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チクチク テクテク 初めて日本に来たパグと30年ぶりに日本に帰ってきた私

大好きな刺繍と大好きなパグ
香港生活を30年で切り上げて、日本に戻りました。
モモさん初めての日本です。

バニラのシフォンヌケーキ

2013年03月11日 | 菓子

曇り、20度、83%

 先週、日本に数日帰国していました。その前に家人とひとつ約束をしていました。我が家のモモさん、大のシフォンヌケーキ好きです。いえ、私が朝ご飯代わりに、焼いては食べていましたから、きっと好きになったのでしょうが、いかんせん、甘いもを食べてはモモさん太ります。それで、この2年ほど、ぴったりとシフォンヌケーキばかりか、お菓子作りを止めていました。家人は、たまには作ってあげなさいと言います。でも、私の留守中いつだってモモさん太ってしまいます。そこで、家人に言いました、今度香港に戻って来たとき、モモさんが太ってなければ、焼いてあげるわね。見事!モモさん体型をキープしていました。

 約束を破るわけにはいきません。

 この30年ほどの間、どのくらいのシフォンヌケーキを焼いたでしょうか? この型は、2代目です。初代は、30年ほど前に東京の合羽橋で求めた、その店自家製のブリキ製でした。香港に来てからさびが出始めました。さびは味に多いに影響します。そんな折、見つけたのがこのインドネシア産のシフォンヌケーキの型です。シフォンヌケーキは、上下を逆さまにして、冷まします。この3本の足は、その逆さまにする時のためです。つい先日この型と出会ったように思いますが、考えてみればゆうに20年、我が家で働いてくれています。大きい方の径は、25センチ。この型にあうケーキを焼くには、卵白は7個必要です。

 さて、焼きますよと言っても、今までよりずっとお砂糖を減らすつもりです。お砂糖を減らせば、あのシフォンヌケーキの持ち上がった高さは低くなるはずです。少し堅くなるかもしれません。卵白7個に卵黄3個で、作っていた今までのシフォンヌケーキですが、卵黄も7個使ってみることにします。卵黄が多い分しっとりとなり、高さは出なくても柔らかくなるはずです。

 ベーキングパウダーも使いません。ただし、 卵白をしっかりと立たせるために、このクリームオブターターだけは使います。

 ハンドミキサーだって、たくさん泡立てをしたのでもう3代目です。

このパワーの強いハンドミキサーに替えたら、泡立て時間は半減しました。

 卵を続けて割る音で、モモさん、台所にすっ飛んできました。

  やはり高さは出ませんでしたが、卵黄のおかげで、しっとりしています。甘さは少ないけど、家人は蜂蜜を、私はジャムをつければいいわけです。モモさんには、ちょうどの甘さです。いつもの、食べ物も年齢とともに、作り方を工夫するようになりました。

 


白いトルコキキョウ メローグリーン

2013年03月10日 | 

晴れ、17度、84%

 香港九龍サイド太子にある花市に行く時、以前の私は、今日は何の花をと心に決めて勇んで行ったものでした。最近は、まあ気に入ったものをとのんびり出かけます。こういう自分の変化を、年のせいなのか楽しんでいます。

 先日、花市までの道を歩いていると、花市から帰って来る若い方が、白いトルコキキョウを抱えていました。薄く黄色がかかった白で、花びらの縁はややピンクを帯びています。その様子が、晴れ上がった春の空にとけ込むようでした。

 香港の花市、基本的には月曜日と木曜日に新しい花が入ってきます。午前と午後の2回です。花の荷下ろしの時は、狭い道にトラックが止まり、お店の人も客の応対どころではありません。ちょっと一息つく昼下がり、花市も遅いお昼の時間です。この時間なら、こちらものんびりと花を見ることが出来ます。卸市でもありますから、12本、20本の丈も長いままの花束が、無造作に箱からバケツに移されています。売れ残った古い花、今入ったばかりの花、チェックするため花束を出したり入れたりしても、不思議にあまり叱られたことがありません。

