白隠和尚のブログ

今日より明日が幸せでありますように。好奇心旺盛な70代のブログ。

トルクメニスタン旅行の思い出 (最終回)

2017-10-31 17:03:30 | 旅行



カザフスタンとの国境に近いアラルまで行った。
今日も長距離ドライブ、酷いでこぼこ道で
我々はさながらトランポリンの上に乗せられた如く弾みながら移動した。


〈アラル海〉


アラル海は淡水湖だったが綿花栽培の灌漑用水としての取水、
地球の温暖化の影響等によってその面積を1/10に減らした。
世界最大の環境破壊の象徴として有名になった湖である。

〈アラル消滅のモニュメント〉
漁村の跡地に建つ。上がカザフスタン側(小アラル海)下のほうがウズベキスタン(西アラル海)

湖底からの眺め


アラル海の帰り道に立ち寄った村落




民家で昼食



この村の滞在時間は僅かであったが、
「手料理のお母さんの寡黙な笑顔と温かい手料理、トイレ事件、
我々を見てはじめ少年達が逃げ出したこと、
バスがはまり全員で押した事など・・・」

短時間の間に楽しい思い出がいっぱいあった。。

最終日はタシュケント市内の観光。
日本人墓地の参詣、工芸博物館、ナヴォイ劇場、テイモール広場を回った。



以上をもって[トルクメニスタン旅行]の報告を終ります。
最後までお付き合いいただき下さり有り難う。


白隠和尚


トルクメニスタン旅行の思い出 (7)

2017-10-29 09:20:38 | 旅行
前回(6)に載せた積もりの写真〈宿用テント 〉が抜けていたので掲載します。


前夜は日が暮れるとテントのうちも外も真っ暗で退屈なので、早々に寝袋に入ったものの地べたの石ころが痛いし、さそりや毒蛇の出没も心配する始末で、結局まんじりともせず空が白み始めるのは待った。

今日は五日目、トルクメニスタンからウズベキスタンに再入国する日
、今日も400kmをバスで揺られ続けるのだ。

国境近くの世界遺産クフナウルゲンチに立ち寄る。






私達外国人を見るのは珍しいのか、土地の大勢の人に取り巻かれ一緒にカメラに収まった。

夕方、国境に到着。陸路による入国セキュリティは極めて厳しく、顔認証・指紋認証は無論、手荷物とスーツケースは口を開け中をさらけ出して検査されたし、さらに所内を数メートル前進する毎にパスポートを求められるのにはさすがに閉口した。
この日はヌクスという街で2連泊する。旅の終わりが見えて来た。


最終回に続く

トルクメニスタン旅行の思い出 (6)

2017-10-27 08:32:40 | 旅行

〈カラクム砂漠の日没〉


今夜はテント泊まりだから手荷物だけを持って[地獄の門]近くの丘に行くと一人用テントが並んでいる。
「ほほう先客がいるな、こんな辺鄙な砂漠の中で御苦労なことだ」と
私は些かの同情を込めて眺めていると
添乗員の「何れでもお使い下さい」の一言にビックリ、これ等のテントは私達の野営だと悟った。

〈小さい方が宿用テント 大きいゲルは食事処〉

此処に来る前の私のテント泊のイメージは、
大きなゲルの中で全員が簡易ベッドで臨泊する図であって、
この様な風で飛ばされそうな小さなテントの中で地面に寝転がる筈ではなかった。

改めて外を見回す。観光客らしき人は見当たらない。
はるばる遠い日本からやって来た我等高齢者の一団だけが、
この広大なカラクム砂漠の野営にこれから挑戦するのである。
最果ての地という文字が頭をよぎった、
誰かがこれは自衛隊が訓練に使うものだと呟くのが聞こえた。

手荷物をテントの中に放り込み[地獄の門]を見に行った。
〈地獄の門〉





穴の大きさは直径60メートル余、深さは最深25メートルか、
メタンガスを主成分とした天然ガスで、この40年近く燃え続けている。壮観である。

最近の10年で2名の人が落ちたらしい。
淵には柵が無いので近寄ると足元が崩れそうで怖い感じ。

誰かが「やがて柵が出来て近寄れなくなるな」と言った。私もそう思った。
しかし、この炎が後何年燃え続けるのかまだ分からないそうだ。この日はゲルの中で食事をした。

〈懐中電灯の灯りの下で会食〉



(7) につづく


トルクメニスタン旅行の思い出 (5)

2017-10-25 10:24:02 | 旅行
[地獄の門]を覗いた日
マリから空路にてアシガバッドに入り、午前中はニサ遺跡を観光する。


遺跡入場後に係官と撮影料金の事でひともめ、ビデオは20米$、カメラは2米$(高すぎるよ)と、迫ってきたが1台2米$で決着。






首都アシガバッド。前大統領の白色好みが白色大理石を多用する街の景観に反映されているという。
〈官庁街に向かう幹線道路より〉


いよいよ[地獄の門]に向けて長距離ドライブの開始である。


目的地まで砂漠地帯の無人の荒野を300km走る。バスは揺れが酷くて眠ることも叶わず、お腹を壊して食事の摂れない人も出たりしてよくトイレ休憩の為に停車した。
〈らくだ〉

〈傘を指し何かを探す女性たち〉


悪路を約5時間走った後、突然バスが停まったので目的地に近づいた事を知る。


サンドバギー車に乗り換え分乗して暫く進む、見渡す限り何もない景色の中に[地獄の門]の大きな穴ぼこが忽然と姿を現した。



(6) につづく



トルクメニスタン旅行の思い出 (4)の修正版

2017-10-24 09:10:31 | 旅行


三日目、入国時のセキュリティに際してガイドさんから
「カメラ撮影は厳禁です、大統領の噂、政治経済の事や体制を口にすると拘束されるますよ」
と、物騒な警告が有ったので一時カメラを仕舞った。

しかし、両国を隔てる緩衝地帯の砂漠地、
数百メートルの区間をスーツケースを引き摺り手荷物を担いで必死に歩いた思い出は、
他の観光地の思い出と共に深く心に残る記憶である。

[メルグ遺跡]
〈遠景〉


〈前三世紀〉日干し煉瓦は風化して土に還りつつある


〈? 修復中〉


〈11~12世紀 修復中〉



(5) につづく