部屋で改めて息子と対峙する形になって、息子は顔が柔和になったように思った。
依然は自分が会社を背負っているというような気負いが抜けてきた。
息子の少し年を取ったようだ。
しかし、男同士で同室していると部屋に相変わらず座が固い、
息苦しく感じたりもする。
会話が弾まないし、娘と居るときのように言葉が自然に出てこない。
何故だろう?案外私と息子は性格が似ているのかなと思ったりしたものだ。
こんな時、孫がいたらとつくづく思う。
それも女の子であれば申し分ないね。
きっとその子が座の接着剤のようになって部屋の空気を明るくするだろう。
私はめちゃくちゃに可愛がるだろうな。今となっては叶わぬ夢だけど。
それでも私にとって息子は自慢の息子、過ぎた息子であることに変わりない。
本日も平穏なり