 いつものように30軒以上もある花屋をまずひと回りします。お店によって得意とする花の種類も違います。その日は、やっぱり白いトルコキキョウを買うことにしました。

 白のトルコキキョウと一口にいっても、純白なもの、黄みがかったもの、ややピンクのもの、そして、莟はペールグリーンなのに開くと白くなるものと、様々です。暖かくなり始めたこの時期、そのどれもが入荷されてきます。

 黄味がかったまろやかな白にも惹かれます。ほんのりとしたピンクをずっと薄くした白も素敵です。純白の潔さ、これも捨てがたい。でも、今回はこの緑がかった白を選びました。

 莟は、 がくの色を薄くしたような、グリーンです。トルコキキョウは莟の形も、様になる花です。花持ちもよく、最後のひとつの莟まで花開きます。

 花が開くと、 花びらの縁にグリーンが薄くはいたように残ります。この花姿が本当に好きです。メローグリーンと言う名前を持つトルコキキョウです。

 八重のトルコキキョウもあるのだそうです。まだ、見たことはないのですが、一見、バラと見間違うほどと本に書いてありました。

 花器は、ウォ−ターフォードのクリスタルにフォークシャーがグラスリッツェンされたものです。


ボンヌママンのジャム

2013年03月09日 | 日々のこと

晴れ、16度、75%

 ギンガムチェックの蓋に手書きの文字を印刷したラベル、お馴染みのフランスのボンヌママンのジャムです。ジャムひとつとっても、メーカーや国柄があって、硬め、柔らかめ様々あると知ったのは、香港に来てからでした。イギリスのあるメーカーのジャムは、まるでゼリーのようだったりします。

 数年ほど前、帰国してスーパーに行った私はジャム売り場に、見慣れたボンヌママンのジャムの瓶よりひと回り小さいジャムが売られているのに気付きました。ラベルは日本語と果物の絵まで付いています。その日本らしさに思わずニンマリしました。400グラム近いジャムは使い切るのに時間がかかります。一目見て何のジャムか解るように、絵が描かれています。こういう神経の使い方は、実に日本ならではのものです。

 以前にも書きましたが、私はジャムを食べます。パンに上品に塗るのではなく、紅茶と一緒にパクパク。ボンヌママンのジャムは3、4回で空になります。少し柔らかめで、所々に果物の丸のままが入っているボンヌママンのジャムが一番お気に入りです。

 昨年辺りから、日本のパッケージのボンヌママンにジャムが、香港の地元のスーパーに並び始めました。英語のラベルのものと並んで売られています。中身はどちらもフランス製。日本からのものは、私なら2回分、いつも買うのは大きい方です。

 香港に入って来る食品や日用品を安く売っているチェーン店があります。そこの棚に、ボンヌママンのジャムの瓶を見つけたのは、2年ほど前のことです。ところが、棚の前に立って、あれ?ラベルに書いてある言葉が、フランス語でも英語でもドイツ語でもありません。瓶の裏を見れば、香港の成分表示のラベルが貼られていて、一番下に書かれているフランス製しか見えません。どれがアプリコットなのか判断に苦しみます。まあ、ここは香港、値札に漢字表記があるので、どうにか、無事にアプリコットを買うことができました。

  これはアプリコット。 こちらはオレンジマーマレード。家に帰って調べてみると、オランダ語でした。

 フランスで作られオランダ語のラベルが貼られ、そのまま香港に来たのか、一旦オランダに入って香港にやって来たのか、定かではないのですが、このオランダ語のラベルの方は、普通のスーパーより150円近く安く手に入ります。

 流通のことはよくわからないのですが、同じものなら安いに越したことはありません。この店が安いのをご存知の人が多いのか、よく売り切れています。

 アメリカから入って来る生のアプリコットは、超高値。イチゴも決して安いとはいえない香港です。自分で作るジャムは、勢い値段の高いものになります。今しばらくは、ボンヌママンのジャムにお世話になりましょう。


