Kさんから「お茶でも如何?」と誘いがあったので喜んで出掛けた。
もう10年程のお付き合いで気心の知れた友人である。
何時もの喫茶店のカウンター席に並んで腰掛け「(^_^)(^_^)やあ」「お元気そうで」と再会を確かめあう。
三ヶ月振りかな、久し振りにお会いしたらまた老けたようにお見受けした。
Kさんは「細君が脳出血で手術したこと」、
「術後の細君は別人のようにおしゃべりになったし、口答えもするようになったよ」
「失禁するようになった」「今は細君に代わって食事を作っている」と話した。
私はだいたい聞き役であるが不満はない。
Kさんの話ぶりは映画[男はつらいよ]に登場する笠智衆演ずる「御前様」に似て
穏やかで訥々と話すので聞いていて飽きないのである。
Kさんは何時も私の一人暮らしの不便と体調を気に掛けて呉れている。
私は最近の体調の事、肺に癌が住み着いていることを話した。
ビックリさせないように話した積もりだったが、Kさんは大層に驚きコーヒーをこぼしかけた。
細君が待っていると言うので60分程で喫茶店を出た。席を立つとき
Kさんはモーニングサービスの茹で玉子をちゃっかりポケットに入れた。細君の土産か知らん。
帰り道、バーゲンセール中のドラッグストアに誘われた。
Kさんは細君のオシメと冷凍の焼おにぎりを二つ買い、その内の一つを私にくれた。
序でに栄養の有るものを摂り、体調に気を付けるようにと一言付け加えた。
私はオシメを無造作に買い物籠に入れるKさんの所作に愛妻ぶりを見た。
昼に早速焼おにぎりを試食して見たが予想通り美味しくなかった。
82歳にして初めて台所に立っているというKさんの戸惑いと質素な暮らしぶりが
おにぎりから伝わって来るようだった。
私はKさんの細君の一日も早い回復を心から願っている。
本日も平穏なり
自治会の役員さんが来月の敬老の日の出欠を聞きに来たが、私は今年も参加を断った。
公民館に後期高齢者が会して弁当をつつき、土産物の入った袋を提げて持ち帰る姿は
若い私?にはまだ似合わないと思うのである。
ところが昨日隣のビニールハウスの側を通りかけた時、Oさんの女房殿に捕まった。
Oさんは専業農家であちこちに田畑を所有する豪農と評判の人物だが、
彼自身の言葉を借りれば、自分は奴隷である。
家を出たら陽のある内は家に入れないと真面目に言って相手を煙に巻く、
市議会議員にしたいような冗談の通じる中々の人物である。
さて、Oさんの細君は私を見るなり
「和尚さん、私が老人会に入れるように話をしてあげる」と唐突に切り出した。
ははーん、どうやら早耳のご亭主が私の敬老会の不参加を知り、細君に話したらしい。
世話好きな細君は私の孤独を癒すために今度は老人会への入会の橋渡しを買って出るつもりなのだ。
私は内心「放っといてくれ、私は一人が好きで満足している」と返事を渋っていると、
「会員の中にはゴルフをする人もいるし、いい人もいるよ」と私の弱点に絡んできた。
巧みである。そうかなあ、80歳の好い人って男か女か、どんな人だろう。
私は迷った。断る事は出来るが、後々地元の人との人間関係が気まずくなりはしないか、
変な噂が立たないか、Oさんの野菜のお裾分けが減るのではないかと諸々を秤に掛けて、
兎に角ここは細君の助言に従い「宜しくお願いします」と白旗を挙げることにした。
不思議なことに老人会に入会する気になったら、何か良いことが起こる予感がしてきた。
しかし、近所でお年寄りを見かけないがそんなに大勢いるのかな。
本日も平穏なり
「貴方の肺に癌が出来ています」と告知を受けたのが三月の事、肺炎で入院加療中の検査でたまたま肺の癌が見つかった。あれからもう五ヶ月が過ぎたが、幸いまだ何も自覚症状はない。
昨日は肺癌の増殖の程度を検査してもらう日だった。病院のロビーには既に娘が待って居てくれた。
胸部をCTスキャンで撮影した画像を見て医師は「貴方の肺癌の増殖は非常にゆっくりだから、多分この1ヶ年位は普通に過ごせるでしょう」という診断だった。私は少し胸を撫で下ろした。多分、娘も同じ思いで聞いたに違いない。一方で私は医師が「肺癌では有りません」或いは「癌の増殖は止まっていますから安心して下さい」と私にとって耳当りの良い話になることを内心期待していた。
