白隠和尚のブログ

今日より明日が幸せでありますように。好奇心旺盛な70代のブログ。

背中が 火事だ

2019-04-30 20:15:31 | 病気の話

今年は私の厄年の様な気がする。昨年秋から慢性肺気腫を患い酸素ボンベ無しでは
息も出来ない状態に加えて、正月からずっと引きずっている背中の筋肉痛が重症で
右腕を動かすと患部が疼き、痛くて酸素ボンベを満足に曳くことも出来ない。

みかねた娘の勧めに従って整形外科で診て貰ったら「肩甲骨の内側の関節の捻挫」
だと言われた。そんな身体の奥に関節があるという説明に驚いたが、医者が治ると
言わないのが私は面白くない。医者は匙を投げたと思った。

それでも処方された痛み止めの絆創膏を貼ったら痛みは少し痛みが和らいだが、
絆創膏は乾くと猛烈に痒くなり、「孫の手」を脇において痒い所だけを掻く作戦に
してみたが、この方法も失敗で背中全体に引っ掻き傷模様が出来て、ヘルパーさん
さんから今日は「塗りますか」「貼りますか」と迫られる始末。

「弱り目に祟り目」の諺のとおり、次なる試練は蕁麻疹の発疹で絆創膏の痒みと
被さるように出始めた。
蕁麻疹は一旦掻くとその範囲はみるみる面白いように広がり、その痒みと言ったら
例えようがない。
そのうち治るだろうと思っていたが、蕁麻疹を知った娘から
皮膚科に行かなければダメだと言われ、半ば強制的に連れて行かれた。

朝晩2回、背中に薬を塗らなければならなくなった。
娘が朝晩薬を塗るために通ってくることになり、申し訳ない気分。

しかし薬のおかげか、漸く小康を得た次第。


今のうち蕁麻疹は収まった感じ。筋肉痛との戦いはまだまだ続きそうだ。


お わ り


初夏 初めての冷奴

2019-04-20 17:55:06 | 日記

〈冷奴〉


今日は週に一度の配達弁当を食べない日、自分の好きなものを食べると決めた日だ。
さて何を食うかとぼんやり考えていると娘が唐揚げ弁当を提げてきた。一目良い色に
揚がった唐揚げを見て、よし昼は唐揚げ弁当に決まり。

昼寝から覚めて今夜の献立を想う。まず思い浮かんだのが「冷奴」だ。もう長いこと
ご無沙汰だし、今日の陽気にぴったりだ。今晩は冷奴だ。豆腐に生姜をチョイと
載せただけのシンプルな味わいが私は好き。よしと気合を入れて早速外出。

当地も少し前から気温が爆発的に上昇して、今日も窓を少し開けて車を走らせる。

テレビが80代の爺さんの暴走事故を惹き起こして大勢の死傷者が出たと頻りに
流していた。他山の石と銘すべし。
対向車の目線に注意、運転は臆病なくらいで丁度良い。和尚あんたももうすぐ80だ。
他者の運転技術を信じるな。年寄りの運転する車に近寄るな・・・などと呪文を
唱えながらスーパーの駐車場へ

[本日の夕食メニュー]
ごはん→ いなり寿司) × 5個入り
惣菜 → 冷奴、えびの唐揚げ、野菜の煮付け、他に烏賊の塩辛 蕪の千枚漬け
デザート→苺(あまおう)

