誰かが頻りに私の名を呼び私も返事を繰り返した
(後日、娘に聞かされたとことでは私は4~5日譫言をいい続けていたらしい)
暫くして娘の声が「お粥にする?ご飯?!」の問いかけに
漸く正気を取り戻したものである。
周りを見回すと病室のベッドに寝ていることを納得、
ベッドの脇に私自身の小水溜のビニル袋が小汚くぶら下がり、
お尻の辺りは「オシメ」のゴロゴロが肌に触れていた。
齢80歳になってこのような汚物のなかにいることが堪らなく恥ずかしく、情けなかった。
一方、身体のほうは体温は平熱に戻っているようだし、
何処もいたくないし具合の悪いところもない、食欲もある。
きっと寝ているあいだに病気は直ったのだ、
この調子だと週末には退院の許可が出るかも知れん、
今度主治医の回診の時に訊ねてみようと、楽観的にもなった。
夕方になって主治医が現れた。
開口一番「よくまああの危機を乗り越えましたな、今後はしっかりリハビリして体力の回復を図りましょう」という。
あの危機ってなんだ、なぜ医師は退院に触れないのか不思議だった。
がその理由は翌日からのリハビリで明らかになった。
(3) につづく
発病したのは10月12日の残暑厳しい日。
部屋の温度が30℃近い朝、悪寒がするので体温を計ると38,5℃
これは風邪だ大変だと直ぐ市販の風邪薬を飲んで
娘に「文意明瞭意味不明」のメール(娘の話)を発信したら私の意識は混濁した。
異変を察した娘が隣町から駆け付けてくれて、そのまま掛かり付けのO病院に走った。
病院に着くとO医師は私達親娘を直ぐに診察室に招き入れて
私の様子を見るなり「入院しましょう、今から紹介状を書きます」と言った。
私は解熱剤注射の1本も打って貰って失敬する積もりだったので狼狽えた。
というのも半年前に肺炎を発症したときもこの病院の紹介だった。
こうして今年二回目の入院が決まったのである。
娘は運転する車を総合病院の救急医療受付センターに横付けした。
三度目だから落ち着いているが、
一方の私は一人冷暗所の扉を押して薄暗く湿っぽい処置室に導かれ
ベッドに横になるように促された時には完全に意識を失っていた。
(2) につづく
男子一生の仕事はマイホームを建てること、結婚することだと親も兄弟も言った。幸い私は両方を獲得したが、それは女房殿の才覚と努力の賜物である。
この家も築20年になる。新居に入ったときの感動や喜びは消えて、今や家のあちこちの綻びに苛立つ日々である。
この家は押し寄せる孫や嫁で賑わうはずだからと間取りの大きめなのを選んで買ったのだが、残念だが目論みは外れた。
今や私は巨大な物置に一人で住まう後期高齢者と相成った。
入居した当時私には一寸した計画を立てていた。
それは動けるうちにこの家を処分して市の中心部のマンションかアパートに引っ越す積もりだった。
誰もが夢見る高齢者の理想である。
ところが時が経つとこの虹色のプランに陰りが見えてきた。
まず我が家の立地が極めて不便なことだ。
路線バスも入ってこないし、民家は疎らだから街路灯もない。
闇夜に散歩に出ると田んぼに嵌まりそうだ。買い物するにもスーパーまで車で3kmだ。
今時このような不便な土地に建つ中古住宅に買い手が付くだろうか。悲観的な材料はまだある。
詳しく調べた訳ではないが売り家は何処も値崩れしているらしい。
人の住まない古民家は散在するし新築アパートもあちこちに立っている。
詰まるところわが陋屋は売りに出しても買い叩かれて希望する値段で処分出来そうにないようだ。
それでも私は都会の便利さへの憧れが捨てきれないでいる。コンビニへは歩いて5分、車が無くても暮らせる街に脱出したいのである。
本日も平穏なり
毎年恒例の退職者懇談会の席でS氏の死亡を知った。
40代で賃貸アパートを3棟打ち立てた、自らの信念に生きた見事な金の亡者の思い出話である。。
彼は入社した時から一風変わっていた。
会社が退けても周囲と交わろうとせずその私生活は誰も知らなかった。
ずんぐりむっくりの目立たぬ男で顔はいつも脂ぎっており無表情だった。
彼の財布はいつも畳めぬ位一杯詰まっていた。
彼は直ぐにその異才を発揮し始めた。
まず職場の誰もが嫌がる宿直業務を一人で引き受けてその手当を独占した。
彼はこの時期だけ皆にちやほやされた。
ところが入社間もない若者の月給が課長のそれを上回ることが分かって課長の怒りが爆発した。
「会社で寝泊まりする馬鹿者がいる」との一言で宿直の連泊は禁止された。
同時に職場の風向きも変わり、この年をさかいに彼の将来は閉ざされた。
次に彼は残業手当に目を付けた。徹夜仕事も進んで手を挙げ買って出た。
課長はS氏を内勤に変えた。
暫くすると妙な噂が立った。S氏が高利貸しをしているというのである。
厳しい取り立てに音を挙げた連中が課長に注進に及んだらしい。
貸し金を請求するときのS氏の顔は鬼だったという。
この頃になるとS氏は完全に孤立していたが、彼は屈しなかった。
舶来の高級腕時計をひけらかし、仕立て屋を呼んでスーツを仕立て、
ときどき怪しげな保険の外交員を呼んで長々と話し込んだ。
そして社長と同じ6気筒エンジンの高級車を乗り付け度胆を抜いた。
遂に課長は決断した。昇格を条件に体よくS氏を追い出しを図ったのだ。
課長の魂胆は見え見えだったので職場の皆は一波乱あることを期待したが、
S氏は平然とその辞令を受けとり引き下がった。
暫くして彼が退職したらしいという噂が聞こえてきた。
上司との折り合いが合わなかったのが退職理由だというがそうではあるまい。
彼は働くことに飽きたのだと私は思っている。
「金の無いのは首が無いのと同じ」というのが彼の口癖だったから自信満々の退職だったと思う。
お わ り
現役時代、私は人前に出たときは意識して明るく努めたが、それでも気を緩めると秘めた気難しい顔に見えるらしく回りから「和尚さん朝からご機嫌斜めですか」とからかわれて不本意な思いをした。
西欧では笑顔は人と人の垣根を低くするので社会的嗜みとして子供の内から鏡の前で笑顔を作る練習をすると聞いた事がある。真偽はともかくとして白人系は初対面でも親しげで如才が無い理由が何となく納得出来る気がする。
一昨日だったか、ヤギが人間の顔色を読む実験の様子を放送した。山羊に女性の「怒った顔」「笑った顔」の2枚を見せてどちらが好きですかという実験だったが、当然のように山羊は「笑った顔」の方を選んだ。山羊にも感情が有るらしいのである。それにしても犬や馬は分かる気がするが、あの目の細いヤギが人間を見分けるとは可笑しいねー
和尚よ お主の顔を見て赤ちゃんが泣き出したりすることのないように自分の顔に責任を持つべし。自戒の念を込めて。
本日も平穏なり