パフィオ 小さな蘭

2013年03月08日 | 

晴れ、16度、67%

 香港島セントラルから上向きにのぼるヒルサイドエスカレーター、左手にモスクを見る辺りからは住宅街になります。このモスクに近い古いマンションの一室の窓辺には、ビニールポットに入った胡蝶蘭が5、6鉢ぶら下がっています。花が咲かなければ胡蝶蘭とは解りません。普段は葉っぱだけの鉢です。20年近く、毎日上り下りするエスカレーターですから、それとなく胡蝶蘭の花が咲くのを、心待ちに楽しませてもらっています。

 香港の花屋さんの蘭は、種類は少ないのですが、手頃な値段で求めることが出来ます。2、3株を寄せてお遣いものにしてもたいした金額ではありません。最近、日本からシンビジュウムが、入ってくるようになりました。ため息の出るような優雅な姿、ため息の出るお値段で、九龍サイド、太子の花市の蘭屋の一番奥に鎮座しています。

 私が昨日求めた蘭は、そんな蘭屋の店先の歩道に置かれた箱に入っていた小さな蘭です。

 全長が15cm、見た目もとても地味な蘭です。パフィオと言うきれいな名前を持つ蘭の一種です。おそらくそのパフィオの中でも、私が求めたこの蘭は、原種に近いものと思います。パフィオは、普通の蘭と違い地面に直接生える種類で、その生態から日本のクマガイソウやアツモリソウの仲間だといわれているそうです。花や葉の形は随分違うのですが。

 ふたつの莟が寄り添って、 なんともいえない風情です。がくの部分や葉にはプツプツ模様が入っています。

 いつも花が終わった後の蘭を、次の年まで養うことが出来ないでいます。気が付くと根が腐ってダメにしてしまいます。

 このパフィオ、蘭屋でも滅多に見かけない種類です。莟が開くと、やさしげな花になります。小さくて地味な花ですから、求める人も少ないのでしょう。

 花が開いたら、写真をまた載せますね。


浴室 バスルーム

2013年03月07日 | 日々のこと

晴れ、16度、81%

 実家の改築のために、トイレや台所水回りのショールームを訪れました。効率よくディスプレーされている浴室のモデルを見ていて、なんだか違和感があります。それが何処なのか解りません。浴槽の深さも昔のもののように深くはなく、要するにバスに近くなったものが増えているようです。私たちが家に備えたい浴室とは?と考えました。あの、ユニットバスとは違います。大きな模型みたいな風呂場が、スポッと入っただけの浴室は、私たちの年齢を考えると味気なさ過ぎます。

 ご一緒してくださった工務店の奥様が、香港に戻ったら、我が家の浴室の写真を送ってください、とおっしゃいます。

 そこで、 これはバスタブから入り口に向かって撮った写真です。バスルームに入ると、まず洗面台があり、その横がトイレ。そして、バスタブと続きます。広さの大小はあっても、ほとんどこのタイプのバスルームです。この写真は、主寝室につながるバスルーム。もう一つ、同じバスルームがリビングの横にもあります。全く同じ作りです。お客様のトイレは、そちらのバスルームを使ってもらいます。

 実家の改築の図面には、脱衣場所まで描かれています。我が家では、脱いだ服はトイレの蓋の上に置きます。ショールームで見た浴室の違和感は何だったのかしら?こうして写真を撮っていて、やっと気付きました。

 それは、体を洗う場所の相違、我が家では、体を洗う場所は常にバスタブの中です。日本のように湯舟から出て体を洗うことなどありません。だから、シャワーの位置も湯船の外についている日本タイプと、バスタブの中央に付いている我が家とでは違います。

 恥ずかしい話ですが、そこに気付くまでに2日ほどかかりました。このトイレ、洗面所、風呂が一体になったタイプのバスルームを使い始めて25年以上が経ちます。旅行に行けばホテルに泊まりますから、バスルームです。この25年間、湯船の外で体を洗ったのは、数えるばかりです。しっかりと体に染み付いたバスルーム。

