誰かが頻りに私の名を呼び私も返事を繰り返した
(後日、娘に聞かされたとことでは私は4~5日譫言をいい続けていたらしい)
暫くして娘の声が「お粥にする?ご飯?!」の問いかけに
漸く正気を取り戻したものである。
周りを見回すと病室のベッドに寝ていることを納得、
ベッドの脇に私自身の小水溜のビニル袋が小汚くぶら下がり、
お尻の辺りは「オシメ」のゴロゴロが肌に触れていた。
齢80歳になってこのような汚物のなかにいることが堪らなく恥ずかしく、情けなかった。
一方、身体のほうは体温は平熱に戻っているようだし、
何処もいたくないし具合の悪いところもない、食欲もある。
きっと寝ているあいだに病気は直ったのだ、
この調子だと週末には退院の許可が出るかも知れん、
今度主治医の回診の時に訊ねてみようと、楽観的にもなった。
夕方になって主治医が現れた。
開口一番「よくまああの危機を乗り越えましたな、今後はしっかりリハビリして体力の回復を図りましょう」という。
あの危機ってなんだ、なぜ医師は退院に触れないのか不思議だった。
がその理由は翌日からのリハビリで明らかになった。
(3) につづく
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