白隠和尚のブログ

今日より明日が幸せでありますように。好奇心旺盛な70代のブログ。

W・チャーチル著 「第二次大戦回顧録」を読む

2019-04-17 12:30:38 | 読書

〈私にルーペは必携品 長い時間使用すると目が疲れます〉


公立図書館でチャーチル(1874ー1965)の大著「第二次世界大戦回顧録」(抄本)と
劉暁波(りゅう ぎようは)の「天安門事件から(08憲章)へ」を借りて読む。

回顧録の原著は7冊、日本語訳は24冊だそうだ。我が地元の図書館の蔵書は殆ど
散失していてまともなのはこの抄本だけだった。私には読み頃の一冊だ。以下に
印象に残った箇所を拾い出してみた。
[回顧録 拾い読み]
◆ヒトラーは下層階級の出身。若い時は宿賃にも事欠く暮らしで、食うためには
何処にでも、共産党にでも転がり込んで録を食む男だった。
◆共産党を大戦中から嫌い、特にスターリンを警戒して彼を「掴んだ領土は決して
手放さない男」と書いている。ソ連に関する記述が少ないので既に「鉄のカーテン」
が降りていたのかも。
◆ルーズベルト米大統領とは特に親密で公式な外交ルートの他に手紙を使って
情報交換している。例として英国へ武器、艦船(主に補給艦)の援助、兵員の増派
要請などを度々行っている
◆米国に対する世界大戦への参戦の要請。ドイツ軍のロンドン空襲、英連邦諸国
への支援、南アジアの日本軍の攻勢などに、さすがのチャーチルも悲鳴を上げている。
南アジアの劣勢を挽回するために、中国軍に武器を与えて日本軍の押しかえしを諮る
がルーズベルトに断られている。ルーズベルトは何故中国軍に力を貸そうしなかった
、未だに謎である。
◆日本軍が真珠湾攻撃のため南下しはじめたことを、米国軍は開戦の5日前に暗号
を解読して知っており、英国チャーチルにそのことを知らせている。
◆ユダヤ人の扱いは全く触れてないことも私には謎だ。大戦中から戦後にかけて
ソ連を含めた戦勝国は自国に居住するユダヤ人の追い出しを画策していた。戦勝国は
どの様な口実を使ってアラブ諸国を説得してイスラエルへのユダヤ人入国を受け入れ
させただろうか。

他にも書いて置きたいことが一杯あるが本日はこれにて閉店します。


お わ り


秋の 夜長の 過ごし方

2016-12-04 15:25:34 | 読書


当地は12月だというのにまだ小春日和のような暖かい日が続いている。お陰さまで寒がりの私も防寒衣をタンスの中にぶら下げたままにしてある。
昨日はゴル友のやツさんが庭木の剪定をしてくれたので部屋からの眺めが随分良くなった。彼は毎年この時期になると、こちらがお願いせずとも勝手に剪定してくれる、持つべきは善き隣人、善き友である事を改めて実感、お礼に早速二人でゴルフの打ち納めに行く約束を交わした。

近頃は夜長を読書して過ごすことが多い。今、読んでいるのは古今亭しん生の[貧乏自慢]とドナルド・キーンの[正岡子規]でどちらも市立図書館の蔵書である。
[貧乏自慢]はしん生の口述伝記で、師匠の破天荒な生涯を落語調に綴った読み物で、余りの面白さに読み終わるのが惜しくて毎日少しずつ千切って読んでいる。
[正岡子規]はご承知のように超の付く硬派本。小生は恥ずかしながら、和歌や俳句という日本の古典芸術に無知に等しい(子規をホトトギスと読めることを初めて知った)から、遅蒔きながら少しかじって 「俳句が趣味」といって友を驚かせようという魂胆である。


読書に疲れたらコーヒータイムである。就寝前だから薄めにする、砂糖は無くても良い。序でにタブレットを開いて音楽を流そう。夜はロマン派がいい。ブラームスの弦楽四重奏かチェロソナタが良いな。

この就寝前にボンヤリ過ごす一刻はすべての人を夢想家にする。誰もが詩人であり、哲学者になれるのだ。

明日はもっと良いことがありますように。



この秋 私の読書スタイル

2016-09-03 16:29:15 | 読書

今朝は半ズボンの膝が少し冷たいので長ズボンを引っ張り出して散歩に出る。
景色は昨日と同じなのに早朝はすっかり秋である。

ブラブラと歩き家に戻るが腹の方は空いたと言わない。
テレビを見ながら太鼓腹を揺すってみる。まだ脂肪の蓄えはたっぷりである。

私は先月また年を重ねた。
周りには勿論内緒、もう、誕生日なんて要らない。

「欲しい人がいたらくれてやりてーくらいのもんだ」と
故古今亭しん生師匠なら噺だろう。

誕生日には「おめでとう」「おいくつにおなりに」「まだまだお若い」
の世辞攻めには返事に窮するので、
いつも誕生日をぼかしている。

スポーツの秋、芸術・読書の秋と弾んでいたのは現役時代の事で

近頃はまず文字が読めなくなった。
と言うより内容の比重の軽い書物に目が向く。

もう、三島由紀夫やドストエフスキーに手が伸びないのである。
何かよい知恵はないものかと子供に相談して教授されたのが《青空文庫》である、

と言っても新発見でもないらしい。
世間では周知のアプリを私が知らなかっただけらしい。

ともかく私はこの《青空文庫》という優れものに飛び付いた。
まず文字が大きく出来るところ気に入った。しかも無料である。

「我輩は猫である」がタダ、しかもタブレットの中には何百冊もの無料の蔵書が詰まっている、
どうして無料になるの?現代社会は実に奇々怪々である。

ひょっとしたら大きな陥穽があって私は気づかないのか、
と不安を感じつつも、
目下新しいオモチャを貰った子供のように《青空文庫》に夢中である。

なお《青空文庫》で読めない本(著作権が保護されている本)等は
今までどうり公立図書館の蔵書を借りている。


お わ り


つかの間のオアシス

2016-05-15 08:05:06 | 読書

今日は市立図書館に本を返しに来た。本を返しながら新しい本を借りていく長年の習慣である。
今日はエミールゾラの[従姉ベット]G・ガルシアマルケス[百年の孤独]ヘロドトス[歴史]計3冊を借りた。
私は外国の本が趣味である。古典の歴史本や随筆、ノンフィクション
も好きだ、思想書も良い、早い話乱読である。
最近は視力が弱って、集中力もスタミナも続かなくて3冊/20日が精一杯だ。もう読書が苦痛になりつつある。もっと軽い本をと思わぬでもないが長年のスタイルは容易に変えられない。弱音を吐かず気概を込めて完読を目指せと自らを叱咤していくつもりである。

最近図書館横のテラスでコーヒーが飲めるようになった。テラスは周囲は竹林に囲まれており、森林浴の雰囲気もあってなかなか粋である。
鳥のさえずりや木々のざわめき、時おりの薫風に吹かれると暫し詩人
になれる気がする。

ここで飲むコーヒーもまた格別である。

このオアシスも今が旬で、蝉が鳴き日差しが強くなる頃には誰も寄り
付かなるはず。つかの間のオアシスである。

今日はいつもより読めたようだ。満ち足りた気持ちで午後の一刻を
過ごせた。幸せである

本日も平穏なり