  工務店に写真は送ったものの、改築後の風呂は、バスルームになるのか、浴室になるのか?私はバスルームで充分です。湯舟から出て体を洗うのが、億劫に感じますからね。まあ、後は家人の判断にお任せ。


パイプ

2013年03月06日 | 日々のこと

晴れ、15度、69%

 実家の改築の話がトントンと進んでいます。トントンというか着実に進んでいます。私の2年がかりの実家の整理も、いよいよ大詰めです。残すものは、必要な家具と壷など、最小限の食器に未使用の寝具、どうしても捨てられなかった本(ほとんどが私の子供の時に読んだもう出版されていない本)です。衣類など全くありません。

 一番大きな問題は、お仏壇です。昔のお仏壇です。傷みもきているので、最近の小振りなお仏壇に買い替えるつもりでいました。ところが、いいものだから修理をと薦められました。家の改装中に、お仏壇の修理も頼むつもりです。

 荷造りが進む中、最後に仏壇の戸袋や引き出しのものをまとめようと開けました。整理が出来ない母が、ここだけはきちんとメモ付きで整理されています。粗末になってはいけない場所です。こんな場合を見越してか、始末の方法まで書かれています。そんな中出て来たのが、一本のパイプでした。 この2年間整理をして行くうちに、いろいろなことを思い出していました。ところが父がずっとパイプを吸っていたことなんて、すっかり忘れてしまっていました。

 煙突、と私が父のことを呼んでいたように、パイプを手放したことがありませんでした。パイプもたくさん持っていました。亡くなってすぐ、父の友人に、形見として差し上げたことを記憶しています。最後に残ったうちのひとつを、結婚後、家人ももらったはずですが、どうしたことか見当たりません。

 パイプを吸う人なんて、多くはないでしょう。どうして、タバコでなくパイプに父は走ったのでしょうか?今は知る術もありません。

 パイプには、思い出があります。吸い口の管の部分を掃除するのには、和紙でこよりを撚ってします。細いこよりを管に通して、ヤニをとります。そのこよりの固さ加減が、私が作るのものが一番いい、とおだてられ、せっせと作りました。

 父は、「桃山」というパイプ煙草を吸っていました。小振りな円柱形のシルバ−に赤い船の絵が付いた缶に入っていました。缶の蓋を取った時の香りが、微かに記憶にあります。タバコのそれとはちょっと違います。その桃山を、パイプに詰めるのが、これまた私の役目でした。堅すぎず緩すぎず、ちょうどいいと、きっと、これもおだてられたに違いありません。煙草を詰めるときの仕草をまねてみました。50年近くぶりです。そこで、ひとつ気が付きました。もしかしたら、父は単におだてなのではないかもしれません。成人した私の親指は、パイプの口より大きいのです。子供の親指なら、中まで入ります。私は、小さな親指で、中まで詰めていたのでしょうね。

 長く誰にも触られなかったパイプです。それなのに、いい艶を放っています。引っ越しの荷物にそっと入れました。

 


道端の花

2013年03月05日 | 日々のこと

晴れ、5度、福岡

 昨日、本当に久しぶりに菜の花畑を見ました。一面の菜の花畑と言いたいのですが、畑の2つの区画ですが、あの鮮やかな黄色が目にしみる思いです。その菜の花畑の光景を何度も何度も、胸に思い起こしていました。小さいとき見慣れた菜の花畑とは違います。何が違うのか解らないまま眠ってしまいました。今朝目覚めた時、急にその理由がわかったのです。