美味しくて洗い物が出ないように選んだ、夕食が待ち遠しいねー


お わ り



W・チャーチル著 「第二次大戦回顧録」を読む

2019-04-17 12:30:38 | 読書

〈私にルーペは必携品 長い時間使用すると目が疲れます〉


公立図書館でチャーチル(1874ー1965)の大著「第二次世界大戦回顧録」(抄本)と
劉暁波(りゅう ぎようは)の「天安門事件から(08憲章)へ」を借りて読む。

回顧録の原著は7冊、日本語訳は24冊だそうだ。我が地元の図書館の蔵書は殆ど
散失していてまともなのはこの抄本だけだった。私には読み頃の一冊だ。以下に
印象に残った箇所を拾い出してみた。
[回顧録 拾い読み]
◆ヒトラーは下層階級の出身。若い時は宿賃にも事欠く暮らしで、食うためには
何処にでも、共産党にでも転がり込んで録を食む男だった。
◆共産党を大戦中から嫌い、特にスターリンを警戒して彼を「掴んだ領土は決して
手放さない男」と書いている。ソ連に関する記述が少ないので既に「鉄のカーテン」
が降りていたのかも。
◆ルーズベルト米大統領とは特に親密で公式な外交ルートの他に手紙を使って
情報交換している。例として英国へ武器、艦船(主に補給艦)の援助、兵員の増派
要請などを度々行っている
◆米国に対する世界大戦への参戦の要請。ドイツ軍のロンドン空襲、英連邦諸国
への支援、南アジアの日本軍の攻勢などに、さすがのチャーチルも悲鳴を上げている。
南アジアの劣勢を挽回するために、中国軍に武器を与えて日本軍の押しかえしを諮る
がルーズベルトに断られている。ルーズベルトは何故中国軍に力を貸そうしなかった
、未だに謎である。
◆日本軍が真珠湾攻撃のため南下しはじめたことを、米国軍は開戦の5日前に暗号
を解読して知っており、英国チャーチルにそのことを知らせている。
◆ユダヤ人の扱いは全く触れてないことも私には謎だ。大戦中から戦後にかけて
ソ連を含めた戦勝国は自国に居住するユダヤ人の追い出しを画策していた。戦勝国は
どの様な口実を使ってアラブ諸国を説得してイスラエルへのユダヤ人入国を受け入れ
させただろうか。

他にも書いて置きたいことが一杯あるが本日はこれにて閉店します。


お わ り


ボンベよ 今日もありがとう

2019-04-14 10:07:43 | 日記

昨秋 退院した日から私は酸素ボンベを使うように主治医から指示があって
「身体障害者手帖」をいただいた。こうして私は重病人の仲間入りをした。
この先再び肺炎にかかったら私の人生は終わりだと思う。私の持病の肺炎は
タバコの吸いすぎが原因、身から出た錆である。

現在は24時間酸素ボンベからチューブに繋がっており、自由を奪われた囚人の
ような生活であるが、正直を申し上げるとチューブを外したら即あの世行きと
いうほど病状は深刻ではない。短い時間ならチューブが鼻から外れても大丈夫
である。

ただし、鼻からチューブが外れているところをヘルパーさんに見られると些か
面倒だ。連絡帳に書かれて仲間内に噂になって広がるとやがて〇〇マネジャー
から注意をされる。ことと次第によっては「身体障害者手帳」を取り上げられ
たらまた一大事である。
そう言うわけで私はヘルパーさんの前では弱々しく模範的な身体障害者のように
振る舞っている。

最近意外な事に気がついた。頭痛を感じなくなって頭はいつもスッキリしている。
読書に苦痛を感じないし、囲碁を長時間対局しても頭に余り疲労感が残らない。

きっと酸素ボンベから純粋酸素を過剰に吸引しているから頭の血の巡りが良く
なっているに違いないと思う。
今度主治医に聞いてみようと思っている。


お わ り


ひとり者の花見

2019-04-09 17:39:54 | 日記

日中の気候が春めいてきたのでストレスを仕舞おうか迷っている。今日は
リハビリの日、ダウンジャケットを脱いで春用ジャンパーに着替えて外出、
序でに帽子もハンチングに変えた。控えめに春の装いに変えた積もりである。
私のお洒落は妻から直伝である。

リハビリセンターでは孫より年若な女性インストラクターのお出迎え「和尚
さんお似合いです ワニマークですね」とジャンパーに世辞を云った。
マッサージしながらインストラクターは前夜の夜桜見物の様子を話した。
屋台が沢山出ていて賑やかっだた事や烏賊の姿焼きが食べたかったがゲソで
我慢した、等の他愛のない話で笑った。

私も桜が見たくなってお気に入りの散歩道に向かう。


満開だった。滅多に人の通わない堤防の上で今年もひっそり咲いていた。
花の付きも貧弱で勢いがない感じ。一通り写真を撮って直ぐ引き揚げた。

玄関先でつばめが舞っているのを見かけた。今年初めてである。ポストに旅行
案内の冊子が入っていたが開封しないで片付けた。夕方に電気ストーブを少し
だけ点けた。
春がそこまで来ていることを感じる一日だった。


お わ り