私の肺はボロボロで手術はおろかサンプル採取も出来ない状態らしい。
私は化学療法等の延命治療は既に辞退したいと申し入れてあるから、もし、癌が増殖を始めたならば病状は加速して寿命は短い筈である。
それは何時だろう。来年か5年先か、覚悟は出来ている積もりだが・・・
なーんて強がりを言えるのも今のうちで、いざ痛み初めたら七転八倒の
日々が続くはず。その日が来るのが今最も恐ろしいのである。
お わ り
明け方少し冷えたので掛け布団を腹まで引き上げた。
そうそう、10日ほど前だったか、冬物毛布を敷いて寝ているところを娘に見つかった。
迂闊だった。
散歩に出かけるつもりで玄関に立ち、見上げるとつばめが電線に連なっている。
数えて見たら43羽いる。
この中に我が家から巣だった3羽と親もいる筈だがもとより知りようがない。
彼等は羽繕いをしているがその様子は春先のように鳴き交わしたりせず
至って静かである。後一月ほどで彼等は何処かに旅立つ。
最近は身体の調子がいい。
一時期患ったお尻の出来物も完治したし、
食欲も戻ったので終日寝椅子で過ごす「ぐうたら生活」を再開している。
最近体得した真理
「人間は寝てばかりいると立ち上がることさえも億劫に感じるようになる」という事。
テレビのリモコンを手繰り寄せるのも大儀になって[孫の手]が手放せない。
これさえあれば大抵の用は足せるが、
トイレに立つときとか冷蔵庫を開けるとき、
寝ている姿勢から立ち上がるときに自分の体重が意外に重いのに驚く。
三度の食事は面倒だ。何もせず寝ているだけなのに
起きて立ち働いている時と同じように時間になると腹がすく。
食べ物を作る手間を省こうと多めに何かを拵えて冷蔵庫に作り置くのだが、
二食目は我慢して食べられても三食目は人間様の食べる限界を超える不味さだ。
ゴミや埃が出ないように工夫もしている。
部屋を移動する時は出来るだけ摺り足を心がけ、
掃除機を掛けるのは娘が来る頃を見計らって行うようにする。
毎日の暮らしで一番大切な仕事はテレビ番組の予約だ。
外国映画、ドキュメンタリー、クラシック音楽の演奏会から適当に予約しておき
後でゆっくり見ようという作戦である。
洗濯と入浴は「ずぼら」な私にしては怠らない方だと思う。
行きつけのスタバのチャーミングな女性陣から「和尚さん素敵」と時々声が掛かるから手は抜けないのである。
本日も平穏なり
私の運転歴は60年になる。
中学生の頃から兄貴のトラックを無免許で乗り回して腕を磨き、
18才になるのをまって普通自動車免許を取得した。
当時、自動車免許は希少価値があり就職に有利だったからだ。
「あんたは運転が上手い、急ブレーキ急発進等の、急の付く運転操作が無いから乗せてもらうと直ぐ眠くなるよ」
と周りから言われたが、今にして思えばその殆どが世辞だった。
何故なら生前の妻は助手席で眠る事はなかったから。
この華麗?な私の運転歴を知らない子供達は私に
「高速道路を走るのは止めた方がいいよ、スピードは出さないように」と
まるで後期高齢者を諭すがごとき口振りである。
そのきっかけは「ブレーキとアクセルを踏み間違えた高齢者」「逆走した高齢者」
「運転中に意識を失った高齢者」等と高齢者の自動車事故が相次いだ頃からである。
しかし、心配はご無用、余計なお世話である。
私のドライブテクニックはまだ錆び付いていない(この自信を子供は心配している)のである。
先ず車が好き、走るのが好き。
高速道路を走るときの風を切る音、周りの景色が次々に飛んでいく時のスピード感、
流れにのってスイスイ飛ばす楽しさが好き。
車の流れに棒杭のように逆らってゆっくり走ることを安全運転と心得るO君とは一緒にしないで欲しいね。
昨日は墓参りに行った。名古屋を縦断して知多半島の真ん中まで往復150kmのドライブである。
少し前まで地理に詳しい私が運転していたが
今や其処には娘が座り、私は躾られた犬公のように後部座席の指定席に座って居るのである。
本日も平穏なり