チクチク テクテク 初めて日本に来たパグと30年ぶりに日本に帰ってきた私

大好きな刺繍と大好きなパグ
香港生活を30年で切り上げて、日本に戻りました。
モモさん初めての日本です。

パイプ

2013年03月06日 | 日々のこと

晴れ、15度、69%

 実家の改築の話がトントンと進んでいます。トントンというか着実に進んでいます。私の2年がかりの実家の整理も、いよいよ大詰めです。残すものは、必要な家具と壷など、最小限の食器に未使用の寝具、どうしても捨てられなかった本(ほとんどが私の子供の時に読んだもう出版されていない本)です。衣類など全くありません。

 一番大きな問題は、お仏壇です。昔のお仏壇です。傷みもきているので、最近の小振りなお仏壇に買い替えるつもりでいました。ところが、いいものだから修理をと薦められました。家の改装中に、お仏壇の修理も頼むつもりです。

 荷造りが進む中、最後に仏壇の戸袋や引き出しのものをまとめようと開けました。整理が出来ない母が、ここだけはきちんとメモ付きで整理されています。粗末になってはいけない場所です。こんな場合を見越してか、始末の方法まで書かれています。そんな中出て来たのが、一本のパイプでした。 この2年間整理をして行くうちに、いろいろなことを思い出していました。ところが父がずっとパイプを吸っていたことなんて、すっかり忘れてしまっていました。

 煙突、と私が父のことを呼んでいたように、パイプを手放したことがありませんでした。パイプもたくさん持っていました。亡くなってすぐ、父の友人に、形見として差し上げたことを記憶しています。最後に残ったうちのひとつを、結婚後、家人ももらったはずですが、どうしたことか見当たりません。

 パイプを吸う人なんて、多くはないでしょう。どうして、タバコでなくパイプに父は走ったのでしょうか?今は知る術もありません。

 パイプには、思い出があります。吸い口の管の部分を掃除するのには、和紙でこよりを撚ってします。細いこよりを管に通して、ヤニをとります。そのこよりの固さ加減が、私が作るのものが一番いい、とおだてられ、せっせと作りました。

 父は、「桃山」というパイプ煙草を吸っていました。小振りな円柱形のシルバ−に赤い船の絵が付いた缶に入っていました。缶の蓋を取った時の香りが、微かに記憶にあります。タバコのそれとはちょっと違います。その桃山を、パイプに詰めるのが、これまた私の役目でした。堅すぎず緩すぎず、ちょうどいいと、きっと、これもおだてられたに違いありません。煙草を詰めるときの仕草をまねてみました。50年近くぶりです。そこで、ひとつ気が付きました。もしかしたら、父は単におだてなのではないかもしれません。成人した私の親指は、パイプの口より大きいのです。子供の親指なら、中まで入ります。私は、小さな親指で、中まで詰めていたのでしょうね。

 長く誰にも触られなかったパイプです。それなのに、いい艶を放っています。引っ越しの荷物にそっと入れました。

 

コメント
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