 私の実家は福岡の市内ですが、西の端。子供の頃は家からすぐのところに、一面の菜の花畑、レンゲ畑がありました。ちょうど昨日の福岡のように、昼の日差しで上着を一枚脱いで、まわりをゆっくり眺める余裕も出てきます。そんな時、菜の花畑に寄り道をしたものです。でも、あの頃の菜の花は、今の菜の花のように、みっしりとした黄色ではありませんでした。ほんのりとした黄色でした。今の菜の花食用です。昔は、油を摂る菜の花だったのです。菜の花が食卓に上るようになったのは、昭和40年代も終わりの頃ではないでしょうか。その、油用の菜の花が咲いていた畑は、昭和40年代に入ると、団地が建ちました。その団地も今見ると、4階建て、古く小さな団地です。今ではもう見られなくなったような団地です。

 その団地の横の道を、日差しに誘われて歩きました。 足元には、本当に小さな花が咲いています。 慌ただしく行き来していると、こんな小さな花が咲いていることには気付かないでしょうね。 いつものように道端にひざまずいて、写真を撮っていると、自転車で横を行き過ぎる人が、速度を落として覗き込みます。みんな、ナーンだと思って行き過ぎるのですが。

 見出しの写真は、レンゲと同じ豆科の花ですね。いつか古くなった団地も壊されるでしょう。そして、もっと大きなマンション群が出来ます。もう決して、ほんのりした菜の花畑は戻ってこないのですね。朧月夜を口ずさみながら、菜の花畑を思い出していました。


泉屋のクッキー

2013年03月04日 | 日々のこと

晴れ、4度、福岡

 私が小さい頃、東京からのお土産の代表選手は泉屋のクッキーでした。白地に中央には紺のラインが入り、船に付いている浮き輪が意匠されている缶は、子供心にも東京の匂いを運んでくれるように思いました。そして、いつも、缶を開けるとあの匂い。

 先日頂いた泉屋のクッキー、包み紙も缶もいつものそれとは違います。お持ちくださった方、その説明をしてくださいました。外包みにも、 サンタさんが付いています。缶だって、サンタさんだらけ。この泉屋のクッキー、東京の代官山だけで売られている特別バージョン、サンタカンパニーとのコラボクッキーです。

 缶にも、サンタさんの絵が一杯付いています。 このサンタさん、私たちが考える普通のサンタクローズの服を着ています。3月ですから、お持ちくださった方は季節外れでと、恐縮なさっています。ところが、夏になると、なんと、このサンタさんが水着姿に変わるのだそうです。厚かましい私は思わず、その水着姿のサンタさんを見てみたい、などと言ってしまいました。じゃあ今度ね。気前よく約束してくださいます。

 家に帰って、久しぶりの泉屋のクッキーとばかりに、家人は、ビリビリと包装紙を破ってしまいました。私が気が付いた時は、既に遅し。蓋を取ると、あのいつもの匂い。でも、真ん中に一枚だけ、サンタさんがインボスされたクッキーが入っていました。昔ながらの硬めのクッキーです。ラスクだって入っています。変わらないものを頂くと、ホッとするのも年のせいでしょうね。


お雛様

2013年03月03日 | 日々のこと

曇り、福岡 

 

 お雛様を3つ持っていました。小さい頃は段飾り、お人形より小さなお籠やぼんぼり、お道具の類いの方が好きでした。お人形は多すぎて、並べる順序が覚えられませんでした。小学校の中学年の頃、この段飾りに加えて、立ち雛の親王飾りを両親は求めました。立ち雛は、お顔も姿も大きくて、とても嬉しかったことを覚えています。その立ち雛が来た年のことです。お内裏様の頬に黒いほこりが付いているのを見つけた私は、指でそのほこりを払いました。きっと、私の指の方がもっと汚かったのか、お内裏様の頬にすっと黒い筋が付いてしまいました。帰宅した父は、目ざとくその筋を見つけました。すぐに私の仕業と解ったのでしょう、父はとても怒って、お内裏様を床に投げつけました。何を怒られているのか、何を言われたか覚えていません。覚えているのは、ぽろりと折れたお内裏様の首が床に転がったことです。

