白隠和尚のブログ

今日より明日が幸せでありますように。好奇心旺盛な70代のブログ。

巷説 "三途の川を渡る" (下)

2016-11-13 07:48:39 | 日記
〈等活地獄〉図 罪人同士の掴み合いや獄卒による呵責を表す

しかし、本当に怖いのはこれから、向こう岸には閻魔様が鬼を引き連れて仁王立ちで待ち構えており、ここで最後のお裁きがある。閻魔様は閻魔帳捲り、善行を積んで来た人は極楽へそうでない人は地獄へと振り分けられる。地獄の沙汰も金次第というから持てる御仁は袖の下をしっかり持っていくと良いだろう。

運よく極楽行きになって、さらに徳の高い人はさらに高い境地、涅槃という別世界に導かれる。涅槃はすべての欲望から解脱した無の世界、一切の煩悩のない人たちだけが入る事のできる世界であり、仏教の教える究極の悟りはこの涅槃に導かれることである。

極楽に入ったからといって調子にのって飲めや歌えの酒池肉林に溺れると忽ち天罰を受けて地獄に落とされる。やはり節度は守ろう。
地獄組にはその罪の重さによって服役すべき場所が決まっており、刑の軽い順に焦熱地獄、(温泉地獄)、極寒地獄、阿鼻・叫喚地獄等々、苦しい責めが用意されている。

しかし、四十九日の服役期間を過ぎると、天国組と地獄組は輪廻転生装置によって、再びこの世界に舞い戻るというのだが、それが牛か豚か鶏かは神様がお決めになる。
私は輪廻転生によって家畜に生まれ変わりたくない、今のうちに生活態度を改めて涅槃に入れるように真面目にしょう。(もう遅いかな)


お し ま い

巷説 "三途の川" を渡る (上)

2016-11-13 06:30:17 | 日記
あの世という概念は元々古代インドの民間信仰から生まれたらしい。
あの世は死後世界の思想として中国に渡り、道教と混交した後、平安時代に日本で広まったらしい。あの世には浄土(極楽)と地獄があるという仏教の教えが治世に利用されたようだ。

日本の民間信仰によれば、あの世は三途の川の向こうにあり、死人は皆この川を渡るのだが、怖いからといって渡りを躊躇うと魂は三千世界を
さ迷うことになるらしい。

三途の川は別名を三悪道ともいい、この世とあの世の境を流れる川だ。
三途の川は舟で渡る。岸辺を寨の河原と呼び、もう地獄の一丁目である。
船賃は六文、前払い制で鬼の年寄り夫婦が集金に駆け回っているらしい。この夫婦は死人が渡し賃を持っていないと見るや、衣服を剥ぎ取る
「剥ぎ取りババア」に変心すると江戸時代から恐れられている。子供の頃、私は遺族が棺の中の遺体に六文添えて、渡川の無事を願う姿を見た記憶がある。

さらに昔の伝承によると三途の川には渡し舟は無い時もあって、死人は歩いて渡った事になっている。
前世の行いの善い人は橋を渡ることが許されたが、少し罪の軽い罪人は
浅瀬を渡り、極悪人は深見を渡らねば行けなかった。

しかし本当に怖いのはこれから、向こう岸には閻魔様が鬼を従えて仁王立ちして待ち構えており、ここで最後のお裁きがある。

詩人、正岡子規は著作の中で[閻魔大王ならびに検事役で赤鬼と青鬼の尋問を受けた。そのお裁きは子規が地獄に来たら鬼達は子規をボールにして鉄棒で打ってやると宣告をうける]と茶番めいた話を書いている。

(下) に続く