わが家に来るヘルパーさんは40代の女盛りのお母さんという感じだ。
どちらも細身のスラリした姿が若々しい。きっとダイエットで身体を
作って居られるのだろう。
お世話になりもう半年になる。今はお互いに角が取れて友達同士のよう、
私のくだらない話にも声を出して笑ってくれる。
彼女達は「今日は顔色がいいですね」とか「今日は息づかいが静かです」
「和尚の膝頭は艶があってまだお若いですよ」とか変な世辞を交えて私を
苦笑させておいて連絡帳に私の健康状態をメモしている。当然ながら彼女
達は笑ってばかりではないのである。彼女達は老人を励まし元気づける術を
何処か身につけておられるようだ。
折角来てくれたのだ、茶の一杯でも差し上げようと思うのだが、彼女達は
処女の如く私の申し出を固辞する。彼女達はテイッシュペーパー1枚も受け
取らないと言うから見事である。
今日は火曜日、どなたがお見えになるか楽しみー
囲碁にもテレビも飽きるとまた、長椅子に寝そべる。時刻は10時少し前
"今うたた寝すると夜寝られんぞ"と自分に言い聞かせるものの、眠くて
堪らん。
10時をだいぶ過ぎた頃に弁当が届く。
近くの老人ホームの自家製弁当だ。献立も味つけも何となく老人食っぽい。
煮物は形が崩れているし、卵が多すぎる、私は卵がどうも 苦手だ。
昼を食べ終わると眠気が不思議に消えて外出したくなる。
娘を筆頭に、訪問看護師さん、ヘルパーさん、「私の守り人達」は揃って私の車の運転に反対する「危ないから
乗るな、乗るなら近くの買い物だけ、高速道路絶対反対」と声を揃える。
私の運転歴60年の輝かしい経歴も彼女達の前ではまるで見えないらしい。
彼女達にとって私は病弱な後期高齢者の一人にしか見えないのだ。
娘は私の周りをドリンクや食糧で囲み「足りない物はないはずだから」と食糧
による「格子なき牢獄」を築で私を閉じ込めようとしているかのようだ。
〈お茶と菓子パン冷蔵庫にも美味しいものがあるよ〉
また、平日の午後はヘルパーさんや看護師さんが日替わりで私を観察に訪れる。
しかも、2時という絶好のゴールデンタイムにお出でになるから、実質、外出は
ふさがれているようなもの。4時には又しても弁当が届くからである。
彼女達、私の守り人がお帰りになる頃には私の外出への意欲はしぼみ、ようやく
昼寝の時を向かえるのである。
お わ り
最近は体の調子が良いせいか何を食べても美味しいのが嬉しい。昨日食べた
鰹のたたきの旨さは当分忘れないだろう。
私の朝のお目覚めは7時頃、眠りにつくのは1時頃である。昼間のうたた寝の
多少で寝起きはバラバラである。
起き出してトイレを済ませたら長椅子に場所を変えて何物かを腹に詰めて
食べ終わった後は静かに身体を長く伸ばす。退屈な長い一日の始まりだ。
天井を仰ぎ見る。煙草のヤニで煤けた壁と天井に囲まれた部屋に掛け時計
とクーラー、セザンヌの複製画が目につく。薄汚れた部屋であるが。
ヘルパーさんも「何処のお宅もこんなものですよ」と言ってくれるから
まあいいか。
同じ姿勢でじっとしていると背中の何処かが「痛い痛い」と言い出したら
起き上がりテレビかパソコンだ。体調の良い今日は囲碁をする。
ご存知のように囲碁は始めると次第に頭に血が上るから関脇「栃の心」まで
はいかぬまでも顔は上気し頭は熱くなるばかり。
無い知恵を絞り出しての盤上の戦いは一時間に及ぶこともあるが、この間、
周囲の音は聞こえないし、玄関のチャイムが鳴っても耳に入らない事もある
程に盤面に夢中である。
終わるとぐたったりする。若いときのように「もう一番」と連戦する元気は
ない。それだけ勝負に対する拘りが少なくなったのかも。
この年になっても囲碁対局で盤面に没頭できる自分は内心小さな誇りである。
囲碁で疲れた頭を長椅子にもたせかけていると自然に眠気に誘われる。
再び目が覚めた時は30分程居眠りしたあとである。
後日 後半を書きます。
「お父さんどうしたの」の声に目が覚めた。気がつくとベッドの上で頭を足の方に
して寝ているのだ。また娘に醜態を見せてしまった。娘は「散歩に出ているのだと
思った」といって笑った。
私は前夜から背中の激痛で七転八倒したらしく、のたうち回っているうちに安眠
出きる位置を身体が探し当てたのだろう。まあベッド落ちなくて良かった。
娘は当然のように整形に行こうと言うが私は気が進まない。初めて此処で診察
受けた日、医者は「肩甲骨の捻挫を治す方法は無いよ」と素っ気なく言い痛み
止め注射を打った。
注射の効果でその日は痛まなかったが、翌日になると痛みは激痛となってぶり
返したのだ。堪らずまた再診を受けたら「頑張って直しましょうね」に変わった。
頼ないのである。それを言うと娘から「お父さんは文句が多い」と叱られるのだが。
そして昨日である。昨晩は良く眠れた。医者が飲み薬を変えた効果であろうか。
しかし、痛みは「寝た振り」をしているがやがて起き出して私の背中で暴れだす
に違いないのである。
お わ り
始まり リハビリセンターのインストラクターと
「どんな連休だったの?!」
「京都の友達の所に行って京都見物して、家に帰って来て次の日は近郊の遊園地
や名所めぐりをして夜は友達と飲みに行きました。田植えも少し手伝いました」
「ヘエー、田植機が運転できるの?!」
「いいえ、父が運転します。機械の入れない田んぼの隅っこの方を私が手で植えます」
「田んぼに素足で入るんだ、感心したよ」
「うーん何ともないです。昔から田んぼで遊んでいたので全然平気ですよ」
二人目 スタバのA子さんと そうーと近付いて来るなり
「ねえねえ、和尚さん聞いて、私また出来たみたい」
「えツ 何が出来たの」
「彼です」※彼女から昨秋ボーイフレンドと別れたと聞かされていたのです
「それは良かった。今度は上手くいくといいね」なんと言う陳腐な相槌、
もう少し気の利いた事が言えないのかと自分に腹が立つ。
「今度は離しません」
「また続きを聞かせて」これもまた最悪、縁が結ばなかったらどういう積もりだ。
三人目 スタバのB子さん 私の所で足を止めて愛娘の近況報告
「マリンちゃんの下の歯が生えてきました。可愛いです」
「それはそれは、此所にいても落ち着かないでしょう、」
「そうなんです、とっても可愛くて何時も両手で抱き締めていたい気分です、
今度連れてきますから是非会ってくださいね」
「勿論喜んで、その時を待ってますよ」
若いっていいなー、彼女達の屈託なさと明かるい笑顔は眩しい位だ。
人は何時から青春時代の感性を喪失するのだろう。
お わ り