 両親の間でのいきさつは、未だに聞いたことがないのですが、その2、3日後に、新しい立ち雛の親王飾りが我が家にやって来ました。滅多に父には叱られたことがないので、お雛様と言う言葉を口にするのが怖かった私でした。なぜか、その後小学校の間は、新しく来た立ち雛しか飾られなくなりました。実は中学校以来、実家でお雛様が飾られたことはありません。

 ずっとお雛様のことは忘れていました。我が家は息子が一人です。本当に、お雛様なんてすっかり忘れていたのです。六年ほど前に、友人の家に遊びにいきました。素敵な家の中にお雛様が飾られていました。いつ行っても、お雛様が飾られています。しかも、お顔の色などから、きっと彼女のお雛様をお嬢さんに譲ったのだろうと思っていました。香港ですし、彼女はオーストラリアの方と結婚しています。日本のお人形を一年中飾っていても何にも違和感がありません。急に私のお雛様のことが気になり初めてのは、こうした理由からでした。

 実家の整理をしている間、どうしても見つけたいと思っていたのはこのお雛様でした。まず出て来たのが、箱にバラバラと入れられた段飾りでした。同じ箱に頭の折れた立ち雛も入っていました。これらは、全部捨てました。最後に別の茶箱から、硝子のケースに入ってごろんと転がっていた親王飾りが出てきました。

 烏帽子が窪んでいます。髪がボソボソと不揃いです。 でも、間違いなく私のお雛様です。1月に帰国した時に、大事に和紙で包んで香港に持ち帰りました。今、私のいない香港の家には、このお雛様が飾られています。古いお雛様ですから、大きめです。お顔も古風な顔つきです。3月3日にこのお雛様が飾られたのは40年以上ぶりのことです。

 捨ててしまったお雛様の分も、このお雛様、自分のために大事にします。


龍蝦伊麺 ロブスターの卵麺

2013年03月02日 | 香港

曇り、21度、96%

 香港の中華料理は、北京、四川、上海、台湾、客家、広東とそれぞれの地方料理が楽しめます。でも基本は、広東料理です。しかも、香港、長いことイギリスの統治下にありました。観光地ですので、世界中から人がやって来ます。食べ物にアンテナを張っている香港人、洋風な味を中華料理に盛り込むのがとても得意です。そして、流行り廃りもあります。香港に来た当初の流行は、鶏を少し甘酸っぱいレモンのソースで味を付けた、檸檬鶏がホテルなどで出されていました。ケチャップを使った、ケッチャプチャーハンなど西炒飯と呼ばれています。

 香港は海にも面しているので、海鮮料理も豊富です。でも実は、香港近海で捕れた魚ではなく、大方は、フィリッピンや、マレーシア、インドネシア、ベトナム、タイ、大連からの輸入物です。生きたまま輸入して、大きな水槽に放します。その生きた魚や貝類を客たちは、自分たちでこの魚をと選び食べさせてくれるところが、海に近いところには何カ所かあります。市街地に一番近いのが、鯉魚門(レイユウムン)です。

 香港でも、ロブスターのブームが始まった10年ほど前から、急にメニューに上ったのがこの龍蝦伊麺です。伊麺という、揚げた卵麺を使ったこの料理、 見た目には伊麺の上にロブスターがのっているだけのように見えます。ところが、味付けがクリームソースです。店によっては、チーズの味の強いところもあります。

 これが中華料理?と思うような味わいです。伊麺は、卵の甘みがほんのりするやさしい味の平たい麺です。イタリア料理のフェトチーネとロブスターの料理が、お手本でしょうが、そこが不思議、クリームやチーズを使ってもやっぱり中華料理です。

 頻繁に香港に見える方は、もうこの料理が出て来ても驚かれなくなったほど、今では、普通の料理になってしまいました。もちろん、こんな料理毎日頂くわけではありません。

 蝦の身を殻から外すのには手間取りますが、殻や骨に付いた身や魚の頭、尾までもきれいに食べ尽すのが、広東料理です。